宮崎県立延岡高等学校
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| 宮崎県立延岡高等学校 | |
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| 過去の名称 | 宮崎県立延岡中学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 宮崎県 |
| 設立年月日 | 1873年 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 理数科 |
| 高校コード | 45102K |
| 所在地 | 〒882-0837 |
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宮崎県延岡市古城町三丁目233番地
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| 外部リンク | 公式サイト |
宮崎県立延岡高等学校(みやざきけんりつ のべおかこうとうがっこう)は、宮崎県延岡市古城町三丁目に所在する県立高等学校。通称は「延高」(のべたか)。
目次 |
[編集] 概要
1873年に旧延岡藩主内藤氏によって設立された「延岡社學」をルーツとする。
[編集] 沿革
- 1872年 - 学制布告により旧延岡藩藩校廣業館が104年の歴史を閉じる
- 1873年 - 廣業館の跡地に私立中学校の延岡社學(延岡藩主家の内藤氏が運営)が創立
- 1875年 - 延岡社學を亮天社に改称
- 1878年 - 亮天社から分離し女兒教舎を設置
- 1899年 - 宮崎縣立延岡中學校設置に伴い、亮天社が廃校となる
- 1901年 - 女兒教舎が延岡女學校となる
- 1906年 - 延岡女学校が延岡高等女學校に改称
- 1929年 - 延岡高等女學校が県に移管
- 1948年 - 学制改革により、縣立延岡中學校・縣立延岡高等女學校・縣立延岡工業學校・縣立延岡商業學校を統合し、宮崎県立延岡恒富高等学校と宮崎県立延岡岡富高等学校として新制高校が発足
- 1949年 - 延岡岡富高等学校を延岡恒富高等学校に統合
- 1950年 - 工業課程を宮崎県立延岡向洋高等学校として分離
- 1959年 - 宮崎県立延岡高等学校に改称
- 1969年 - 定時制課程が宮崎県立延岡第二高等学校(現宮崎県立延岡青朋高等学校)として分離
- 1992年 - 家政科コース募集停止
- 1995年 - 普通科理数コース設置
- 2005年 - 理数科設置
- 2010年 - 理数科をメディカル・サイエンス科に改称
[編集] 校歌
現校歌は作詞:渡辺修三、作曲:近衛秀麿。旧校歌(延岡高等女学校時代)は作詞:北原白秋、作曲:山田耕筰である。
[編集] 著名な卒業生
掲載は五十音順。
- 荒井緑 - 千葉大学大学院薬学研究院 准教授
- 石川恒太郎 - 歴史学者
- 小野天下 - 豊造園社長
- 甲斐一政 - 元愛知県副知事
- 笠原和夫 - マースジャパン社長
- 鎌田正彦 - SBSホールディングス代表取締役社長
- 木下和寛 - 立教大学社会学部メディア社会学科教授
- 倉盛一郎 - 奈良産業大学教授
- 後藤勇吉 - 日本初の民間パイロット
- 小林純子 - 設計事務所ゴンドラ代表
- 志村喬 - 俳優
- 白田秀彰 - 法学者
- 杉林俊雄 - 拓殖大学工学部機械システム工学科教授
- 高橋巨典 - テレビ宮崎アナウンサー
- 中島峰広 - 早稲田大学名誉教授
- 日高健 - 近畿大学助教授
- 平井慎一 - 立命館大学教授
- 藤澤文洋 - 大リーグ解説者、都立高校教諭
- 室崎生子 - 平安女学院大学教授
- 山内純子 - 全日本空輸執行役員
- 山元泰生 - 作家
- 若山牧水 - 歌人、旧制延岡中学校第1回卒業生