小山田真
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| 小山田 真 こやまだ しん |
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2007年、ロサンゼルスのビーチにて |
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| 本名 | 小山田 真 |
|---|---|
| 生年月日 | 1982年3月10日(27歳) |
| 出生地 | |
| 民族 | 日本人 |
| 血液型 | A |
| ジャンル | 俳優(映画・テレビ映画)、映画プロデューサー、武道家、起業家、歌手、作詞家 |
| 活動期間 | 2002年 - 現在 |
| 活動内容 | 2000年:ハリウッドへ渡る 2003年:『ラストサムライ』 2006年:『コンスタレーション』 2006年:『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー』 2007年:『希望の大地』 2008年:『ディズニー・チャンネル ゲームズ』 |
| 主な作品 | |
| ハリウッド映画 『ラストサムライ』 『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー』 『希望の大地』 |
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小山田 真(こやまだ しん、1982年3月10日 - )は、岡山県岡山市出身の俳優。
身長172cm、体重65kg。血液型A型。薩摩藩島津家臣団の大蔵氏族・小山田城主の小山田氏(こやまだし)の子孫。
日本空手道啓心会で三段、北派中国少林寺少林拳で全米優勝、テコンドーで二段、宮中韓国武術で初段、嵩山少林寺武術、日本空手道並び北派少林寺少林拳の米国指導員。18種類の中国古代武器を扱う北派少林寺少林拳で6度全米制覇。
現在は映画俳優、プロデューサー、武道家、起業家、フィランソロピストとしてハリウッドを中心に世界各国で活動している。ハリウッドで映画会社「シンカ・コーポレーション」を設立。アメリカ永住権(グリーンカード)保持者。ハリウッドの代理は、アファーマティブ・エンターテインメント。
目次 |
[編集] 略歴
幼い頃から父と米国や香港のアクション映画を鑑賞する。特にブルース・リー、ジャッキー・チェンのアクションには多大な影響を受け、俳優の道を志す。「ドラゴンボール」、「幽遊白書」等のテレビアニメファンであった。空手道、柔道、剣道、書道、硬筆、自転車競技、陸上競技、器械体操、バスケットボール、水泳、卓球、バドミントン、魚釣り、サッカーなどでも訓練を受ける。
- 1982年(昭和57年)3月10日 - 鹿児島県出身の岡山市役所で働く父親と岡山市内で看護婦をしている両親の元に生まれる。
- 1989年(平成元年)4月 - 岡山市立三門小学校に入学する。
- 1992年(平成4年) - 陸上競技クラブに入会する。
- 1993年(平成5年) - 岡山市ジュニア陸上クラブ(OJAC)に入会する。
- 1994年(平成6年)3月 - 岡山市立三門小学校を卒業する。
- 1994年(平成6年)4月 - 岡山市立石井中学校に入学。数多くの自転車ロードレースの試合に出場する。
- 1995年(平成7年)7月 - オーストラリア・ロッチュデール州立高等学校へ国際短期留学をする。陸上競技部に入部する。
- 1996年(平成8年) - 瀬戸内海にある小豆島を自転車で一日一周する。
- 1997年(平成9年)3月 - 岡山市立石井中学校卒業。皆勤賞を獲得する。三者面談で担任の先生に映画俳優になるべくハリウッドへ渡米希望するが大反対される。
- 1997年(平成9年)4月 - 岡山県立岡山一宮高等学校に入学。器械体操部に入部する。日本空手道を始める。剣道、柔道の訓練を受ける。
- 1999年(平成11年) - 器械体操部のキャプテンに指名される。同年、岡山県大会に初出場する。
- 2000年(平成12年)3月 - 岡山県立岡山一宮高等学校卒業。
[編集] 俳優・プロデューサー
[編集] 国内からハリウッド進出
[編集] 2000年−2002年
高校卒業後の2000年9月、ハリウッドでの成功を夢見て、大学進学を勧める両親の反対を押し切り英語を話せないままロサンゼルスへ単身渡米。同年、短期大学ロサンゼルス・シティー・カレッジに入学、そこで英語の語学力、演劇力を伸ばした。私生活でも多数のアメリカ人の友達を作り、英語だけを話す環境の中で、日常会話はまず問題なく、そして英語での演技にも必要な語学力を身につける。徐々に注目を浴び、インターネットのキャスティングサイトを通じて売り込みを行い、現地の舞台、CM、テレビへと活動の幅を広げ始める。
[編集] 2003年−2005年
2003年に公開されたトム・クルーズ主演映画「ラスト・サムライ」で、渡辺謙演じる「勝元」の息子・「信忠」役の座を射止める。弓道の達人である役柄を演じた小山田は自らの武道のレパートリーに弓道、乗馬を加えると共に世界各国で日本人のハリウッド俳優として多大な注目を集める。2004年には、アメリカのテレビドラマ「Jake 2.0」に出演。それに続き、2005年には、アメリカで限定公開された映画「コンスタレーション」に出演。
[編集] 2006年−2009年
2006年の春には、プロデューサーとして、自分の映画企画・製作も兼ねて現在カリフォルニア州バーバンク市にあるスタジオ、ワーナー・ブラザーズの建物の一部の中に国際映画会社「シンカ・コーポレション」を設立。
2006年、山陽放送の「イブニング・ドン・ドン」でオリジナルキャラ「モテナスンジャー」のPRのため出演した岡山県知事石井正弘と岡山で一時帰国した小山田が初の共同出演をする。
同年に日本人初、アメリカで公開されたディズニー・チャンネル実写映画 「カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー」の主演をブレンダ・ソングと共に勤めた。この映画では少林寺拳法を生かしたシェン役を演じ、セリフはすべて英語、そして中国語もこなす。アフレコでも、英語、中国語だけに限らず、日本語版のシェン役の吹き替えもこなした。撮影は全て「ラストサムライ」でも撮影が行われたニュージーランド。米国での2006年6月16日の公開で大ヒットし、イギリス、ヨーロッパで最高視聴率を獲得する。日本のディズニー・チャンネルで放送された際には同局史上最高視聴率を獲得している。
さらに、同年に世界各国で放送されたディズニー・チャンネルのテレビ番組「ディズニー・チャンネル ゲームズ」の出場者として日本人で初めて出場。
2007年、アメリカのフロリダ州にあるディズニー・ワールドで行われた第二回目「ディズニー・チャンネル ゲームズ」では、日本代表として選ばれ世界各国代表で集まったディズニーのスター達と出演する。同年には、天草四郎の父親益田甚平の話を短編映画化した「希望の大地」に、映画プロデューサー兼主役として携わる。この映画が初のシンカ制作作品となる。2007年11月3日にリトルトーキョーの日米シアターで劇場公開された。
2007年8月6日に、宮崎県の東国原英夫知事を表敬し、宮崎フィルムコミッションの方達一同と宮崎県での映画撮影の話をする。[1]
2008年の夏に世界配給されたディズニー・チャンネルの人気テレビ番組「ディズニー・チャンネル ゲームズ」に出演する。今年で日本代表として3年目の出演となる。
2008年の春から元ワーナーのエグゼクティブでブルース・リー主演映画「燃えよドラゴン」をプロデュースしたポール・ヘラー氏とパートナーシップである映画制作会社を設立する。
2008年1月から2009年6月30日まで、バラエティ・ジャパンにてコラム「鳴らさない鐘は鳴らない 小山田真のハリウッド奮戦記」を毎週連載。2009年7月1日から連載コラム『小山田真 ハリウッドからの手紙』を公式ページでスタートする。同年の8月1日から地球環境をテーマにした連載コラム『小山田流エコロジー』をスタートする。
2009年4月にロサンゼルス日本映画祭で主役としてオープニングセレモニーに参加した。
[編集] 2010年ー現在
[編集] 出演 (国内)
[編集] テレビ番組
- 『2008年ディズニー・チャンネル・ゲーム プロモ』 (2008年、ディズニー・チャンネル)
- 『2007年ディズニー・チャンネル・ゲーム プロモ』 (2007年、ディズニー・チャンネル)
- 『そこに夢があった』 (2006年、山陽放送/KDDI)
- 『ディズニー・パラダイス』 (2006年10月5日、ディズニー・チャンネル/共同テレビジョン)
- 『ワイン大国を夢見た男達』 (2006年3月21日、TBS)
- 『ドリーマー』 (2005年、山陽放送)
- 『映画3大大陸の旅』 (2004年5月30日、NHK)
- 『ズームイン・スーパー』 (2004年、日本テレビ)
[編集] 出演 (ハリウッド)
[編集] 映画
- 『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー2』 Wendy Wu: Homecoming Warrior 2 (2009年/ディズニー・チャンネル)主演・シェン役
- 『希望の大地』 Good Soil (2007年/シンカ・エンターテインメント/クレッグ・島原監督)主演・甚平役、プロデューサー
- 『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー』(2006年/ディズニー・チャンネル/ジョン・リアング監督)主演・シェン役、日本語吹替も担当
- 『コンスタレーション』 Constellation (2005年/ジョーダン・ウォーカー・パールマン監督)ヨシト役
- 『ラストサムライ』 (2003年/ワーナーブラザーズ/エドワード・ズウィック監督)信忠役
- 『忍者・ペイズ・ハーフ・マイ・レント』 Ninja Pays Half My Rent (2002年/スティーブン・ツチダ監督)
[編集] テレビ番組
- 『2008年ディズニー・チャンネル ゲームズ』(2008年、ディズニーチャンネル)、日本語吹替も担当
- 『2007年ディズニー・チャンネル ゲームズ』(2007年、ディズニーチャンネル)、日本語吹替も担当
- 『2006年ディズニー・チャンネル ゲームズ』 (2006年、ディズニーチャンネル)、日本語吹替も担当
- 『デニス・ミラー』Dennis Miller Talk Show (2004年、CNBC)
- 『ジェイク 2.0』Jake 2.0 (2004年、UPN)
- 『パワーレンジャー・ワイルドフォース』(2002年、FOX)
[編集] CM
- 『ジェーシー・ペニー』 JC Penny (2001年)
- 『ディズニーランド』 Disneyland (2001年)
- 『アップルコンピューター』 Apple Computer (2001年)
[編集] 舞台
- 『コリオレイナス』シェイクスピア作(2001年)
[編集] 武術家
[編集] 経歴
[編集] 1998年−2000年(日本)
- 16歳の時に、親の反対を押し切って日本空手道啓心会岡山支部長の吉井忠先生のもとで日本空手道を始める。
- 平成10年(1998年)、始めて3ヶ月後の夏に長野県松本市社会文化会館で開かれた「第40回日本空手道啓心会全国大会」に「型」並び「組み手」の高校生の部で初出場を果たす。
- 平成11年(1999年)の夏、長野県辰野町町民体育館で開催された「第41回日本空手道啓心会全国大会」に連続出場する。同年に、黒帯の初段を取得する。
[編集] 2000年−現在(米国)
- 平成12年(2000年)の夏にハリウッドで中国北少林寺功夫を学び、僅か5ヶ月という短い期間の中で全米クラスの大会に6度出場。うち1度の準優勝を除く大会で全米制覇。大会では、アメリカ人を始め中国からの武術家が出場し、日本人唯一の出場者、優勝者となった。小山田は、アメリカの各地で開催される中国武術功夫の全国大会の審査員として承認され活動を続ける。
- 平成14年(2002年)から一年間、映画「ラストサムライ」の撮影中の為に、藤井浩二先生から弓道、乗馬、流鏑馬を習得する。
- 平成15年(2003年)、アメリカ人気武道雑誌「ブラック・ベルト・マガジン」の表紙に武道家として紹介される。
- 平成16年(2004年)に韓国の国技テコンドーをロサンゼルスの韓国人で最高師範のビヨン・ユー氏から教わる。2年余りで黒帯を取得する。
- 平成17年(2005年)の春に、アメリカで在住する小林流空手道の最高師範の山下忠志先生から居合道を習得する。同じくロサンゼルスの古谷顕彰師範から合気道を教わる。同年の夏に岡山県に一時帰国し日本空手道の黒帯の3段を取得する。
- 平成18年(2006年)ロサンゼルスで中国の嵩山少林寺の34代目僧侶から中国武術功夫を教わる。
- 平成19年(2007年)の夏に、韓国逮捕術の「韓国宮中武術」を最高師範スン・タエ・ヤングからサンフランシスコで教わる。
- 平成19年(2008年)11月に韓国宮中武術の茶帯を取得する。
- 平成21年(2009年)5月24日に「国際韓国宮中武術連盟」の歴史上初めて、日本人として韓国政府から黒帯を取得する。
[編集] イベント
[編集] アメリカ
- 平成17年(2005年)に開催された映画会社ワーナーの社長アラン・ホーンとCBS・スタジオの社長マイケル・クラウスマンが主催した「2005年ワールド・マーシャル・アーツ・マスターズ・エクスポ」に特別ゲストとして居合道の演舞を舞台で披露した。その場で小山田は、「ニュー・ライジング・アクション・スター」として受賞される。
- 平成18年(2006年)嵩山少林寺からワールド・ツアーの為アメリカに訪れた僧侶達とカリフォルニア州を中心に各地で中国武術の演舞を行う。
- 平成19年(2007年)の8月に糸東流空手道の最高師範出村文男先生から招待を受け、ラスベガスで開催された空手道の全米大会「小沢カップ」に特別ゲストとして参加する。この大会を主催している北米師範会の日本空手道の師範達も参加する。
- 平成21年(2009年)の2月にハリウッドで開催された日本映画祭ロサンゼルスで日本武道の抜刀術を演舞する。
[編集] イタリア
- 平成21年(2009年)5月17日に、イタリアのネットゥーノ市で開催されたイタリア最大のスポーツイベント「マーシャル・アーツ・ツアー」に特別ゲストとして参加する。観客数は、イタリアのスポンサーを含め3000人を超え会場が満席になる。小山田は、そこで日本武道居合道の演舞を披露する。コヤマダ・パフォーミング・アーツは、スポンサーとしても参加する。イタリア滞在期間中、イタリア最大の野球場でネットゥーノ市長から感謝状を表彰される。
- 平成22年(2010年)に、2010年にローマの約2万人収容可能な会場で開催されるこのイベントに主役として参加が決定している。アメリカから小山田の親友のハリウッドスタースティーブン・セガールとアメリカ在住の日本空手道最高師範出村文男先生、山下忠先生、窪田孝行先生の参加が決定している。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] アメリカ
2009年8月にハリウッド映画『Dirty Dancing』等を作曲した作曲家エリック・ブリングとパートナーシップであるアメリカレコード会社「ミーター・オン・レコーズ」を設立する。9月に小山田の初シングルとなる『Movin' On』(ムービン・オン)をデジタル・ダウンロード リリースする。[2]
[編集] デジタルシングル
| 発売日 | タイトル | 販売形態 |
|---|---|---|
| 2009年08月 | Movin' On(ムービン・オン) | デジタル・ダウンロード |
[編集] フィランソロピスト
フィランソロピストとして小山田は、日本、アメリカ、イタリアを始め世界中でチャリティー活動を続けている。2004年4月にヒューストン市で開催されたハリウッド俳優チャック・ノリスと第41代アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュがスタートした非営利団体「キック・スタート」主催のチャリティーイベントに小山田を特別招待した。この事がきっかけとなり活発的に数多くのチャリティーイベントに参加し、文化交流活動やチャリティー活動を始める。アメリカや日本の小、中、高等学校で数多くの講演を行う。2009年8月にカリフォルニア州立大学モントレー・ベイ校で初の大学講演を行う。
2008年3月10日、小山田の26歳の誕生日にアメリカで非営利団体「シン・コヤマダ・ファンデーション」(SKF) が設立された。SKFの主な活動内容は、国際交流活動、武道奨学金、国際教育活動、国際寄付活動、国際環境活動を行なっています。2009年8月にSKFの活動の一環として起業家の今井誠一郎、井本湧三とユース国際文化交流会(ファイシー)を開始する。2009年12月にロサンゼルス日本映画祭社長、トヨタ自動車BR企業価値開発室室長の改田哲也氏を特別招待し、ロサンゼルス日米文化会館で第3回ファイシーイベントを開催する。
[編集] 連載コラム
- 『小山田流エコロジー』シンカ・エンターテインメント・インターナショナル(2009年8月1日〜現在)
- 『小山田真 ハリウッドからの手紙』シンカ・エンターテインメント・インターナショナル(2009年7月1日〜現在)
- 『鳴らさない鐘は鳴らない 小山田真のハリウッド奮戦記』バラエティ・ジャパン(2008年1月〜2009年6月30日)
- 『小山田真 ハリウッド通信』山陽放送(2005年)
[編集] その他
[編集] 陸上競技
- 平成4年ー岡山市立三門小学校陸上競技クラブに入会。同年、岡山市ジュニア陸上クラブ(OJAC)に入会。
- 平成5年10月10日ー「第16回県民スポーツフェステリバル」種目小学生男子4X100Mで第3位。
[編集] 器械体操
- 平成10年4月ー岡山県立岡山一宮高等学校の器械体操部に入部。
- 平成11年ー岡山県立岡山一宮高等学校の器械体操部のキャプテンになる。同年、岡山県大会に初出場を果たす。
[編集] 脚注
- ^ "小山田真さんが東国原知事を表敬訪問。". 2007年08月06日 閲覧。
- ^ "ハリウッドで小山田真の英語版シングル『Movin' On』がダウンロード・リリース". 2009年09月1日 閲覧。
[編集] 外部リンク
[編集] オフィシャルサイト
- 小山田真:公式サイト(日本語)
- 小山田真:公式サイト(英語)
- 小山田真:公式サイト(イタリア語)
- 小山田真:連載コラム『小山田真 ハリウッドからの手紙』(日本語)
- 小山田真:連載コラム『小山田流エコロジー』(日本語)
[編集] 関連公式サイト
- (日)事務所「オフィス小山田(Office Koyamada)」(日本語)
- (日)映画制作会社「シンカ・エンターテインメント・インターナショナル(Shinca Entertainment International)」(日本語)
- (米)映画制作会社「シンカ・エンターテインメント(Shinca Entertainment)」(英語)
- (米)非営利団体「シン・コヤマダ・ファンデーション(Shin Koyamada Foundation)」(日本語、英語)
- (米)武道学校「コヤマダ・パフォーミング・アーツ・カンパニー(Koyamada Performing Arts Company)」(英語)