尾上多賀之丞 (3代目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三代目 尾上 多賀之丞(さんだいめ おのえ たがのじょう、明治22年(1889年)9月21日 - 昭和53年(1978年)6月20日)は、戦前戦後にかけて活躍した歌舞伎役者。本名は樋口 鬼三郎。俳名は梅華。屋号は音羽屋。
叔父は歌舞伎役者四代目淺尾工左衛門。役者としての初舞台は明治24年 (1891)、市川鬼三郎の名前で東京四谷桐座『鈴木主水噂新宿』(鈴木主水)。明治44年 (1911) 9月五代目市川鬼丸を襲名し名題に昇進。
以後小芝居で花形役者として活躍するが、その才能を六代目尾上菊五郎に見出され、大正10年 (1921) 菊五郎一座に客分として入座、市村座の『網模様燈篭菊桐』(小猿七之)の滝川。昭和2年 (1927) 新橋演舞場の『厄年』のいろは茶屋お六で三代目尾上多賀之丞を襲名する。昭和53年 (1978) 2月、数え90歳で『かっぽれ』を躍ったのを名残に没した。
女形の名脇役として、六代目菊五郎から、二代目松緑、七代目梅幸を経て七代目菊五郎と、音羽屋三代の相方を勤める。晩年は後進の指導に当っていた。
『暗闇の丑松』のお今、『ひらかな盛衰記・源太勘当』の延寿、『梅雨小袖昔八丈』(髪結新三)の後家お常など新作や時代物、世話物などに名演技を示したが、中でも『盲長屋梅加賀鳶』(加賀鳶)のおさすりお兼は最大の当り役で、80代を過ぎても、すっきりした江戸前の伝法さと溢れるばかりの色気とで舞台を彩っていた。

