宮平保

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Tamotsu Miyahira
宮平 保
国籍 日本の旗 日本
職業 中国武術家武術指導者
団体 天行健中国武術館
有名な作品(業績) 第11回アジアオリンピック科学大会出席(1990 BEIJIN ASIAN GAMES SCIENTIFIC CONGRESS)
肩書き 中国国家認定武術指導者

宮平 保(みやひら たもつ。昭和39年(1964年3月25日 - )。沖縄県出身の中国武術家。 天行健中国武術館館長。外国人としては初となる中国の体育学院武術専攻(在籍は研究生部)を卒業した公認指導者でもある。また第11回アジアオリンピック科学大会(1990 BEIJIN ASIAN GAMES SCIENTIFIC CONGRESS・中国北京で開催、世界24カ国より参加)に日本代表の一人として出席し、論文《中国武術和日本武道的淵源》を発表。 1984年に中国湖北省・武漢体育学院に5年間武術留学し、温敬銘教授、劉玉華教授より実技と理論の指導を受け、帰国後、空手の本場・沖縄の地を中心に1990年から中国武術を指導。 空手関係者、県内外、海外の武道、格闘技関係者(居合フルコンタクトカラテetc.)との交流も多く、中国武術を指導する。[1]

学位、業績[編集]

  • 1989年に中国湖北省武漢体育学院を卒業。外国人としては初となる中国の体育学院武術専攻(在籍は研究生部)を卒業した中国国家公認の武術指導者である。
  • 1990年に第11回北京アジア競技会科学大会 (1990 BEIJIN ASIAN GAMES SCIENTIFIC CONGRESS) に論文が選出されて出席(世界24ヶ国より参加)。《中国武術と日本武道の源淵関係》を発表。

経歴[編集]

  • 幼少時(小五)より、沖縄伝統の空手(沖縄小林流)を学ぶ。
  • 高校の頃より、沖縄空手と並行してフルコンタクトカラテと技術交流。またウェイトトレーニングジムでのトレーニングも始める。
温 敬銘老師と宮平 保氏(中国武漢にて)
  • その後、中国湖北省武漢体育学院に五年間の武術留学。中国武術界の重鎮・温 敬銘老師(南京中央国術館出身で1936年のベルリンオリンピックにて中国武術を披露。大槍、綿拳、銬手翻子拳の名人として著名)、劉 玉華老師(同じく南京中央国術館出身。双刀、査拳で全国的に著名)に師事し、中国伝統の武術を学ぶ。また武漢在住の名師・張 克倹老師(翻子・劈掛・八極などの達人として著名)や安 天栄老師(東北系八極拳・秘宗拳で著名)、呉 元貴老師(擒拿術)など先生方からも親しく指導を受ける。[2]
  • 留学時は中国各地の民間伝統武術・梅花拳形意拳黒虎拳温州南拳通背拳八極拳等数多くの武術家たちと実戦的な技術交流を行なう。
  • 1989年・武漢体育学院を卒業。同年、宋麗(元中国四川省武術隊選手。武術全国大会では1984年、86年、87年の三度、対練種目優勝)と結婚。[3]
  • 1990年・第11回北京アジア競技会科学大会 (1990 BEIJIN ASIAN GAMES SCIENTIFIC CONGRESS) に論文が選出されて出席(世界24ヶ国より参加)。《中国武術と日本武道の源淵関係》を発表。[4]
  • 帰国後、沖縄県浦添市に天行健中国武術館を設立。[5]
  • 地元の新聞・沖縄タイムス琉球新報沖縄テレビ琉球放送琉球朝日放送など番組やオキナワグラフ誌、浦添市広報誌の表紙を飾るなど様々なメディアで紹介される。[6][7][8][9][10][11][12][13]
  • 1990年・日中武術親善交流演武大会にてゲストとして演武。
  • 1991年・国際剛柔流空手道連盟主催(東恩納 盛男代表)の世界空手道選手権大会で中国武術の模範演武。
  • 同年より沖縄空手界の重鎮・上原 恒先生(沖縄空手剛柔流直心館・沖縄昭霊武術協会会長)の呼びかけにより‘武術研究会’が発足され、中国伝統武術を指導。その会には様々な空手流派の指導者を始め、県内外の現役トップクラスの選手たちも参加した。
  • 沖縄空手・古武道演武大会にて演武(沖縄コンベンションセンター)
  • 太極拳気功講座の講師を県や市からの依頼を受けて各地で開催。その数は50回を超える。現在、浦添市の武術館総本部を中心に、県内の二十余ヶ所で教室を開催。
  • 1998年・国際剛柔流空手道連盟主催の世界武道祭で特別演武。
  • 1999年・天行健中国武術館の第一回訪中武術親善交流を実施。楊家太極拳第五代伝人・林墨根老師一門、六合拳の陳義偉老師一門、心意六合拳の税康龍老師一門と交流。[14][15]
  • 2000年・第二回訪中武術親善交流を実施。交流団体は飛龍精武学校や心意六合拳、六合拳など。その様子は地元新聞《瀘州日報》《信息報》《瀘州電視報》でも紹介される。[16][17]
  • 九州・沖縄サミット《芸能の夕べ》にて門下生が演武。
  • 2000年10月 天行健中国武術館創立10周年記念チャリティー演武大会を開催(浦添市民会館大ホール)。[18]
  • 2001年、日本抜刀術連盟に招待され、中国武術の特別演武を行なう。
  • 2003年、警察官を対象とした護身指導を行なう(沖縄県警察署にて)。[19]
  • 2003年・世界空手・古武道演武大会にて特別演武を行なう。
  • 骨髄バンク推進活動チャリティー演武大会にて門下生たちが演武を行なう。
天行健中国武術館創立20周年記念チャリティー演武大会
  • オーストラリア&ニュージーランドの武道誌《Martial-Arts》やフランスの武道誌《KARATE BUSHIDO》や中国の武術専門誌《中華武術》などで紹介される。とくに《中華武術》では武漢体育学院での修行時代から現在に至る活動が紹介された。[20][21][22]
  • 2006年・中国福建省の集美大学体育学院院長・鄭旭旭氏が天行健中国武術館を訪問(鄭氏は同じ温敬銘門下で宮平の武漢時代の兄弟弟子)。剛柔流の上原恒氏の協力で「武術交流会」が行われた。交流会には県内空手団体の代表やトップクラスの選手が参加した。[23][24]
  • 2007年・第三回訪中武術親善交流を実施。この時は約80名が参加。交流の様子は中国のテレビニュース、新聞でも紹介された。[25][26][27][28]
  • 2008年・熊本県熊本市に天行健中国武術館熊本分館オープン。
  • AMDA(国際医療ボランティア組織・旧称・アジア医師連絡協議会)を通じて四川省大地震義援金の贈呈。AMDAより感謝状を受ける。[29]
  • 経営者団体の依頼によりセミナーで「真に出来ること」のタイトルで講演を行なう。
  • 2010年11月・天行健中国武術館創立20周年記念チャリティー演武大会を開催(浦添市てだこ大ホール)
  • 2013年3月・天行健中国武術館の新館がオープン。オープン式典には多くの空手関係者が出席。[30]

逸話[編集]

  • 小学生の頃から空手を始めていたが、中高生と成長するにしたがい湧き上がってきた疑問を解きたいと沖縄県内の数カ所の空手道場を周って質問したが答えが得られなかった。そのことが沖縄空手のルーツである中国武術を学ぶため中国行きを決心させたとテレビ番組で語っている。[31]
  • 武漢体育学院創立以来、初の外国人学生であり、また空手出身でもあったため、留学当初は度々立ち合いを求められたという。最初の相手は湖南系南拳の修行者、二人目は空手に興味を持つアマレス選手だったという。湖南南拳修行者は蹴りで倒したが、二人目のアマレス選手は強敵で、そのタックルの速さは深い印象を残した。彼は元中国全国アマレスチャンピオン(ロス五輪の強化選手でもあった)許昌吉だった。許はその頃、アマレスから散打選手に転向し、それから何度か全国優勝を飾る1980年代半ばを代表する選手となった。宮平は“伝統武術”、許は“散打競技”と追求する道は違ったが、宮平は師である温敬銘より指導を受けた技を実証、実験するため、よく許や散打隊のメンバーたちに練習相手になってもらった。因みに空手黒帯出身であった宮平はしょっちゅう許や散打隊の友人たち、散打隊教練の李建平(現・散打国家代表チーム教練)から散打競技への転向を勧められたが、古伝の伝統武術の追求を目的としていた宮平は断った。しかし散打隊の友人たちとの交友はその後も続いた。
  • 留学して間もない頃、師・温敬銘から攻撃する相手の腕に貼りつく技術の指導を受け、師兄弟と繰り返し練習した(空手でいう限定一本組手のようなものだったと思われる)。翌日、温師から「昨日教えたのは、出来るようになったか?」と聞かれ、「はい、出来ました」と答えると、その瞬間、温師の突きが顔面にガツンと来て、宮平は唇を切ったが、温師は「修得したんじゃなかったのか・・」と一言を残し立ち去った。これ以来、“出来る”という言葉の概念が変わったと、宮平はテレビ番組『発見!人間力』出演の際に語った。[32]

主なTV番組出演[編集]

全国的な番組では

  • 1994年 『平成教育委員会スペシャル』(フジテレビ
  • 1996年 『めざましテレビ』で「中国武術の達人」として紹介(フジテレビ)
  • 2008年 『発見!人間力』(民間放送教育協会』)
  • 地元沖縄の番組では『ホット愛ランドおきなわ』『オリオンフレッシュサンデー・歴史とロマン』『NHK沖縄・太陽カンカン』『今日もお昼前』『OTVニュース』『QABニュース』『こだわってウチナー情報正月版』『インタビュー番組・ウチナー地球村』『ジョートーTV』他。

主な出版物[編集]

  • 『天行健中国武術館教則DVD・vol.1太極拳篇』(2007年12月)。[33]
  • 『天行健中国武術館教則DVD・vol.2武術篇』(2009年12月)

武術誌関連の執筆[編集]

  • 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』1992年夏号「温敬銘老師略伝」
  • 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』1993年夏号「中国武術の内外兼修とその哲学的基礎」
  • 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』1993年冬号「銬手翻子拳」
  • 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』1994年冬号「日本武道と中国武術いくつかの比較」
  • 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』1995年夏号「中国伝統哲学の知行合一と武術の攻撃特徴」
  • 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』2000年秋号「“以 武 会 友”」

脚注[編集]

  1. ^ 『武術』福晶堂、1995年、夏号58頁。
  2. ^ 琉球新報1990年3月
  3. ^ 琉球新報1990年4月
  4. ^ 沖縄タイムス1990年10月
  5. ^ 琉球新報1996年7月30日
  6. ^ 沖縄タイムス1990年8月
  7. ^ 広報うらそえ1990年9月1日表紙
  8. ^ 沖縄タイムス1990年12月15日
  9. ^ オキナワグラフ1990年8月号
  10. ^ 琉球放送《ホット愛ランド》1990年4月
  11. ^ 琉球放送《オリオンフレッシュSunday歴史とロマン》1990年8月
  12. ^ 沖縄タイムス1991年4月
  13. ^ 沖縄タイムス1991年6月
  14. ^ 琉球新報2000年4月16日
  15. ^ 『武術季刊誌《武術(うーしゅう)》』2000年秋号「“以 武 会 友”」
  16. ^ 濾州広播電視報2000年5月24日
  17. ^ 濾州日報2000年5月20日
  18. ^ 琉球新報2000年10月9日
  19. ^ 沖縄タイムス2003年5月13日
  20. ^ sports master magazine《martial-arts》1999年6月号
  21. ^ KARATE BUSHIDO JANVIER 2001 Découverte :Miyahira Tamotsu Tengyo-ken
  22. ^ 中华武术(中国体育报业总社)2007年第02期 从《一个日本人对中国传统武术的追求与实践——访冲绳“天行健中国武术馆”》
  23. ^ 沖縄タイムス2006年12月6日
  24. ^ 琉球新報2006年12月
  25. ^ 琉球新報2007年10月2日
  26. ^ 沖縄タイムス2007年10月3日
  27. ^ 濾州日報2007年9月22日
  28. ^ 濾州広播電視報2007年9月27日
  29. ^ 琉球新報2008年9月6日
  30. ^ オキナワグラフ2013年4月
  31. ^ 2008年テレビ番組『ジョートーTV』より
  32. ^ 2008年テレビ番組『発見!人間力』より
  33. ^ 琉球新報2007年12月24日

参考文献[編集]

『武術』福晶堂、1995年、夏号58頁。

外部リンク[編集]