小鷹 (砲艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
Japanese gunboat Kotaka.jpg
揚子江における「小鷹」
艦歴
計画
起工 1929年9月三井玉造船所
進水
竣工 1930年1月11日
喪失 1944年5月31日
除籍
要目 (竣工時)
排水量 基準:50トン
常備:60.668トン[1]
全長 垂線間長30.000m[2]
全幅 4.900m[2]
吃水 0.640m(平均)[2]
機関 新潟式ディーゼル機関2基[1]2軸推進
最大
出力
540hp[1]
速力 15.5ノット[1]
航続距離 10ノットで1,000海里[3]
燃料 重油6.0トン[1]
乗員
兵装 留式7.7mm機銃3挺[1]

小鷹(こたか)は、日本海軍の雑役船(交通船)。豆砲艦と呼ばれ、当時のジェーン海軍年鑑でも砲艦に分類されていた。艦名は片桐大自の研究によると小型の鷹類の総称とされる[4]

計画[編集]

熱海型砲艦設計に際して加藤恭亮造船大尉が中国へ現地調査へ訪れたところ、現地部隊では河川の支流や川岸近く、湖沼などでも活動でき、また速力、航続力、居住性が十分となる、通常より更に小さいサイズの艦を要望していた[5]。 そこで帰国後に熱海型と同時に設計することになったが国内には参考になる艦船が無く、排水量39トンのフランス軍砲艦「LA-GRANDIERE」をタイプ・シップとして設計された[5]

艦型[編集]

艦型は全体的に熱海型を縮小、簡易化したようなものとなった[5]

船体は底の平たい1層甲板で、また艦尾はトランサム型であった[2]。 上部構造物は操舵室より前には船首楼甲板を設けて士官室とし、士官室直後からは兵員室、艇長室は操舵室後方に、厠と烹炊所は後部構造物内に設けられた[2]。 敷物は中央部上甲板のみを木甲板とし、それ以外は滑り止めをつけた[2]

機関は航続力の要望を満たすためディーゼルエンジンとし、新潟M6Hディーゼル270馬力を2基搭載することで15.5ノットを得た[5]。 2基のスクリューは船底に設けたセレス内に収められ、ベースラインより下に出ないようにし、また舵は2枚でスクリュー直後に置かれていた[2]

兵装は7.7mm機銃3挺で、前甲板、操舵室天蓋、後部構造物天蓋にそれぞれ1挺づつ、また30cm探照燈と1m測距儀が操舵室天蓋に置かれた[2]

なお、数年後に本船をタイプシップとして満州国の砲艇2隻が建造された[1]

艦歴[編集]

1929年(昭和4年)度支那事件費[3]によって建造された小型の雑役船。1930年(昭和5年)に三井玉造船所で竣工し、運送艦「青島」で上海まで運ばれた。正式な分類は雑役船中の交通船(内火式河用特型)だが、通常の砲艦では進入できない浅瀬や河川の支流、湖沼などの警備にあたり、その他「遡江作戦」などにも参加、「豆砲艦」と呼ばれ重宝したという。1944年(昭和19年)5月31日に揚子江で爆撃を受け戦没した。

参考文献[編集]

  • 「第56議会昭和4年度予定経費追加説明書」、アジア歴史資料センター、レファレンスコード A09050130100。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第14巻 小艦艇II』(光人社、1990年) ISBN 4-7698-0464-4
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷(原書房、1981年)ISBN 4-562-00302-2
  • 牧野茂、福井静夫編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年。 ISBN 4-87565-205-4

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『海軍造船技術概要』1074頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『海軍造船技術概要』1073頁。
  3. ^ a b 「第56議会昭和4年度予定経費追加説明書」第2画像、第20画像および第21画像。
  4. ^ 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』p489。
  5. ^ a b c d 『海軍造船技術概要』1072頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • [1]中国における各国砲艦の写真があるページ。