宮崎勝太郎

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宮崎 勝太郎(みやざき かつたろう、1892年明治25年〉4月16日[1] - 1946年昭和21年〉7月12日[2])は、日本外交官。駐ルーマニア公使

経歴[編集]

愛媛県松山市出身[1]1916年大正5年)、高等文官試験と外交官及領事官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学法律科を卒業した[1]農商務省商工局、同臨時産業調査局に勤務した後、外務事務官に転じ、政務局第三課に勤務[1][3]。さらにイギリス大使館三等書記官、同二等書記官、外務書記官・欧米局第一課長、フランス大使館一等書記官、イギリス大使館一等書記官、トルコ大使館参事官を歴任した[3][4]1939年(昭和14年)、駐ルーマニア公使に就任し、翌年に退官した[4]

栄典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 大衆人事録 1937.
  2. ^ 外務省外交史料館日本外交史辞典編纂委員会『新版 日本外交史辞典』山川出版社、1992年、987-988頁。
  3. ^ a b 日本官界名鑑 1936.
  4. ^ a b 人事興信録 1941.
  5. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献[編集]

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版』帝国秘密探偵社、1937年。 
  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十二年版』日本官界情報社、1936年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。