小出英安

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小出 英安
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永14年4月29日1637年6月21日
死没 元禄4年12月26日1692年2月12日
改名 万作(幼名)→英安
別名 勘解由(通称
戒名 法雲院殿貫翁紹通大居士
墓所 兵庫県豊岡市出石町東條の宗鏡寺
官位 従五位下、備前
幕府 江戸幕府
但馬出石藩
氏族 小出氏
父母 父:小出吉重、母:有馬豊氏の娘
兄弟 英安有馬豊祐英直
正室:内藤頼長の娘
英益英道
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小出 英安(こいで ふさやす)は、但馬出石藩の第6代藩主。出石藩小出家5代。

生涯[編集]

第5代藩主・小出吉重の長男。延宝元年(1673年)12月12日、父の隠居により家督を継ぐ。このとき、弟の英直に1500石を分与した。

藩政では養父郡の伊佐新田などをはじめとする新田開発、藩札の発行などに尽力して手腕を見せたが、家臣などに対する粛清もひどかった。藩札発行では不正があったとして商人や家臣団の多くを処刑、もしくは追放に処した。さらにこれを諫めた家老や奉行、さらには医師なども追放に処すか、あまりのやり方に自ら退去している。元禄4年(1691年)12月26日、55歳で死去し、跡を長男の英益が継いだ。

英安の墓所(宗鏡寺