寒い国から帰ってきたスパイ

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寒い国から帰ってきたスパイ
The Spy Who Came in from the Cold
著者 ジョン・ル・カレ
発行日 イギリスの旗 1963年9月
日本の旗 1978年5月
発行元 イギリスの旗 Victor Gollancz & Pan
日本の旗 早川書房
ジャンル スパイ小説
イギリスの旗
言語 英語
ページ数 256ページ(ハードカバー)
240ページ(ペーパーバック)
334ページ(ハヤカワ文庫)
前作 高貴なる殺人
次作 鏡の国の戦争
コード ISBN 0-575-00149-6(ハードカバー)
ISBN 0-330-20107-7(ペーパーバック)
ISBN 978-4-15-040174-0ハヤカワ文庫
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寒い国から帰ってきたスパイ』(さむいくにからかえってきたスパイ、The Spy Who Came in from the Cold)は、1963年に出版されたジョン・ル・カレによるスパイ小説冷戦を舞台として東側諸国と水面下で争う西側諸国諜報活動民主主義と矛盾する現実を描いた。

小説は世界的なベストセラーとなり高い評価を受けた。

1965年にはマーティン・リット監督により「寒い国から帰ったスパイ」として映画化されている。

あらすじ[編集]

イギリス情報機関である秘密情報部(ケンブリッジ・サーカス)のベルリンにおける責任者アレック・リーマスは、東ベルリンとの間にある検問所でスパイのカルル・リーメックが現れるのを待っていた。東ドイツ政府高官であるリーメックは、これまでサーカスのために働いてきたが、スパイ網の構成員が大量に逮捕され危険が迫り、亡命することになっていた。検問所を無事に通過したと思われた瞬間、東側の人民警察が発砲しリーメックは射殺された。リーマスは、元ナチスで冷酷な東ドイツ諜報部副長官のムントが背後にいることを確信する。

ベルリンでの諜報網が壊滅し、リーマスはイギリスに呼び戻された。解雇されることを覚悟していたリーマスは、秘密情報部の長官である管理官により経理部へ左遷された。リーマスは酒に溺れ、横領の容疑により解雇され、様々な仕事を転々とした後、ある図書館の整理係に雇われた。リーマスはここでイギリス共産党員の司書リズ・ゴールドと恋人となる。リーマスは食料品店の店員を殴り監獄へ入れられる。

出所したリーマスはベルリン時代の知人と名乗る男と偶然出会い、ある仕事の口を提供される。この男は東ドイツ諜報機関のスパイで、リーマスに情報の提供を依頼してきた。実は、リーマスが転落したのは管理官がジョージ・スマイリーらと共に立案した作戦であり、リーマスが不当な扱いを受け解雇されたと装って東側の二重スパイとなり、虚偽の情報を流してムントを失脚させる大胆な計画だった。リーマスはムントへの憎悪からこの危険な任務を承諾していた。

リーマスは東ドイツのスパイとともにオランダへ渡り、大金と引き換えにイギリス情報部の情報を提供した。尋問の最中にリーマスは、東ドイツ諜報部内にイギリスの二重スパイが潜んでいることをそれとなく暗示する。その頃イギリスではスマイリーがゴールドを訪問し、リーマスへの援助を申し出る。

機密保護法違反で指名手配されたリーマスは東ドイツへと渡った。東ドイツ諜報部の防諜局長であるフィードラーが自らリーマスを尋問する。有能な工作員であるフィードラーは、それまでムントの元で働くことに満足していたが、ムントが二重スパイではないかと疑うようになっていた。元ナチスである機会主義者のムントと、理想主義的な共産党員かつユダヤ人であるフィードラーとの間には、潜在的に対立する関係にあった。管理官の作戦では、このフィードラーを用いてムントを失脚させる予定となっていた。

フィードラーとリーマスはイデオロギー的な問答を交わす。フィードラーは、東側の情報活動は平和と社会的進歩のための闘争としての共産主義運動の前衛であり、その目的のためには個人の犠牲は正当化されると主張し、それに対してキリスト教と民主主義思想に基づく西側諸国はどう折り合いをつけているのかとリーマスに尋ねる。

フィードラーの疑いを知ったムントは、フィードラーとリーマスを逮捕し、粛清を企てた。しかしフィードラーは既に東ドイツ政府最高会議に対してムントを告発しており、最高会議はフィードラーを釈放して逆にムントを拘束した。ムントはリーマスの証言に基づき二重スパイの容疑で査問会にかけられた。

査問会においてリーマスは、イギリス情報部からムントへ提供された金を振り込んだ北欧の複数の銀行の口座の情報を明らかにした。口座への入金時期とムントがコペンハーゲンとヘルシンキを訪問した期間が一致したことで、ムントは追い詰められたかのように見えた。

ここでムントの弁護人は、交換党員プログラムによりドイツを訪問していたゴールドを証人として召喚した。状況を理解しきれていないゴールドは、リーマスを助けようとするが、自分とリーマスが殴った店員に対して何者かから金が渡されたこと、その前の晩にリーマスから別れを告げられていたことなどを喋ってしまう。管理官によるムント失脚の陰謀が暴露され、リーマスもこれを認める一方で、ゴールドやフィードラーは陰謀に関与していないことを訴える。ムントの放免とフィードラーの拘束が決まった瞬間、リーマスは真相を悟る。

拘束されていたゴールドはムントにより釈放され、リーマスと車で逃走する。ベルリンへと向かう車の中で、リーマスはゴールドに対して真相を伝えた。ムントは実際にイギリスの二重スパイであり、作戦の目的はムントを以前から疑っていたフィードラーを排除することにあった。管理官たちはリーマスに真の目的を伝えておらず、またゴールドのいる図書館でリーマスが働くようになったのも周到に用意された計画の一部であった。

敵側であっても紳士的であったフィードラーを粛清し、冷酷なムントを助ける作戦の矛盾をゴールドは糾弾する。リーマスはこれは戦争なのだと答えるが、作戦の非倫理性と騙されていた自らの愚かさを呪う。

二人はベルリンに到着し、ムントの部下の手引でベルリンの壁を越えて西ベルリンへと逃亡しようと試みる。ムントの部下は逃亡方法を細かく指示し、リーマスはそれにしたがって壁に登り、ゴールドを引っ張り上げようとする。その瞬間、探照灯が一斉に灯り、警備員によってゴールドは射殺される。西側からは、「女は無事か」と叫ぶスマイリーの声がするが、リーマスはゆっくりと東側へと戻る。躊躇の後、リーマスもまた射殺された。

物語の背景[編集]

物語は冷戦が最も緊張化し、ワルシャワ条約機構とNATOとの間に戦争が発生する危険性が現実的なものと受け止められていた1950年代から1960年代にかけての時代を舞台としている。冷戦の最前線であったベルリンでは1961年にベルリンの壁が築かれていた。

西側と東側の情報機関の争いも水面下で激しさを増していた。CIAとSISはベルリンにおいて1950年代に金工作を開始していた。

情報機関に潜む二重スパイは実際に多く存在した。ケンブリッジ・ファイヴとして知られるSIS職員のガイ・バージェスドナルド・マクリーンは1951年に露見しソ連へ亡命した。SIS職員でKGBの二重スパイであったジョージ・ブレイクは1961年に逮捕された。キム・フィルビーは50年代にSISを解雇され、1963年にソ連へと逃亡した。元SD (ナチス)将校でドイツ連邦情報局の対ソ連防諜局局長であったハインツ・フェルフェは、1961年にKGBの二重スパイ容疑で逮捕され、のちに西側スパイとの交換で東側へと渡った。

テーマ[編集]

ル・カレと同じくSISに所属した経験を有するイアン・フレミングが執筆したジェームズ・ボンドシリーズが娯楽作品として評価されたのに対し、ル・カレは「寒い国から帰ってきたスパイ」を徹底したリアリズムにより中年の冴えない人物の主人公が苛烈な現実に翻弄される様子を描いた。ル・カレは執筆当時、西ドイツのボン駐在のイギリス外交官に偽装して情報活動に従事していた[1]

作品の根底には、西側諸国による時に違法な作戦が含まれていたその情報活動が、自身の政府が奉じる民主主義によって正当性を与えられるとしていたことへの反発がある。戦時中をカナダで過ごした理想主義的な共産主義者のフィードラーと、元ナチスで戦後も反ユダヤ思想を捨てず殺人を躊躇しないムントは著しい対照を成している。イギリスの情報機関はムントを二重スパイとして利用し、フィードラーを粛清させる。ムントは物語の終盤でリーマスを逃亡させるが、自身の安全を確保するため、情報を漏らす危険のあるゴールドの射殺を許可したことが示唆されている。ゴールドを利用したイギリス情報部は、ムントによるゴールドの殺害を懸念するものの、実際に手をうとうとはしない。ル・カレはこの作品において「個人は思想よりも大切」であることを西側諸国へと示したかったと述べ、「大衆の利益のために個人を犠牲にして顧みない思想ほど危険なものはない」とも語っている[2]

評価[編集]

英国推理作家協会から1963年度のゴールド・ダガー賞に選出された。1965年にはアメリカ探偵作家クラブからエドガー賞 長編賞が授与された。両賞を共に受賞した作品はこれがはじめてである。2005年にはダガー賞受賞作品の中でも最良の作品であるとして「Dagger of Daggers」賞を送られている。

作品は「タイム」が、同誌が創刊された1923年から現在までに出版された英語で書かれた小説の「史上最高の小説100册」(All-Time 100 Novels)に選んでいる[3]。2006年にはアメリカの図書業界向けの権威ある雑誌である「Publishers Weekly」により、歴代最高のスパイ小説に選ばれている。

登場人物[編集]

  • アレック・リーマス(Alec Leamas):ベルリンにおけるイギリス秘密情報部(ケンブリッジ・サーカス)の責任者
  • ハンス=ディーター・ムント(Hans-Dieter Mundt):東ドイツの諜報部(アプタイルンク)副長官。現場作戦の指導者。元ナチス反ユダヤ主義
  • フィードラー(Fiedler):ムントの部下。対敵諜報局長。ユダヤ人
  • リズ・ゴールド(Liz Gold):イギリスの図書館員。イギリス共産党
  • 管理官(Control):イギリス秘密情報部の長官
  • ジョージ・スマイリー(George Smiley):イギリス秘密情報部の元職員
  • ピーター・ギラム(Peter Guillam):イギリス秘密情報部の職員
  • カルル・リーメック(Karl Riemeck):東ドイツ政府の高官。ドイツ社会主義統一党最高会議メンバー。イギリスのスパイ

参照[編集]

  1. ^ John le Carré: 'I was a secret even to myself'”. The Guardian (2013年4月12日). 2013年12月22日閲覧。
  2. ^ ジョン・ル・カレ 『「寒い国から帰ってきたスパイ」訳者あとがき』 ハヤカワ文庫、1978年、332頁。
  3. ^ All-TIME 100 Novels The Spy Who Came in From the Cold”. The TIME (2010年1月18日). 2013年12月22日閲覧。

外部リンク[編集]