小野剛 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
小野 剛
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大分県中津市
生年月日 (1978-05-06) 1978年5月6日(45歳)
身長
体重
187 cm
92 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2000年 ドラフト7位
初出場 NPB / 2004年4月21日
最終出場 NPB / 2006年6月30日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小野 剛(おの ごう、1978年5月6日 - )は、大分県中津市出身の元プロ野球選手投手、右投右打)、実業家

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校・中学校時代は野球よりも勉強の方に重きを置き、中学校時代は学年でも成績1位レベルの優秀さであったと言う[1]。学業に力を入れていた理由としては野球よりも学業の方が稼げるのではと考えていたためであった[1]。そして、中学校のある時から野球の方にも力を注ぐようになると、そこでも頭角を現し、強豪校から野球推薦の話が舞い込むようになった[1]。中学校卒業後、桐蔭学園高等学校に進学する。高校時代は投手から外野手に転向するもレギュラーを獲れずじまいであった[1]、卒業後武蔵大学に進学し投手に転向し首都大学野球連盟(2部リーグ)の記録を塗り替える通算37勝をマークし[1]2001年、ドラフト7位で読売ジャイアンツ入団。高校時代の同期にはG.G.佐藤がいる。

プロ入り後[編集]

一軍登板のないまま、2002年にわずか2年で解雇された。この時点で野球を辞めることも考えていたが、巨人時代チームメイトだった工藤公康から「俺なら体がボロボロになるまでやるけどな」と言われ、現役続行を決める[2]

2003年イタリアセリエAT&Aサンマリノでプレーし[1]、巨人時代の2001年当時コーチだった宮田征典の助言を受けてサイドスローへの転向[2]シュートを習得するなど、本格派と呼ばれていた投球スタイルからの転換を図った[3]。同年オフに、西武ライオンズにテスト入団を果たし、日本球界に復帰した。

2004年4月21日の北海道日本ハムファイターズ戦(西武ドーム)でNPB初登板を果たし、中継ぎの4回を1失点に抑えた。この初失点である被本塁打が、日本ハム・SHINJOのNPB通算150号本塁打となる。この年は中継ぎとして11試合に登板。

2006年にも1試合で投げ3回無失点の内容だったが、同年、守備練習中にイップスを発症して投球もままならない状態となり[3]、レギュラーシーズン終了後に戦力外通告を受けた。

現役引退後[編集]

現役から引退し、その後は不動産企業である東海住宅に入社した後[1]、プロ野球選手や音楽家をマネジメントする株式会社GSLを設立[1]2008年からは芦ノ牧ホテルを買収し社長に就任した。2010年には不動産業者の有限会社吉祥ハウジングを買収[1]。武蔵大学大学院で金融を学び、経営・ファイナンス専攻の修士課程を2010年3月に修了した[3][1]。現在は様々な事業を行う実業家となっている。2017年には「年商4億」と紹介された。

資産運用の面からプロ野球選手をフォローする傍ら、子供達に野球を教えている。かつて所属した西武ライオンズの選手や、師と仰ぐ工藤公康も指導者として参加している。狭山西武ボーイズを設立し、野球塾と学習塾とトレーニングを組み合わせ運営。同チームは創部3年目で全国大会初出場を果たし、初出場準優勝と躍進した。様々な事業展開を手がけており、飲食店・調剤薬局・不動産・商社と幅広く経営している。現在、飲食業に元巨人の十川雄二、野球事業部に福井敬治、元西武の岩﨑哲也、不動産業にロッテ田中良平といった元プロ野球選手のセカンドキャリアを助けている。

2014年11月4日、次年度よりベースボール・チャレンジ・リーグに加入する福島ホープスゼネラルマネージャーに就任することが発表された[4]。小野は4シーズンにわたってゼネラルマネージャーを務め、2018年のシーズン終了後、福島に運営会社の経営問題が表面化した際には、球団代表兼監督の岩村明憲とともに、新しい運営会社の設立に動いた[5]。11月21日に岩村を社長とする新会社が球団運営を引き継ぎ、「福島レッドホープス」に改名されることが公表されたが[6]、その翌日に福島球団は総合コーチの星野おさむがゼネラルマネージャーに就任することを発表[7]、事実上ゼネラルマネージャーを退任した。

実業では2018年時点で福島の食材を扱った飲食店を都内などに4店舗経営していると報じられている[8]

2020年6月27日、古巣の巨人とOBスカウトとしての契約を締結。埼玉エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担っている[9]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]

NPB




















































W
H
I
P
2004 西武 11 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 80 18.2 14 5 11 0 1 15 0 0 12 11 5.30 1.34
2006 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 13 3.0 2 0 3 0 0 2 0 0 0 0 0.00 1.67
NPB:2年 12 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 93 21.2 16 5 14 0 1 17 0 0 12 11 4.57 1.38

記録[編集]

NPB初記録

背番号[編集]

NPB
  • 59 (2001年)
  • 93 (2002年)
  • 67 (2004年 - 2006年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j [1] 真木将樹が運営するサイト ドリームネクストより 2011年12月10日閲覧
  2. ^ a b プロ野球戦力外通告読本2016(洋泉社MOOK 2016年1月16日刊)p.150 より
  3. ^ a b c 今井貴久 (2010年4月8日). “元巨人、サンマリノ、西武・小野剛「芦ノ牧ホテル代表取締役社長」/ 引退後記”. 日刊スポーツ. http://www5.nikkansports.com/baseball/imai/94175.html 2010年4月8日閲覧。 
  4. ^ “プロ野球通し復興を 福島ホープス小野GM会見で決意”. 福島民報. (2014年11月4日). http://www.minpo.jp/news/detail/2014110519061 2014年11月14日閲覧。 
  5. ^ “福島ホープス、運営の行方『不透明』 平均入場500人割り込む”. 福島民友新聞. (2018年10月30日). http://www.minyu-net.com/news/news/FM20181030-320573.php 2018年11月30日閲覧。 
  6. ^ “BC福島、岩村明憲氏が代表取締役 経営難で新体制”. 日刊スポーツ. (2018年11月21日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811210000887.html 2018年11月21日閲覧。 
  7. ^ ゼネラルマネージャー就任のお知らせ - 福島レッドホープス(2018年11月22日)
  8. ^ “元西武小野剛さん故郷へ恩返し 飲食店4店舗経営”. 日刊スポーツ. (2018年11月27日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/201811270000040.html 2018年11月30日閲覧。 
  9. ^ 読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]