尚州市
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| 位置 | |
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| 各種表記 | |
| ハングル: | 상주시 |
| 漢字: | 尚州市 |
| 日本語読み仮名: | しょうしゅうし |
| 片仮名転写: | サンジュ=シ |
| ローマ字転写 (RR): | Sangju-si |
| 統計 | |
| 面積: | 1,254.85 km² |
| 総人口: | 106,990人(2009年12月31日) 人 |
| 行政 | |
| 国: | |
| 上位自治体: | 慶尚北道 |
| 下位行政区画: | 1邑17面6洞 |
| 行政区域分類コード: | 37080 |
| 尚州市の木: | カキノキ |
| 尚州市の花: | バラ |
| 尚州市の鳥: | カササギ |
| 自治体公式サイト: | 尚州市 |
尚州市 (サンジュし、しょうしゅうし)は大韓民国慶尚北道西部内陸地帯に位置する市。統一新羅時代には全国九州のひとつであり、李氏朝鮮中期までは慶尚道(嶺南)の政治的中心地であった。慶尚は慶州と尚州を意味する。1592年の日本軍侵入(文禄の役)以後その地位を失った。面積1,254.81平方キロ、人口約12万。産業は農業が中心である。
スポーツでは2011年より光州広域市から移転したサッカーKリーグ所属の「尚州尚武フェニックスFC(旧:光州尚武)」がホームタウンとしている。
目次 |
[編集] 地理
西は忠清北道の諸郡に接し、東は慶尚北道亀尾市と義城郡、北は聞慶市、南は金泉市である。忠清北道との境には、小白山脈に属する俗離山(ソンニサン)があり国立公園に指定されている。
[編集] 歴史
古代の沙伐国である。
- 249年 - 新羅、沙伐国を併合。
- 525年 - 沙伐州設置。
- 552年 - 尚州亭に軍団設置。
- 648年 - 金ユシン尚州行軍総管、百済征伐の前線基地。
- 757年 - 尚州に改称。
- 1018年 - 尚州牧使、全国8牧の一つとなる。
- 1407年 - 慶尚道分割。尚州牧使、慶尚右道監司兼任。
- 1592年 - 日本軍、尚州入城。尚州の戦い[1]。
[編集] 尚州市
- 1986年1月1日 - 尚州郡尚州邑および内西面・外西面のそれぞれ一部が合併し、尚州市が発足。
- 1995年1月1日 - 尚州市・尚州郡が合併し、尚州市が発足。(1邑17面)
[編集] 尚州郡
- 1914年4月1日 - 郡面併合により、尚州郡・咸昌郡が合併し、尚州郡が発足。尚州郡に以下の面が成立。(18面)
- 尚州面・沙伐面・洛東面・青里面・功城面・中東面・外南面・内西面・外西面・銀尺面・化東面・化西面・化北面・牟東面・牟西面・恭倹面・咸昌面・利安面
- 1931年4月1日 - 尚州面が尚州邑に昇格。(1邑17面)
- 1950年 - 化北面の一部が分立し、化南面が発足。(1邑18面)
- 1973年7月1日 - 利安面の一部が聞慶郡加恩面と合併し、聞慶郡加恩邑となる。(1邑18面)
- 1980年12月1日 - 咸昌面が咸昌邑に昇格。(2邑17面)
- 1986年1月1日 - 尚州邑および内西面・外西面のそれぞれ一部が合併し、尚州市となり、郡より離脱。(1邑17面)
- 1995年1月1日 - 尚州郡が尚州市と合併し、尚州市が発足。尚州郡消滅。
[編集] 特産
[編集] 教育
- 国立慶北大学校尚州キャンパス(旧・国立尚州大学校)
[編集] 交通
[編集] 高速道路
- 中部内陸高速道路(45号線)
- 洛東ジャンクション - 尚州インターチェンジ - 北尚州インターチェンジ - 店村咸昌インターチェンジ
- 唐津-尚州高速道路
- 化西インターチェンジ - 西尚州インターチェンジ - 洛東ジャンクション
[編集] 鉄道
[編集] 脚注
- ^ 尚州市公式サイト(日本語)では「1592年11月、尚州仮判官、鄭起龍が尚州城を奪還した。」と主張し、競技場では『尚州城奪還』再現イベントも行われている。しかし、当時の日本側一次資料である十二月十日付朱印状『鍋島直茂譜考補』には、尚州市公式サイトが尚州城奪還したとする翌月の状況で、釜山と漢城を結ぶ要衝の一つとして日本軍側が占領を継続した状況にあり、戸田勝隆の軍が当地の守備についているため、尚州市公式サイトの主張とは食い違いがある。
[編集] 外部リンク
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