小牧秋葉祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小牧秋葉祭(こまきあきばまつり)は、愛知県小牧市にある小牧神明社末社・秋葉社で、毎年8月20日前後の日曜日に行われるである。

小牧神明社の末社・秋葉社(須佐之男社・御嶽社・天神社・稲荷社と、一棟の社殿に合祀

歴史[編集]

概要[編集]

土曜日には宵山が行われ、各町内を回った後、ラピオの前に集合する。

日曜日は昼に行われ、各町内を出発した山車が神明社に集まり、4両による壮麗な祭絵巻が繰り広げられる。途中に各町内にある屋根神の前で奉納する。

各山車の詳細・演目[編集]

唐子車(からこしゃ) 【中町】[編集]

山車本体については、上述。からくりは、中唐子・小唐子と采振り人形(唐子)の3体で、文政年間(1818年-1830年)に3代目玉屋庄兵衛の作によると伝えられる。

中唐子が小唐子に太鼓のたたき方を教えると、それをまねて小唐子が梅の木で倒立をして太鼓をたたく。

秋葉車」・「鼻車」の別称を持ち、秋葉社でのからくり奉納や道行の際は常に先頭となる。

聖王車(せいおうしゃ) 【横町】[編集]

山車本体は、江戸時代末期から明治初年の間に、枇杷島から購入したと伝えられる。からくりは、聖王と唐子2体と采振り人形。聖王人形は文政7年(1824年)に隅田仁兵衛が、唐子2体と采振り人形は安政2年(1855年)に5代目玉屋庄兵衛が、それぞれ製作したものとされている。

一方の唐子が、もう一方の唐子の肩の上で倒立をして太鼓をたたくと、大将人形の聖王が軍配を振ってほめる。

湯取車(ゆとりしゃ) 【片町・上之町】[編集]

山車本体の制作年代は不明。からくりは、笛吹き・太鼓打ちと巫女と神官の4体。明治35年(1902年)に6代目玉屋庄兵衛が製作したもの。

湯取神事を主題としている。巫女が豊作を占ってもらうため、神官に伺いをたてると、釜の中から稲穂(白紙の紙吹雪で表現している)が吹き出してくる。その様子にあわせて、笛吹きと太鼓打ちがそれぞれの楽器を演奏する。

西王母車(せいおうぼしゃ) 【下本町】[編集]

山車本体は、名古屋から譲り受けたと伝えられる。からくりは、唐子2体と采振り [注釈 2]。唐子2体は、明治4年(1871年)に竹田新助が製作。采振りは、昭和33年(1958年)に奥村秀次郎が作り直したもの。

唐子が桃の小枝を持って踊っていると、傍らの桃が割れて別の唐子が飛び出し、四方を向いてチャッパを叩いて踊る。

特徴[編集]

秋葉祭の山車蔵
  • 山車は、名古屋市を中心とした尾張地方に広く見られる「名古屋型」という形式で、「三階屋台」とも言われている。
  • 各山車には前棚人形があり、そのうち3両が采振り人形である。采振りは、山車が通りの辻や折り返し場所へ来たとき等に采を振り、祭りの道中の邪気を祓っているとされる(湯取車のみが、笛と太鼓の演奏人形)。
  • 山車蔵も特徴的で、横にスライドできるようになっている。

注釈[編集]

  1. ^ 当時は、玉林寺前(旧社地)付近にあった[5]
  2. ^ 「西王母車」という名称だが、西王母の人形は存在しない。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 小牧市/秋葉祭の山車”. 小牧市 (2017年8月31日). 2017年12月10日閲覧。
  2. ^ 千田 1991, p. 231.
  3. ^ 小牧市文化財資料委員会 1993, p. 30.
  4. ^ 小牧市文化財資料委員会 1993, p. 14-15.
  5. ^ a b c d 小牧市文化財資料委員会 1993, p. 17.
  6. ^ 新型コロナ拡大、山車奉納は中止 小牧の秋葉祭”. 中日新聞Web. 中日新聞社 (2020年6月4日). 2022年12月25日閲覧。
  7. ^ 水谷元海「小牧「秋葉祭」2年連続中止に 太鼓のリズム忘れないで 担い手の子どもら練習会」、中日新聞2021年9月4日付朝刊、近郊版、15頁
  8. ^ 「子どもらが秋葉祭おはやし 小牧令和夏まつりであす演奏」、中日新聞2022年8月19日付朝刊、近郊版、14頁

参考文献[編集]

  • 千田靖子『からくり人形の宝庫 : 愛知の祭りを訪ねて』中日出版社, 愛知県郷土資料刊行会(発売)、1991年。ISBN 4885190711全国書誌番号:92029226 
  • 小牧市文化財資料委員会編 編『小牧神明社の三大祭(小牧の文化財 / 小牧市教育委員会編, 第14集)』小牧市教育委員会、1993年。全国書誌番号:93060758 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]