小室直樹

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こむろ なおき
小室 直樹
生誕 1932年9月9日
日本の旗 日本 東京都世田谷区
死没 2010年9月4日(満77歳没)
出身校 京都大学大阪大学
職業 東京工業大学世界文明センター特任教授
現代政治研究所所長
配偶者 あり
子供 なし
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小室 直樹(こむろ なおき、1932年9月9日 - 2010年9月4日[1])は、日本の学者。

東京大学法学博士(1974年取得[2])。東京工業大学世界文明センター特任教授。現代政治研究所(東京都千代田区)所長。

目次

[編集] 生涯

1932年東京都世田谷区生まれ。1937年、5歳の時に同盟通信の記者であった父が死去し、母の故郷である福島県会津若松市に転居する[3]

1951年福島県立会津高等学校卒業し、京都大学理学部数学科入学。位相幾何学を専攻する[4]

1955年、京大を卒業し、大阪大学大学院経済学研究科に進学。市村真一を指導教官とし、市村の家に泊まり指導を受け、高田保馬森嶋通夫安井琢磨二階堂副包らの下で 理論経済学の研究を始める。

1958年、阪大大学院博士課程に進学し、森嶋から、小室ともう一人の特別優秀な院生だけが選ばれ、域的安定性の収束過程について特別の指導を受けるなどした[5]

1959年、阪大大学院を中退したが、市村の推薦で、第2回フルブライト留学生としてアメリカミシガン大学大学院に留学しダニエル・スーツから計量経済学を1年の間学び、更に奨学金を得て研究を続けることになった。

1960年マサチューセッツ工科大学大学院で、ポール・サミュエルソンロバート・ソローハーバード大学大学院ではケネス・アローチャリング・クープマンスら名だたる人物から経済学を1年の間学ぶ。

1961年、再びハーバード大で、バラス・スキナー博士から心理学タルコット・パーソンズ博士から社会学ジョージ・ホーマンズ教授から社会心理学を1年の間学んだ。

フルブライト留学生の限度が3年だったため、1962年、帰国。

1963年東京大学大学院法学政治学研究科に進学。丸山眞男が指導教官となり政治学を学ぶが、小室が心理学ばかり勉強しているので、丸山の弟子の京極純一に預けられた。その他にも、東大のゼミナールを渡り歩き、中根千枝から社会人類学を、篠原一から計量政治学を、川島武宜から法社会学をそれぞれ学んでいる。

1965年富永健一から社会学を学ぶようになる。

1967年から、ボランティアで所属・年齢・専攻を問わない自主ゼミ(小室ゼミ)を開講し、経済学を筆頭に、法社会学、比較宗教学、線型代数学統計学抽象代数学解析学などを幅広く無償で教授していた。小室ゼミ出身者には橋爪大三郎宮台真司副島隆彦らがいる[6]

1970年大塚久雄の近所に引越し、直接マックス・ヴェーバーについて学びながら、宗教についての研究を始める。後掲「社会科学における行動理論の展開」で城戸賞受賞。

1972年、東京大学から「衆議院選挙区の特性分析」で法学博士学位を取得し、東京大学非常勤講師に就任。

1976年、日本研究賞を受賞した論文「危機の構造」と、いくつかの雑誌に発表した論文をまとめ、加筆した最初の単著『危機の構造』(ダイヤモンド社)刊行。

1980年山本七平の紹介で、光文社から初の一般向け著作である『ソビエト帝国の崩壊』が刊行されベストセラーになり、評論家として認知されるようになる。

2006年秋、副センター長を務める弟子・橋爪大三郎に招聘されて、東京工業大学世界文明センター特任教授に着任。4年余りであったが終生の仕事とする。

2010年9月4日に心不全のため東京大学医学部附属病院で死去。満77歳没。9月9日に葬儀を終えた[7]が公式に発表されず、翌9月10日、 副島隆彦が自らの公式ウェブサイトの掲示板に投稿し、すでに葬儀を終えたとする小室の訃報を同投稿の前日の9日に受けた旨の記述を行った[8]9月28日になり東京工業大学が死去を発表し[7]、これを受け広く報道された。

[編集] 学説・思想

小室は、その行動から奇人と評されることが多い[9]が、その思想・学説は全て原理、原則に基づくもので、小室自身も学生や一般読者に向けて「正当な学問」を学ぶことの重要性を説いている[10]

小室は、典型的な軍国少年で、日本の敗戦の知らせを聞いたときの悔しさが学問を志す原体験となっており、高校在学中に湯川秀樹博士のノーベル賞受賞を聞くと、日本アメリカ合衆国を打ち倒し、世界から尊敬を受けることができるようになる国になるための研究ができると思い、京大理学部を志望した[11]。ところが、小室が京大に入学したころは既に湯川が研究の第一線を退いていたため、小室は、失意の日々を送っていたが、ジョン・ヒックスの『価値と資本』の解説を書いていた市村真一論文を読んで、まるで理論物理学のようなエレガントさに魅了されて、学問の枠を超えて、理論経済学に興味を持ち、当時高田保馬森嶋通夫安井琢磨二階堂副包ら日本のトップレベルの経済学者大阪大学社会経済研究所に集め、阪大ゴールデン時代とまで呼ばれた大阪大学大学院経済学研究科に進学し、「正当な学問」を身につける[12]

このような経緯から、経済学が小室の思想の出発点となったのである。小室は、レオン・ワルラス一般均衡理論によって初めて経済学が単なる思想ではなく、科学として成立したとした上で、この「正当な学問」としての経済学を日本に正しく紹介したのは高田保馬であるとする。高田の「私が一生かかっても十分に理解できない学者が二人いる。ケインズとヴェーバーだ」との言を聞いた小室は、いつか両学者の研究をすることを決意する[13]

小室は、市村真一の期待を一身に受け、経済学の本場アメリカ留学することになるが、研究を進めるに連れて、ヒックス、サミュエルソン、アローなどにより理論経済学の研究は完成されてしまったと考え、社会学政治学の理論化を研究しようと決意する。そのためには、当時実証科学の条件を満たしていた心理学を学ぶことが社会学政治学の理論化に有益であると考え、スキナーの下で行動主義心理学を学び、学問の分野を超えて最先端の「正当な学問」を身につけて帰国するが、経済学から転向することを告げると市村から破門された。

その後、小室は、様々な分野の学問の研究を続けていたが、高田保馬の『社会学概論』(岩波書店)の解説を書いた富永健一から社会学を学ぶようになったことがきっかけで、社会学の雑誌に立て続けに一連の論文を発表し、行動主義心理学を社会学に応用したパーソンズの構造機能分析を日本で他に先駆けて整理して論じた[14]

後掲「社会動学の一般理論構築の試み」を発表すると、この論文川島武宜の目に止まり、川島編集の後掲『法社会学講座』の編集協力・執筆に冨永と共に加わることとなった。『法社会学講座』は、当時著名な教授・助教授が執筆者として名を連ねているが、当時無名であった小室の経歴だけが「京大卒」とのみ書かれているほど異例の大抜てきであった。その論文の内容は、理論経済学を社会学に応用しようとする、ホマンズの社会行動論を踏まえながら、ワルラスの一般均衡理論を構造機能分析を利用して法社会学に応用し、自身が提唱した「規範動学モデル」によって、日本とは全く社会的な条件が異なる西欧社会の法体系を日本に導入した場合、全く同じ条文でも、母法の国と継受国では全く異なる機能を果たすことがある現象の分析が可能になるとするものである[15]。これにより小室の学説の一般理論は一通り完成するが、その特徴は、スキナー、ホマンズ、パーソンズらから学んだ「正当な学問」を分野を超えて統合した点にあるといえ、以後その一般理論によって現実の社会現象を分析し、これを予測するという応用の研究を始める。『ソビエト帝国の崩壊』は、正にその構造機能分析を応用し、予言を的中させたものであるとされる[16]

小室は、人類学の研究を進めていくにつれ、その研究対象が様々な未開社会の親族構造の研究にとどまっていることに不満を持ち、近代資本主義の解明のためには、ヴェーバーを学ぶ必要があると考えるようになり、大塚久雄から直接指導を受ける。そして、西欧において近代資本主義が発達したのは、宗教改革によって西欧社会のエートスが変化し、プロテスタントが禁欲的労働というエートスを得たからであり、このことから社会における「構造」が絶対不変のものではなく、変化し得るとのアイデアを得る。そして、このアイデアを構造機能分析に応用して、日本において資本主義が定着していったのは、西欧と日本は同じ禁欲的労働というエートスをもっているからであり、その日本における象徴が二宮尊徳であるとする。

その後、小室は、西欧における近代資本主義と日本資本主義の違いについて研究するため、山本七平の知遇を得て、日本独自の宗教ともいうべき「日本教」、天皇制の研究を始め、これが西欧の古典だけでなく、中国韓国の古典、儒教官僚制の研究に繋がっていく。

小室は、自身の応用研究を更に深め、近代資本主義が成立するためには絶対性と抽象性を特徴とする近代的所有権が制度として確立されていることが必要であるとの川島武宜の学説を承継した上で、これを経済学研究と結びつけてセイの法則が機能を停止し、自由放任が資源の最適分配を行い得なくなった現代社会では近代的所有権の概念は修正されざるを得ないとして発展させた。

小室は、大塚久雄から「川島先生には正当な後継者がいない。川島先生の理論を完成させることができるのは小室さんだけだ。完成させてよ」との遺言を預かるが[17]、遂げられなかった。

[編集] 評論活動

『ソビエト帝国の崩壊』で、ソ連崩壊とその過程を10年以上も前から予言していた。後の『ソビエト帝国の最期』(1984年)には富永の推薦文があり、小室を天才だと評し、「しばらくしたら再びアカデミズムの世界に戻ってくるように」とまで書いている。『ソビエト帝国の崩壊』の出版から、十数年間にわたって光文社のカッパビジネス、カッパブックスより27冊の著作が刊行された。その他多数の著作がある。

著作数は、小室一人の著作で、内容が同じか、ほぼ同じである再出版の本をカウントしない場合、約60冊になり、共著のものは10数冊、また、再出版されたものが10冊程度存在する(1976~2008)。

ロッキード事件では渡部昇一らと共に田中角栄の無罪を主張した。その論拠は、刑事免責を付与して得られた嘱託証人尋問調書は、反対尋問権を保障した憲法に反するという点にあった。後に最高裁は、この論点には触れず、刑事免責に関する立法の欠如を理由に、嘱託証人尋問調書の証拠能力を否定したが、その点を考慮しても他の関係証拠によって犯罪事実は認定できるとした。なお、この最高裁判決には、反対尋問の機会を一切否定する嘱託証人尋問調書は、刑事訴訟法1条の精神に反し証拠能力が否定されるとする補足意見がある。

[編集] エピソード

  • 会津にいた頃から秀才の誉れ高く、福島県立会津高等学校時代、数学、物理などの学力は高校教師を凌ぐほどであり[18] 、後に政治家となる渡部恒三弁護士渡部喬一第二東京弁護士会所属)と知り合う。
  • 母子家庭ということで幼少時の生活はかなり苦しかったらしく、会津高校時代は昼食の弁当を用意できず、昼休みになるといつも教室から姿を消していたという。ある時それを知った渡部恒三が、自分の下宿に頼んで弁当を2個用意してもらうように手配し、以後昼食にありつけるようになった[19]
  • 京大受験の際も渡部恒三の父の友人から京都までの往復の旅費を援助してもらったが、京都滞在中の費用がかさみ帰途の交通費が無くなってしまう(渡部恒三曰く「合格して嬉しくなり、有り金を全部飲んでしまったんだろう」とのこと)。支援者の手前追加の金を無心するわけにも行かず、小室はやむなく京都から福島まで徒歩で帰ってきたという[19]
  • 大学の経済学部の教育について、「中身が無い。自分だったら3日でやれることを1年がかりでやっている。大学で勉強するなら数学、物理など演習のあるものをやった方がいいですよ」と答えていた[20]
  • 他の研究者が驚くほどの読書力を持っているようで、本人の話では日本語、英語のふつうの本ならば、1時間で読んでしまうとのことで[21]、また重要と思われる本は最低10回は読むとのことで、学生にもテキストの徹底した精読をアドバイスしている[22]
  • ベストセラーを書くまでの主な収入は家庭教師で、受験生のほか、大学の研究者(教授など)まで教えたことがあったとのことである[23]
  • 『ソビエト帝国の崩壊』を書くきっかけは、病気で入院した際の費用の捻出に困ったためと言われていて(たとえば渡部喬一『商法の読み方』(祥伝社)など参照)、小室の才能を知る友人(渡部喬一弁護士、山本七平など)がサポートをしたとされている。
  • 小室はかつて自分の過激な言動が誤解を招いていることについて、「人間なんて、命賭ける理想と同時に、下賤な部分だって持っている。その両方を公平に見て欲しいな」と答えていた(雑誌『ビッグ・トゥモロウ』1984年4月号のインタビューに答えて)。
  • 自由主義史観論者であり新しい歴史教科書をつくる会の賛同者にも名を連ねており、著書でも日本統治終了後も李承晩反日教育をほどこすまでは韓国はさして反日ではなかったと書いているが一方で在日朝鮮人参政権は認めるべきである、との主張も著書でしている。

[編集] 小沢遼子足蹴り事件

1983年1月26日、ロッキード事件被告田中角栄への求刑公判の日、テレビ朝日の番組「こんにちは2時」の生放送に出演した。番組のテーマはもちろん角栄の裁判であり、小沢遼子ら反角栄側2人と小室による討論を行った。ところが冒頭、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。検事をぶっ殺してやりたい。検察官は死刑だ。」とわめき出し、田中批判を繰り広げた小沢遼子を足蹴にして退場させられた[24]

ところが、翌日朝、同局は小室を「モーニングショー」に生出演させた。その際さらにパワーアップしてカメラの面前で「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと叫び、そのまま放送された[25]

これをもってテレビ出演はほとんどなくなり、以後、奇人と評された。

テレビでの小室の発言は新聞や雑誌などで取り上げられ、新聞の投書欄にも一般の人から意見が寄せられた。それらの多くは小室を奇矯な発言をする人物として非難していた[26]

[編集] 論文・著書・共著

1966年

  • 「社会動学の一般理論構築の試み」(岩波書店『思想』)
  • 「構造機能分析と均衡分析」(社会学評論)

1967年

  • 「構造機能分析の原理」(社会学評論)

1968年

  • 「社会科学における行動理論の展開」(岩波書店『思想』)

1969年

  • 「構造機能分析の理論と方法」(社会学評論)

1972年

  • 「規範社会学」川島武宜編『法社会学講座4-法社会学の基礎2-』(岩波書店)

1974年

  • 「構造-機能分析の論理と方法」青井和夫編『社会学講座1-理論社会学Ⅰ』(東京大学出版会)

1976年

  • 『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(ダイヤモンド社、1982年に増補版、1991年に中公文庫版、ただし内容は1976年のものである)

1980年

  • 『ソビエト帝国の崩壊 瀕死のクマが世界であがく』(光文社カッパ、のち文庫) ISBN 4334707130
  • 『アメリカの逆襲 宿命の対決に日本は勝てるか』(光文社カッパ、のち文庫) 

1981年

  • 『新戦争論 “平和主義者”が戦争を起こす』(光文社カッパ、のち文庫) 
  • 『超常識の方法』 頭のゴミが取れる数学発想の使い方』(祥伝社ノンブック、2005年ワック出版より『数学を使わない数学の講義』の書名で再出版)
  • 『日本教の社会学』(講談社、山本七平と共著) ISBN 4061458159
  • 『アメリカの標的 日本はレーガンに狙われている』(講談社)
  • 『小室直樹の日本大封鎖 世界の孤児日本は生き残れるか』(対談集、ロングセラーズ)
  • 『日本人の可能性』(プレジデント社、並木信義・山本七平と共著)

1982年

  • 『資本主義中国の挑戦 孔子と近代経済学の大ゲンカ』(光文社)
  • 『日本「衆合」主義の魔力 危機はここまで拡がっている』(ダイヤモンド社)
  • 『あなたも息子に殺される 教育荒廃の真因を初めて究明』(太陽企画出版)
  • 『脱ニッポン型思考のすすめ』(ダイヤモンド社、藤原肇と共著)

1983年

  • 『田中角栄の呪い “角栄”を殺すと、日本が死ぬ』(光文社)
  • 『田中角栄の大反撃 盲点をついた指揮権発動の秘策』(光文社)
  • 『日本の「一九八四年」 G.オーウェルの予言した世界がいま日本に出現した』(PHP)
  • 『政治が悪いから世の中おもしろい 乱世に嵐を呼ぶ』(ベストセラーズ、のち天山文庫) 

1984年

  • 『ソビエト帝国の最期 “予定調和説”の恐るべき真実』(光文社)
  • 『偏差値が日本を滅ぼす 親と教師は何をすればいいか』(光文社)
  • 『親子関係は親分と子分だ 息子(娘)に脅える親に告ぐ』(ベストセラーズ・ワニの本)

1985年

  • 『韓国の悲劇 誰も書かなかった真実』(光文社) ISBN 4334011853
  • 『奇蹟の今上天皇』(PHP) ISBN 456921536
  • 『三島由紀夫が復活する』(毎日コミュニケーションズ、『三島由紀夫と「天皇」』天山文庫) 
  • 『世界戦略を語る』(展転社、倉前盛通と共著)

1986年

  • 『韓国の呪い 広がるばかりの日本との差』(光文社)
  • 『罵論・ザ・犯罪-日本「犯罪」共同体を語る』(アス出版、栗本慎一郎長谷川和彦と共著)
  • 『天皇恐るべし 誰も考えなかった日本の不思議』(ネスコ・文藝春秋)

1987年

  • 『大国日本の崩壊 アメリカの陰謀とアホな日本人』(光文社)
  • 『大国日本の復活 アメリカの崩壊にどう対処するか』(光文社)

1988年

  • 『大国日本の逆襲 アメリカの悪あがきにトドメを刺せ』(光文社)
  • 『韓国の崩壊 太平洋経済戦争のゆくえ』(光文社)

1989年

  • 『中国共産党帝国の崩壊 呪われた五千年の末路』(光文社)
  • 『昭和天皇の悲劇 日本人は何を失ったか』(光文社)
  • 『消費税の呪い 日本のデモクラシーが危ない』(光文社、『悪魔の消費税』天山文庫)

1990年

  • 『ソビエト帝国の分割 日・米・独の分捕り合戦がはじまる』(光文社)
  • 『アラブの逆襲 イスラムの論理とキリスト教の発想』(光文社)
  • 『社会主義大国日本の崩壊 新自由市場主義10年の意識革命』(青春出版社)

1991年

  • 『ソビエト帝国の復活 日本が握るロシアの運命』(光文社)
  • 『ロシアの悲劇 資本主義は成立しない』(光文社)
  • 『日米の悲劇 “宿命の対決”の本質』(光文社)

1992年

  • 『信長の呪い かくて、近代日本は生まれた』(光文社、増補・ビジネス社『信長 近代日本の曙と資本主義の精神』、2010年)
  • 『日本資本主義崩壊の論理 山本七平“日本学”の預言』(光文社)
  • 『日本経済破局の論理 サムエルソン「経済学」の読み方』(光文社、2004年 修正・加筆されて講談社+α文庫『経済学のエッセンス』)

1993年

  • 『国民のための経済原論 Ⅰ・Ⅱ』(光文社)
  • 『天皇の原理』(文藝春秋)
  • 『国民のための戦争と平和の法 国連とPKOの問題点』(総合法令、色摩力夫と共著)
  • 『自ら国を潰すのか 「平成の改革」その盲点を衝く』(徳間書店、渡部昇一と共著)

1994年

  • 『田中角栄の遺言 官僚栄えて国滅ぶ』(クレスト社) ISBN 4877120157 ISBN 4883970213(2010年,『日本いまだ近代国家に非ずー国民のための法と政治と民主主義ー』と改題復刊(ビジネス社)ISBN 4828416226

1995年

  • 『大東亜戦争ここに甦る 戦争と軍隊、そして国運の大研究』(クレスト社)
  • 『封印の昭和史-戦後50年自虐の終焉-』(徳間書店、渡部昇一との共著)
  • 『太平洋戦争、こうすれば勝てた』(講談社、日下公人との共著、改題『大東亜戦争、こうすれば勝てた』講談社+α文庫、2001年)

1996年

  • 『これでも国家と呼べるのか 万死に値する大蔵・外務官僚の罪』(クレスト社)
  • 『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、必ず滅亡する』(クレスト社、のちワック出版、2005年) ISBN 4898310850
  • 『小室直樹の中国原論』(徳間書店)

1997年

  • 『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』(徳間文庫)
  • 『人にはなぜ教育が必要なのか』(総合法令、色摩力夫と共著)
  • 『小室直樹の資本主義原論』(東洋経済)
  • 『悪の民主主義-民主主義原論-』(青春出版社)

1998年

  • 『日本人のための経済原論』(東洋経済)
  • 韓非子の帝王学』(プレジデント社、西尾幹二市川宏と共著)

1999年

  • 『歴史に観る日本の行く末 予言されていた現実!』(青春出版社) ISBN 441303130

2000年

  • 『日本の敗因 歴史は勝つために学ぶ』(講談社、のち講談社+α文庫、2001年)
  • 『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』(徳間書店) ISBN 4198611688
  • 『資本主義のための革新(イノベーション)小室直樹経済ゼミナール』(日経BP社)

2001年

  • 『新世紀への英知 われわれは、何を考え何をなすべきか』(祥伝社、谷沢永一・渡部昇一と共著)
  • 『痛快!憲法学 アメージング・スタディ』(集英社、改題『日本人のための憲法原論』集英社インターナショナル、2006年) ISBN 4797670312
  • 『数学嫌いな人のための数学 数学原論』(東洋経済) ISBN 4898310826

2002年

  • 『人を作る教育、国を作る教育 いまこそ、吉田松陰に学べ!』(日新報道、大越俊夫と共著)
  • 『日本人のためのイスラム原論』(集英社) ISBN 4797670568
  • 『日本国憲法の問題点』(集英社)

2003年

  • 『論理の方法 社会科学のためのモデル』(東洋経済) ISBN 4492222308

2004年

  • 『経済学をめぐる巨匠たち 経済思想ゼミナール』(ダイヤモンド社)

2007年

※『ソビエト帝国の崩壊』『アメリカの逆襲』『新戦争論』は光文社文庫、『政治が悪いから世の中おもしろい』『三島由紀夫が復活する』『消費税の呪い』は天山出版にて文庫化されたが絶版。

[編集] 脚注

  1. ^ 9月28日東京工業大学が発表した(時事通信社)
  2. ^ 博士論文のタイトルは「衆議院選挙区の特性分析」、甲第3244号
  3. ^ 『データバンクにっぽん人』(佐藤正弥編、1982年)
  4. ^ 「特集 日本の選択 毎日・日本研究賞 喜びの入賞者 「危機の構造」小室直樹(政治学者)」『毎日新聞』1975年(昭和50年)2月7日(金曜日)付朝刊、第6版、第13面。
  5. ^ 『経済学をめぐる巨匠たち』254頁
  6. ^ 橋爪大三郎、副島隆彦共著『現代の預言者・小室直樹の学問と思想――ソ連崩壊はかく導かれた』(弓立社, 1992年)
  7. ^ a b “小室直樹氏が死去…異色の評論家、ソ連崩壊予言” (日本語). 読売新聞. (2010年9月28日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100928-OYT1T00640.htm 2010年9月28日閲覧。 
  8. ^ 80 追悼 小室直樹 先生副島隆彦、副島隆彦の学問道場、2010年9月10日付、2010年9月13日閲覧。
  9. ^ 1980年代前半の雑誌などを見ると、小室が奇人変人扱いされていることが容易にわかると思われる。1982年テレビ朝日の深夜番組『トゥナイト』の取材を受けたことがあり、最近ベストセラーを何冊も出している、風変わりな学者として放送された。他にも小室の本のカバーの推薦文を見ると、「常人のワクを超えた奇行のために不遇で」(富永健一)、「奇人でなければ語れぬこともある」(松原正)、「彼と同行するのはある種の覚悟が必要だという人もいるが」(山本七平)等の言葉が見られる。また栗本慎一郎は自著の中で小室について、その学識を高く評価した上で、「奇行ばかりが有名で、・・・フシギな人物」と書いている。
  10. ^ 『経済学をめぐる巨匠たち』251頁
  11. ^ 『現代の預言者・小室直樹の学問と思想』
  12. ^ 『経済学をめぐる巨匠たち』235頁
  13. ^ 『経済学をめぐる巨匠たち』243頁
  14. ^ 上掲「構造機能分析と均衡分析」
  15. ^ 上掲「規範社会学」
  16. ^ 『現代の預言者・小室直樹の学問と思想――ソ連崩壊はかく導かれた』
  17. ^ 『経済学をめぐる巨匠たち』
  18. ^ 『ビッグ・トゥモロウ』1984年4月号
  19. ^ a b 東京スポーツ・2011年2月16日付 島地勝彦「グラマラスおやじの人生智」
  20. ^ 上掲『データバンクにっぽん人』
  21. ^ 『私の書斎活用術』(「知的生産の技術」研究会編、講談社、1983年)
  22. ^ 『現代の預言者・小室直樹の学問と思想』
  23. ^ 上掲『データバンクにっぽん人』
  24. ^ 上掲「鉄の処女」136頁
  25. ^ 立花隆『ロッキード裁判とその時代 4』朝日文庫 1994年
  26. ^ 当時毎日新聞に連載されていた加藤芳郎の『まっぴら君』にも小室の事件をモチーフにしたものが登場し、道端で小室らしき人物が、「検事を殺せ」「田中に一兆円やれ」などと叫んでいると、聞いている一人が「わーい、一理ある」と拍手を送っているのを見てまっぴら君らが、「例の評論家ですか」「サクラだよ」と話をする内容であった。

[編集] 外部リンク

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