冨士大石寺顕正会

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顕正会
設立年 1942年
種類 宗教法人
地位 新興宗教
本部 日本の旗 日本 埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1(届け出上は東京都板橋区常盤台1-14-1)
公用語 日本語(国内の会館)、中国語繁体字(台北会館)
会長 浅井昭衛
設立者 浅井甚兵衛
ウェブサイト http://www.kenshokai.or.jp/
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冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は、埼玉県さいたま市大宮区寿能町(届け出上は東京都板橋区常盤台)に本部を置く仏教系新興宗教団体。大石寺正本堂建立時に発生した国立戒壇の教義解釈の違いが原因で日蓮正宗から破門された妙信講の後身。宗教法人法に基づく届出名は宗教法人顕正会。現在の代表役員は浅井昭衛。旬刊の機関紙顕正新聞』を発行。

入会手続き[編集]

現在の入信手続きは、「入信報告書」と呼ばれる書類に、紹介者と入信者の氏名・住所・電話番号を記入するという方法である。押印は不要で、入会者の情報記入は、紹介者による代筆も可能である。この際、入会者を同伴している必要がある。また、契約行為が含まれていないため、未成年者も親権者の同意なしに入信が可能となっている。入会手続きが終わると、約30分の「入信勤行」[1]が行われ、入信手続き完了となる。

退会方法[編集]

顕正会は退会手続きを定めていない。しかし、日本国憲法第20条において信教の自由が規定されており、また、入会手続きに契約行為は含まれていないため、退会の意思を教団に伝えれば良い。但し、単に退会の意志を伝えるだけではその証拠が残らないため、内容証明郵便や、通話内容を録音しての電話による退会意思表示が望ましい。

歴史[編集]

第二次世界大戦下の1942年(昭和17年)[2]日蓮正宗妙光寺東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衛が初代講頭となって、妙光寺所属の法華講の一講中として結成した東京妙信講が前身。

戦後の東京妙信講の存在を証明するものは何もないが、浅井親子らは妙光寺から豊島教会(現・妙国寺板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現・法道院。東京都豊島区池袋)へと所属を変えたが、法道会法華講と合併するため、発展的に解散。 その後、法道会から離脱[3]し、独立を企てて妙信講を組織する[4]が、やがて創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立するようになる。

  • 1958年(昭和33年)
    • 1月15日 妙信講設立。日蓮正宗第65世法主堀米日淳の配慮により宗門内では極めて異例の認証式が行われ、妙縁寺(東京都墨田区吾妻橋)所属となった。講頭に甚兵衛、青年部長に甚兵衛の長男である昭衛、松本日仁と早瀬道応(後の日慈、大石寺第68世法主早瀬日如の実父)が指導教師に就任。本部は当時、東京都文京区にあった甚兵衛の自宅に置かれた。
  • 1963年(昭和38年)
    • 10月31日 機関紙「顕正新聞」が日蓮正宗と創価学会からの圧力を受け、廃刊。これに代わる機関誌として月刊『富士』が創刊され、その編集長に昭衛が就任。
  • 1973年(昭和48年)
  • 1974年(昭和49年)
  • 1975年(昭和50年)
    • 「宗教法人 顕正寺顕正新聞社」の成立に伴い、妙信講はその信徒団体として再出発。
    • 8月20日 甚兵衛が講頭を退き、第2代講頭に昭衛が就任。
  • 1977年(昭和52年)
  • 1978年(昭和53年)
  • 1985年(昭和60年)
    • 四者体制(男子部、女子部、婦人部、壮年部)が確立。
    • 『日蓮大聖人御書全集』の発刊を発表[8]1995年にも発表するが、未だ発刊はされていない[9]
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月 再び日本武道館で幹部大会開催。昭衛は「あと25年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります」と発言するが[10]、掲げた目標は達成できずに終わる[11]
  • 1992年(平成4年)
    • 8月28日 信者2人が高校生を車に押し込んで顕正会事務所に連れ込み、入信願書に署名・押印させたとして、強要の疑いで千葉県警柏警察署に逮捕された。2人は「入信させて、幸福にしてやりたかった」と供述したという。警察によると、1人の高校生からの苦情が発端で、1991年6月からこの日までに柏市のほか、野田市鎌ケ谷市市川市、茨城県牛久市の男子高校生ばかり17人が、同様の被害を受けていたことが発覚したとして(犯行はいずれも土、日曜日にかけてで、時間は午後から夜半までの間。部活動や塾帰りなどを狙っていたという)、関連を調べた。[12]
  • 1993年(平成5年)
    • 6月6日 青森大会開催。昭衛は原発を「仏法と関係の無いこと」と述べた上で、「やむを得ないもの」とし、反対者を批判した[13]福島第一原子力発電所事故以降は反原発に転じているが、この発言の訂正は行われていない。
  • 1996年(平成8年)
    • 11月18日 「宗教法人顕正寺」の後身となる新法人が文部省から宗教法人の認証を取得。「宗教法人顕正会」が発足。
    • 12月22日 法人認証直後の総幹部会で昭衛が「日蓮正宗顕正会」の自称を「冨士大石寺顕正会」に改めると指示。
  • 1997年(平成9年) 第1回目 一国諫暁開始。
    • 7月16日 初の諫暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」を、昭衛の著者名義で発行。発売にあたり、日本の主な新聞51紙に全面広告を打つが、朝日新聞東京本社広告局は受け付けなかった。
  • 1998年(平成10年)
  • 1999年(平成11年)
  • 2000年(平成12年)
    • 11月8日 本部を現在地に新築、移転。
  • 2001年(平成13年)
    • 7月2日 信者3人が本千葉駅前で、入信を断った男性に暴行を加えたとして、暴力法違反の疑いで千葉県警察千葉中央警察署緊急逮捕された。容疑者1人は「もみ合いになっただけ」と容疑を否認。千葉会館は「当該の勧誘行為があったかどうかも知らない」とコメントした。[15]
    • 7月24日 以前活動していた会員の自宅敷地内に侵入し、玄関先で女性の腕やわき腹を手で引っ張るなどした疑いで、信者1人が住居侵入と暴行の疑いで、秋田県警察秋田警察署に逮捕された。信者は容疑を否認したという。同署は24日早朝、容疑者宅や顕正会事務所などを捜索した。顕正会広報部は、「事情が全くわからないのでコメントしようがない」とした。
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)
    • 5月 顕正寺改築が完成するが、「冨士大石寺顕正会典礼院」と名称を変更。顕正寺は破却される。
    • 10月7日  信者2人が9月19日夜、横浜市保土ヶ谷区の路上で、同市内の男性を勧誘し、約50分間にわたって付き纏ったとして、軽犯罪法違反(付き纏い)の疑いで、保土ヶ谷警察署は信者2人を保土ヶ谷区検に書類送検した[17]
    • 11月6日 総会員数が“公称”100万人に達する。此れをもって2度目の一国諫暁の準備が本格的に始まる。
    • 11月13日 信者2人が、入信を断った男性の腕をつかんだり、車に乗り込むのを妨害したりしたとして、強要未遂の疑いで神奈川県警察公安一課に現行犯逮捕された[18]
  • 2004年(平成16年) 第2回目 一国諫暁開始。
  • 2005年(平成17年)
    • 5月8日 朱鷺メッセで「新潟県大会」を開催。1万人が参加。
    • 7月28日 強引な勧誘をしたとして、神奈川県警察警備部瀬谷警察署が顕正会横浜会館を家宅捜索した。会員2名が監禁容疑で逮捕され、警察によると2人とも容疑を認めたという。[20]後に起訴猶予となる。顕正会は信者の逮捕時、「完全なる虚偽の告訴による不当な逮捕。一切監禁などはしていない」とコメントした。
    • 9月4日 横浜アリーナで「男子部幹部大会」。男子部の活動家13000人が参加。この頃までに克衛が失脚、弟で昭衛の次男に当たる浅井城衛が後任の男子部長に就く。
  • 2006年(平成18年)
    • 5月14日 関西在住を中心に1万人を結集して「関西大会」を行った。
    • 7月3日 同年5月、信者が館林市内の飲食店で、勧誘を断った男性に怪我を負わせたとして、群馬県警察は信者を傷害容疑で逮捕するとともに、高崎会館を家宅捜索した。警察によると、信者は「入会を断られて腹が立った」と容疑を認めたという。[21]
    • 9月10日 沖縄コンベンションセンターで「沖縄大会」を行う。会側は顕正新聞で県内在住の会員3,000人を結集したと説明したが、実際は本土からも動員がかけられた。昭衛はこの席上、中国の軍事力増強と覇権主義の脅威を解説し、「早く日蓮大聖人の仏法を根底にした新しい日本を築かなければならない。さもなければ取り返しのつかぬことになる」と発言。
    • 9月21日 大宮ソニックシティで「男子部臨時幹部会」開催。5,000人が参加。この大会で行われた昭衛の演説は、後に「自虐史観を捨て仏法史観に立て」と題される。
    • 11月30日 勧誘相手のお守りを切ったとして、信者4人が器物損壊容疑で逮捕された[22]。顕正会は「同意を得てから行った」と主張。
  • 2007年(平成19年)
  • 2008年(平成20年)
    • 1月17日 新潟県警察警備部第一課と江南警察署が男子部元隊長の男と当時19歳の少年を逮捕。顕正会本部と新潟県内の4施設を家宅捜索した。この事件について顕正会は、顕正新聞でまったく触れなかった。
    • 5月18日 台湾台北市内の貸しビルを改装し、顕正会初の海外拠点となる「台北会館」が開館[25]
    • 12月23日 本部西隣に新青年会館完成。
  • 2009年
    • 1月9日 退会しようとした男性にけがを負わせたとして、新潟県警察警備部と新潟東警察署が傷害の疑いで、会員の同県長岡市専門学校生の少年を逮捕。新潟県内の2施設を家宅捜索した[26]
    • 4月 沖縄県那覇市に沖縄会館開館。
    • 4月 部外者の立ち入りを禁じているマンションで諌暁書を配布したとして、信者が住居侵入容疑で逮捕される。逮捕されたという信者が4月度総幹部会で登壇し、「注意書きを見ていない。故意ではないので不当逮捕である。通報は悪意の通報」と主張。登壇者によると、警察署で「注意書きを見たんだろ」と執拗に自白を迫られたという。その後、身柄を送検され、検察起訴する方針であったが、検事の判断で釈放されたという。
    • 8月23日 再び長野・エムウェーブで「男子部大会」。城衛は「2年前の幹部大会以来、2度目となる3万人動員を達成した」と報告しているが、実際は顕正会本部が確認、発表した参加者ですら23,000人にとどまった。また、顕正会は高校生から入信可能であるが、本大会では男子中学生の参加も可能であった。
    • 12月 信者数名が女性に入信を強要し、逃げようとした女性に怪我を負わせたとして、千葉県警察は千葉会館を家宅捜索した。顕正会の発表では、告訴人は後に虚偽告訴であることを自白し、罰金刑を受けたという。更に、この女性は法廷尋問に於いて、創価学会の幹部と接触したことを認めたという[27]
  • 2010年(平成22年)
    • 1月 総幹部会で城衛が理事長に就任[28]。克衛が務めていた主任理事のポストが正式に廃止される。
    • 4月 横浜会館閉鎖、近くに神奈川会館開館。
  • 2011年(平成23年)
    • 1月25日 総幹部会で城衛が壮年部を廃止して男子部に統合すると発表。四者体制崩壊。
    • 1月31日 国を相手に損害賠償を求めていた裁判の判決が東京地方裁判所で言い渡され、顕正会の訴えは棄却された。
  • 2012年(平成24年)
  • 2013年(平成25年)
    • 9月11日 信者2名が東京都内に住む男性に強引に勧誘したとして、警視庁公安部は、強要暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の疑いで信者2名を任意で事情聴取するとともに、顕正会本部や東京会館など5箇所を家宅捜索した。警視庁への顕正会に関する相談件数は、2013年に入って80件超あったという。これに対して顕正会は「違法捜査だ」とコメントした[30]

[31][32]9月25日に開催された総幹部会で、事情聴取を受けたという信者が登壇した。マスコミは、信者が勧誘の際に「五体満足でいられなくなる」、「入信したことを家族に話したら大勢で押しかける」という発言をした疑いがあると報道したが、登壇者はこれを否定した。登壇者によると、取り調べの際にこの言葉を言ったか否かの尋問は無く、供述調書にも一切記載は無かったという。浅井昭衛は、「創価学会の謀略である」、「法的措置を採る」と述べた。顕正会に関する苦情が多数寄せられているという警視庁の発表についても、「創価学会によるK対策なる謀略が実行された結果」と主張した[33]

    • 11月4日 さいたまスーパーアリーナにて女子部大会を開催。
  • 2014年(平成26年)
    • 2月26日 2013年9月11日の家宅捜索の件で取り調べを受けていた男2人が書類送検された。1人は容疑を認め、更に脱会しているという。もう1人は現役会員で、現在も容疑を否認している。この会員は捜索後会社を退職した。警視庁によると、「人為的な罰もある」と脅していたという。[34][35]
    • 9月7日 さいたまスーパーアリーナにて男子部大会を開催予定。目標参加者数は5万人。

教義[編集]

  • 大石寺にある本門戒壇の大御本尊を崇拝し、日蓮正宗や創価学会などの他の富士門流各派と同じく、日蓮を「日蓮大聖人」または「蓮祖大聖人」と称している。
  • 日蓮の説いた三大秘法国教化、国立戒壇建立を目的としている。
  • 広宣流布が成ったと判断される水準について、宗門では「日本の総人口の3分の一が純真かつ強盛な信心を持った時」、創価学会では「信心の血脈を全世界に広げた時」と規定しているが、顕正会は「日本国民全員が入信し、国会の議決と天皇の国事行為により憲法が改正され、国立戒壇が建立された時」としている。ただし、その前でも天皇が入信すればその時点で広宣流布は完成するとも説明している。また、全国民の入信が実現できなかったとしても会として広宣流布の完結を宣言できる一応の基準として、昭衛は1980年代には1億人、1990年代以降は1,000万人という数字を挙げ実際に誓願している(前述)。
  • 妙信講から「顕正寺顕正新聞社」に移行したときは規則の中に「御遺命守護完結の暁には顕正寺を日蓮正宗に供養(寄進)し同時に本会は解散する」という規定もあったが、現法人「顕正会」設立の時にこの部分は削除された。1998年(平成10年)の「完結奉告式」では昭衛は「未だに国立戒壇に対して怨嫉の心を持ち続けている」と宗門管長阿部日顕を批判し、顕正寺の寄進はしないと宣言。その後、顕正寺を破却して名実ともに単立宗教法人としての生き残りを目指す方針が確立した。
  • 終末論を唱えている。
  • 戦争勃発への危機感が頻繁に説かれ、これを防ぐには広宣流布、国立戒壇建立以外には無いとして信者を勧誘に駆り立てている。昭衛は説法のたびに「北の脅威」論(かつてはソ連であったが1992年にソ連が無くなってしまい、現在は中国北朝鮮。こちらは正しくは「西の脅威」)を唱えているが、これは日蓮が『立正安国論』の中の「他国侵逼難」[36]の部分で説いた元朝による侵略の可能性を、現在の北東アジア共産圏に置き換えることによって正当化される。
  • 会員は、朝夕の勤行に於いて、自宅より遠く戒壇の大御本尊を直接拝み参らせる遥拝勤行に徹しているのも本会の大きな特徴である(会館や自宅拠点には、破門前に授与されていた日布書写の本尊が安置されている)。
  • 「日蓮大聖人御書全集」の発刊を1985年昭和60年)に[37]1995年平成7年)にも顕正新聞にて発表するが、未だ発刊はされていない[38]

政治的思想[編集]

活動[編集]

勤行
法華経』のうち、方便品の冒頭から十如是までと、如来寿量品の自我偈を読誦ののち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。朝と夕方(夜)の毎日2回。特に毎週日曜日の午前には朝勤行を会館に集合して一堂で行う「日曜勤行」が行われている。
会合
総幹部会(毎月下旬。基本的に川口リリアで開かれる)
各部の活動者会
日曜勤行(毎週日曜午前に何回かに分けて各会館で開催)
ビデオ放映会
御書講義(浅井昭衛が不定期に開催)
勧誘
顕正会では「折伏」と呼ばれている。「破折屈伏」を意味する。
『顕正新聞』の購読者の開拓
会員間においては「推進」と呼称される。
広宣流布御供養
創価学会の「財務」と同様に年1回12月に供養と称して会員から寄付金を集める。最低1万円というのも一緒だが、学会と違って顕正会には1人が出せる金額に上限が設けられており、その金額は8万円である。
教学の研鑽
創価学会と同様に御書中心主義を謳っているため、日蓮が遺した「御書」に関する研鑽が行われる。また学会のそれとよく似た教学試験も行われており、会員には受験が奨励されている。ただし顕正会発行としての御書全集は存在せず、会員は本来敵対しているはずの学会の手による『新編日蓮大聖人御書全集』などを利用する必要がある。
甚兵衛が妙信講の中心だった破門以前は特に教学を重んじ、学会の『大白蓮華』に相当する理論誌『富士』も毎月発行されていたが、「日蓮正宗顕正会」から現在の「冨士大石寺顕正会」に改称した直後の1997年(平成9年)に昭衛の指示で廃刊となり『顕正新聞』に統合された。
また2000年代になってからは総幹部会で昭衛が御書講義を行う回数も減るなど、「日蓮正宗顕正会」よりも前の時代と比べて教学がおざなりにされる傾向がある。反顕正会側からは、そこで発生した余力が昭衛への個人崇拝強化にあてられているのではないかという見方もなされている。

動向[編集]

  • 折伏と称して布教活動が行われている。
  • 中学や高校、大学で休憩の合間に声をかける[42]
  • 上下関係が厳格でしかも外部の目が届きにくい環境で職務に当たる、特に折伏の容易な警察官自衛官の中に会員が増加していることを重く見た公安調査庁は、「この特異団体の今後の動向には注意を要する」と発表している[43][44]。皇族への布教・信者化を目論み、また教団主導の憲法改正を主張をしている[45]ことから監視対象になっているという見方も存在する。
  • 機関紙「顕正新聞」には「法戦」と称される入信勧誘推進期間(概ね1ヶ月~4ヶ月単位、年数回、12月を除く)毎に、折伏成果(入会会員数)が記載されている。創価学会員や他宗教の熱心な信者だった人物を引き抜くことに成功した場合、その成果も大々的に誇示される。
  • 批判側の活動でも特に創価学会や日蓮正宗関係者など教理上同系統の団体構成員が運営するHPでは“この団体を信じていると地獄に落ちる”といった顕正会同様の脅し文句や、意図的に団体名称に非礼な当て字や比喩表現を行なうといった記述、運営母体関係者が創価学会員や日蓮正宗信徒(法華講員)であったり、それを隠した顕正会被害者の会が立ち上げられるなどといったケースも少なくない[46]。顕正会からこれら組織への関与や昭衛への批判を理由に除名された者であっても再折伏を受ける例すらある。この結果、真剣に被害対策に取り組んでいる団体まで疑いの目で見られる大きな原因となっている。

近隣トラブル[編集]

原因は不明であるが、ヤオコー大宮盆栽町[47]と、青年会館に隣接する駐輪場[48]は、顕正会員の立ち入りを禁じている。

会歌[編集]

軍歌海行かば」を編曲した「遺命(ゆいめい)重し」を会歌としている。会歌の他にも、「両眼(りょうげん)滝のその日まで」、軍歌「嗚呼神風特別攻撃隊」を編曲した「時ぞ来たりぬ」がある。いずれの曲も軍歌調である。

施設一覧[編集]

冨士大石寺顕正会本部
冨士大石寺顕正会札幌会館

海外[編集]

公式HPには45ヶ国に組織があると記載されている。

主要役員、年間行事、会員数等[編集]

  • 主要役員
    • 会長 浅井昭衛(浅井甚兵衛の長男)
    • 理事長兼総男子部長 浅井城衛(昭衛の次男)
    • 総合女子部長 佐野直子
    • 理事兼儀礼室副室長 横田高明 (元壮年部長)
    • 総合婦人部長 湯浅悦子(昭衛の)
    • 副総合婦人部長 小峰昌子(昭衛の娘)
    • 儀礼室長 遊佐寿美
    • 顕正新聞発行人 小峰勝彦(昭衛の娘婿)
  • 年間行事
    • 1月1日 - 元旦勤行
    • 1月 - 登用試験
    • 9月 - 御大会式
    • 12月 - 広宣流布御供養
  • 公称会員
    • 約150万人

脚注[編集]

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  1. ^ 他の日蓮系教団からの入会の場合は「入会勤行」と呼ばれる。
  2. ^ 顕正新聞では1941年(昭和16年)とする記載もみられ、一貫性をみない
  3. ^ 日蓮正宗では寺院を離脱することは信徒の資格を失うことを意味する。
  4. ^ 「顕正会の歴史と使命」 顕正新聞社
  5. ^ 講中解散は、後に創価学会に対してなされた破門通告よりもさらに重いものと解釈される。
  6. ^ この件について顕正会は、「非国立の戒壇を作るという、日蓮正宗と創価学会の御遺命違背を諌めたら、仏法者にとっては死罪にも匹敵するとされる破門・講中解散処分という不当弾圧を受けた」等と主張している
  7. ^ 昭衛はこの件について、機関誌『冨士』で抗議活動を捏造されたと説明した。一方、学会は理事長・和泉覚が声明を出し、妙信講を「狂信的過激派」と激しく非難して反論した。
  8. ^ 御書発刊を発表 - 顕正新聞 1985年2月25日付第327号
  9. ^ 二回目の御書発刊を発表 - 顕正新聞 1995年6月5日15日付合併第670号
  10. ^ 顕正新聞昭和58年5月25日
  11. ^ このとき昭衛が掲げた目標は「1996年までに会員100万、2003年までに1,000万弘通、2010年に1億人で広宣流布を完結させ国立戒壇建立」であった
  12. ^ 読売新聞京葉版平成4年8月29日
  13. ^ 浅井先生 原発大賛成の証拠 青森大会
  14. ^ 昭衛はこの席上、今後15年間(2013年まで)に1,000万弘通(入会)を達成すると誓願した。
  15. ^ 朝日新聞平成14年7月2日
  16. ^ 中日新聞平成14年5月2日
  17. ^ 読売新聞平成15年10月8日
  18. ^ 日本経済新聞神奈川版平成15年11月13日
  19. ^ 昭衛はこの席で「創価学会のデマ・中傷の煽動に乗った高校の理不尽な迫害・デマ・中傷のなか年若き高校生が毅然とけなげに信心を貫く姿を見るとき私は胸に熱きものが込み上げてくる。迫害は学会の仕業」と演説をした。
  20. ^ 朝日新聞2005年7月29日
  21. ^ TBSニュース2006年7月3日放送
  22. ^ ANNニュース11月30日
  23. ^ 会側は会員に対する逮捕について、顕正新聞紙上で「不当逮捕である」と非難。また、顕正会側の発言や公式発表をマスコミが一切報道していないこと、自称の『冨士大石寺顕正会』の『冨士大石寺』が省略されたことを「池田大作の指揮による」と主張している。しかし、「顕正会」と報道したことに関しては、宗教法人法に基づいて文部科学省に登録された名称は宗教法人『顕正会』であるため、マスコミ側の対応にまったく落ち度はない。
  24. ^ 時事通信2007年12月9日
  25. ^ 中華民国の法律では国内に本部が置かれていない宗教法人は、施設を新しく「建設」することができない
  26. ^ 新潟県警によると、顕正会の勧誘や脱会に関するトラブルの相談が2008年だけで約200件あったという。この事件について昭衛は顕正新聞で「不当逮捕」と主張し、容疑者を全面的に擁護する立場を取っている
  27. ^ 顕正新聞平成25年10月5日「不当捜索」特集号
  28. ^ 理事長ポストは旧妙信講時代の1974年に設けられて以来35年ぶりの復活で、現在の顕正会になってからは初めて。引き続き男子部長を兼務。
  29. ^ “逮捕は正当、「顕正会」の請求棄却新潟地裁”. 新潟日報 netpark (新潟日報社). (2012年3月27日). オリジナル2012年5月11日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120511144223/http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/33587.html 
  30. ^ “宗教法人「顕正会」に家宅捜索 強引に入信迫った疑い”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年9月11日). オリジナル2013年9月12日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20130912013315/http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY201309110139.html 
  31. ^ “宗教法人・顕正会本部など捜索…強引に入会迫る”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年9月11日). オリジナル2013年9月13日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/wMSWJ 
  32. ^ 顕正新聞2013年9月25日号
  33. ^ 顕正新聞平成25年10月5日「不当捜索」特集号
  34. ^ 強引に入信勧誘した疑い、「顕正会」会員ら書類送検-2014年2月26日16時2分TBSニュース
  35. ^ 顕正会会員ら2人書類送検=「入信断ればばち」強引勧誘容疑―警視庁-ニコニコニュース2014年2月26日
  36. ^ 「立正安国論全文現代語訳第9段 二難を予言して立正安国を論じる」 - 大白蓮華2010年7月号P83、創価学会教学部編。
  37. ^ 御書発刊を発表 - 顕正新聞 1985年2月25日付第327号
  38. ^ 二回目の御書発刊を発表 - 顕正新聞 1995年6月5日15日付合併第670号
  39. ^ 浅井会長講演・一月度総幹部会/2012年1月24日
  40. ^ 顕正新聞[リンク切れ]
  41. ^ 2012年8月24日総幹部会浅井会長指導
  42. ^ 月刊現代1999年12月号P190-200『東大早稲田などで急伸する「浄土真宗親鸞会」、高校生に広がる「顕正会」ってなに?--若者を魅きつけるラディカル仏教「終末論」』、米本和広
  43. ^ 週刊新潮2004年8月12/19合併号P58-59『「自衛隊」幹部に浸透する信徒100万「顕正会」』
  44. ^ 軍事研究2007年5月号別冊『ワールド・インテリジェンス』第6号P127-131『公安当局もマークする「反社会的勢力」!? オウム事件以後も増殖する日本のカルト宗教』、P131『自衛隊に浸透する顕正会』
  45. ^ 別冊宝島編集部 編 『「カルト」の正体。』 P170
  46. ^ 週刊新潮2008年1月24日号 (掲載ページ調査中)顕正会VS創価学会水面下の信者争奪脱会バトル(創価学会信者による被害者支援偽装サイトリストの掲載)
  47. ^ @ecopoints33:どんだけ嫌われとんじゃい(笑)
  48. ^ ストリートビュー

参考文献[編集]

  • 淺井昭衞,『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』(2004,冨士大石寺顕正会)
  • 週刊新潮2005年9月29日号(掲載ページ調査中)島田裕巳 「創価学会」も恐れる過激な原理集団 「顕正会」研究(創価学会批判の一部として記載されたもの)
  • 教祖逮捕―「カルト」は人を救うか ISBN 4796617191 月刊現代1999年12月号に掲載された記事の親鸞会関連の記述も含めた加筆版が掲載されている。

外部リンク[編集]