小出英長

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小出英長
時代 江戸時代前期
生誕 寛文5年3月3日1665年4月18日[1]
死没 元禄7年12月17日1695年1月31日
改名 吉住→英長
別名 久次郎、蔵人
戒名 休心太岳仙峯院
墓所 東京都港区三田の随応寺
官位 従五位下播磨守
幕府 江戸幕府
主君 徳川綱吉
但馬出石藩
氏族 小出氏
父母 父:小出英信
養父:小出英益
兄弟 小出英輝小出英長
半井成忠
英及
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小出 英長(こいで ふさなが)は、江戸時代前期の大名但馬国出石藩8代藩主。官位従五位下播磨守。出石藩小出家7代。

生涯[編集]

養父郡大藪に2000石の所領を持つ旗本小出英信の次男として誕生。

英長も父から500石を分与されていたが、元禄5年(1692年)に本家の先代藩主・小出英益が死去したため、その養嗣子となって跡を継いだ。このとき、自分の500石を本家に併合したため、4万4000石を領するようになる。

元禄7年(1694年)12月17日、30歳で死去した。死後、家督は生後1か月しかたっていない長男の英及が継いだ。法号は休心太岳仙峯院。墓所は東京都港区三田の随応寺。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『園部町史 史料編 第2巻』(園部町、1981年)p.13