尹元衡

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尹元衡
領議政
本貫 坡平尹氏
姓・諱 漢字:尹元衡
諺文:윤원형
発音:ユン・ウォニョン(ウォンヒョン)
彦平
生年 正徳4年(1509年
出生地 京畿道坡州郡
没年 嘉靖44年10月26日
1565年11月18日
没死地 黄海道江陰県
尹之任
全城府夫人(李徳崇の娘)
配偶者 延安金氏(金安遂の娘)
鄭蘭貞
子女 尹継尹孝源尹忠源
埋葬地 京畿道坡州郡善山

尹 元衡(いん げんこう)は李氏朝鮮の文臣。

生涯[編集]

姉が中宗の3番目の正妃・文定王后になったことで、権力を握る(小尹派)。本家出身の第二王后・章敬王后の兄尹任韓国語版(大尹派)と対立し、甥の明宗が即位した嘉靖24年(1545年)に乙巳士禍を起こして尹任を処刑に追い込み専権を振るった。嘉靖44年(1565年)に文定王后が死去すると失脚し、司憲府司諫院弘文館の弾劾を受けて隠居地で自殺した。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]