宮城県仙台第一高等学校

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宮城県仙台第一高等学校

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国公私立の別 公立学校
設置者 宮城県
校訓 自重以テ己ヲ律シ
獻身以テ公ニ奉ス
(1906年6月6日制定)
設立年月日 1892年4月1日
(宮城県尋常中学校設立)
創立記念日 6月6日
(宮城県尋常中学校開校式)
共学・別学 (全日)男子校
(通信)男女共学
課程 全日制課程
通信制課程
設置学科 普通科
高校コード 04101H
所在地 984-8561
宮城県仙台市若林区元茶畑4
電話番号 022-257-4501
022-293-6739(通信制直通)
FAX番号 022-257-4503
外部リンク 宮城県仙台第一高等学校
宮城県仙台第一高等学校 通信制
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ウィキプロジェクト 学校
  

宮城県仙台第一高等学校(みやぎけんせんだいだいいちこうとうがっこう)は宮城県仙台市若林区に所在する県立高等学校男子校一高エテ高仙台一高の通称で呼ばれている。

目次

概要

1892年に宮城県尋常中学校として開校。宮城県内の公立高校で、最も歴史がある。旧制仙台一中以来の歴史を持つ進学校であり、仙台二高仙台三高宮城一高宮城二女宮城三女と合わせて「ナンバースクール」と呼ばれる。東北大学へは現役生が毎年40名前後が進学する。なお、初代校長は『言海』(後の『大言海』)を編纂した大槻文彦で、彼が掲げた「自重献身」を校訓としている。かつては県内最難関校であったが、学区制施行以後はその位置を仙台二高に明け渡している。

共学化問題

本校は2010年に共学化される予定である。統廃合は無く、校章校歌・校名はそのまま使用する事が決まっているが、その他については具体的なことは明らかになっていない。

沿革

歴代校長

  • 初代: 大槻文彦(1892年12月28日 - 1895年9月17日) - 国語辞典『言海』編纂者
  • 2代: 湯目補隆(1895年9月17日 - 1896年7月16日)
  • 3代: 下條幸次郎(1896年7月25日 - 1902年10月1日)
  • 4代: 西谷虎二(1902年10月6日 - 1902年12月19日)
  • 5代: 氏家謙曹(1903年4月17日 - 1904年8月10日)
  • 6代: 川田正澂(1904年8月10日 - 1909年4月23日) - 元東京府立第一中學校東京府立高等學校校長
  • 7代: 櫻田廣利(1909年4月25日 - 1914年2月3日)
  • 8代: 宗像逸郎(1914年3月12日 - 1920年3月29日) - 柔道家
  • 9代: 小平高明(1920年3月29日 - 1942年4月4日)
  • 10代: 小野徳四郎(1942年4月4日 - 1945年12月21日)
  • 11代: 宮城音五郎(1946年3月21日 - 1950年9月30日) - 工学者、元東北帝国大学名誉教授、元宮城県知事
  • 12代: 高山政雄(1950年12月1日 - 1955年7月4日) - 元駒場東邦中学校・高等学校校長
  • 13代: 宇野量介(1955年7月4日 - 1963年7月3日)
  • 14代: 大竹金彌(1963年8月16日 - 1974年3月31日)
  • 15代: 北村潮(1974年4月1日 - 1978年3月31日)
  • 16代: 青木功二(1978年4月1日 - 1981年3月31日)
  • 17代: 大場恒一(1981年4月1日 - 1988年3月31日)
  • 18代: 高城公彦(1988年4月1日 - 1991年3月31日)
  • 19代: 鈴鴨清美(1991年4月1日 - 1993年3月31日) - 宮城教育大学副学長
  • 20代: 井崎英男(1993年4月1日 - 1996年3月31日)
  • 21代: 宍戸多聞(1996年4月1日 - 2001年3月31日)
  • 22代: 菅井茂(2001年4月1日 - 2005年3月31日)
  • 23代: 北島博(2005年4月1日 - 現職)

校風

宮城県仙台第一高等学校校章

自由な校風と自発能動の精神は「発起人制度」(後述)を生み、特色ある学校行事は企画から運営実施まで生徒自身によって行われている。

発起人制度・生徒会

全国でも類をみない「発起人制度」が導入されている。これは仙台一高の自由と自治の精神を成文化する制度である。これは標語である「自發能動 以亮天功」を成就するために1981年に生徒会規則で定められたもので、それまでのいわゆる「執行部制度」「生徒会長」などを廃止し、あらたに「生徒総会」を中心とする生徒会構図を築きあげた。執行部がないので、文化祭や体育祭などの実行委員会は各学年の有志で構成される。学年、人数等に制限はなく、反面、実行委員が募らなければ文化祭などのイベントが中止になるという非常にスリリングな制度であるが、それだけ生徒の中に「一高は自分達が作っている」という意識が芽生えるともいえる。

応援団

應援團とも表記される。全国屈指の歴史と伝統を誇り、旧制高等学校さながらの、弊衣破帽を身に纏ったバンカラスタイルでの応援を特徴とする。発足は大正時代で、後の1936年(昭和11年)4月に正式に初代応援団が結成され、今に至る。応援団幹部は、全校選挙で選ばれる団長1名、生徒総会の承認を必要とする副団長3名、以下幹部若干名から成り、生徒の中心的存在として多くの場面で活躍する。

校歌・応援歌

本校には、時代を超えて幾世代もの生徒が共有してきた歌がある。以下はそれの紹介である。本校に入学した1年生は、応援団幹部による指導のもと、以下の校歌・応援歌を定期戦までの期間に覚える。これらの歌は、在学時はもとより卒業後の会合などにおいても頻繁に歌われる。

  • 校歌 - 1909年4月1日制定、作詞: 大槻文彦、作曲: 岩城寛
  • 応援歌一番
  • 応援歌二番 - 1924年制定、作詞: 津久井信也(中31回)
  • 応援歌三番
  • 応援歌四番 - 1957年4月制定、作詞: 小山忠男(高9回)、作曲: 岩田章(高10回)
  • 応援歌五番(凱歌一番)
  • 凱歌二番(いわゆる「がいか」)
  • 五城の雄
  • 勝利の歌
  • 一高行進曲 - 1938年6月6日制定(同窓会より寄贈)、作詞: 安藤邦夫(中33回)、監修: 高野辰之、作曲: 福井文彦
  • 起てよ我が友
  • 仙台一高野球部歌
  • 飴かアラレか
  • 篭球部部歌
  • 端艇部部歌
  • 柔道部部歌 - 作詞: 木下春雄
  • 剣道部部歌
  • ラグビー部部歌 - 作詞: 米谷健一郎(中42回)、作曲: 松田光弘(高36回)
  • 仙台一中野球部応援歌
  • 仙台一高野球部応援歌
  • 落成式の歌(「明治41年9月 仙台市元茶畑に新校舎落成す」)

また、同じメロディーで歌詞を替えた歌も作られている。

学校行事

運動祭

毎年4月下旬に開催される。開会式では体操として一高体操が行われる。

一高体操

体育の授業における体操としてはあまり使われないが、一高体操というものがある。昭和49年に、仙台二高から転任した体育教師、渡辺剛吉によって発案され、57年には「ストレッチ運動」が、58年には「伴奏」が、それぞれ追加されてゆき、現在の一高体操に至っている。

対仙台二高定期戦

対仙台二高定期戦とは、ライバル関係にある仙台二高との間で行われる定期戦の総称である。特に有名なのは硬式野球定期戦であり、単に「定期戦」と言った場合にはこれを指す。硬式野球定期戦・三部定期戦以外にも、幾つかの部で定期戦が行われている。

硬式野球定期戦

硬式野球定期戦は、仙台二高との硬式野球の定期戦で、毎年5月中旬に行われる。「杜の都早慶戦」と呼ばれるが、早慶戦よりも起源は古く、1900年から何度か中断されながらも続いている伝統行事である。両校とも、応援団幹部を中心として全校総出で応援合戦を繰り広げるため、両校の生徒にとって最大のイベントとなっている。2007年に仙台二高の共学化に伴い、その存続が危ぶまれていたが、引き続いて開催された。また、東北楽天ゴールデンイーグルスのプロ野球参入に伴う、県営宮城球場(フルキャストスタジアム宮城)の改装により、従来の応援形式がとれないなどの問題も発生している。2008年5月10日に実施された定期戦では仙台一高は敗北。仙台一高の1946年からの通算戦績は61勝67敗2分、優勝回数は仙台一高、仙台二高ともに27回(両校引き分けが9回)と並んだ。

アピール行進

1971年の仙台一高・二高野球定期戦開催を前に行進したのが始まり。第1回は、仙台一高側が東北大学片平キャンパス北門前を出発し、東一番丁通り(当時の東一番丁通りは歩行者専用道路ではなく、2車線の車道だった)を北上し、勾当台公園の野外音楽堂前で二高側と落ち合って、双方が応援歌を歌い、エールを交換した。仙台二高ではPR行進と呼ぶ。硬式野球定期戦の前々日に行われ、仙台一高・仙台二高の応援団幹部をそれぞれ先頭とし、以下、各校の1年生全員と2・3年生有志が、応援歌や野次を叫びながら一番町を行進し、西公園までを歩く。

三部定期戦

三部定期戦は、以下の部活動における仙台二高との定期戦で、硬式野球定期戦と同時期に行われる。柔道定期戦は年2回で、冬期にも行われる。

  • 柔道
  • バスケットボール
  • バレーボール

このほかラグビー部の定期戦を正月元旦に開催している。

山小屋移動ホームルーム

2学年の宿泊行事として、宮城蔵王の仙台一高井戸沢小屋で行われていた。現在は週休二日制などの影響により、学年行事としての山小屋HRは中止され、2002年度より下記の東京移動HRと呼ばれる行事に変わった。しかし山小屋HRは形を発起人制の行事に変え、有志により今日まで続けられている。山岳部OBなどを含め毎年30〜40名ほどの参加者がいる。この山小屋は夏の時期地学部の流星観測の拠点ともなる。

東京移動ホームルーム

2002年度より、2学年時の行事として毎年6月から7月頃に行われている。東京に宿を取り、大学や企業を見学をすることが主な目的。夜には宿にて卒業生との懇談会も開催されている。平成21年度は9月予定。


合同巡検

1学年時における宿泊行事で、1977年より毎年6月から7月頃に行われている。網地島という仙台湾内の島での島の生態や環境の調査といった生物や地学の実習や、石巻市の漁業関係施設や女川原子力PRセンターの訪問などの政治経済の実習を兼ねる。研修後のレポート提出がある場合が多い。

壱高祭

仙台一高の文化祭として毎年8月下旬もしくは9月初旬に3日間を使って行われており(1976年度は開催されず)、生徒からの発起人から成り立つ「壱高祭実行委員会」によって運営される。元来、1945年より「文化祭」という名前で毎年10月に行われていたが、1957年に「壱高祭」と改称され、2006年に行われた壱高祭で第49回を数えた。2007年の壱高祭で50回目となる。

強歩大会

仙台一高の秋の風物詩として1965年より毎年10月頃に行われている。他人と競い合う競歩ではなく「強歩」である。学校を早朝に出発し、仙台市内を大きく回って秋保温泉まで約40kmを歩く。距離の違う2種類のコースがあり、年度ごとにローテーションをする。なお、この大会は「小雨決行」(事実上の雨天決行)であり、実際1965年から2006年までの41年間、一回も中止されていない。2004年の第39回大会では、台風接近により他校が次々に休校を決定する中、一高は大会決行を決定した。一高の校風を具現化する行事の一つである。


赤パン

生徒は水泳の授業にて赤いブーメランパンツを着なければならない。一高の伝統と象徴でもあり、アピール行進や一高祭にてこれを着用している生徒が多数見られる。


部活動

生徒は、運動部・学芸部・同好会・愛好会のいずれか1つ以上への加入を義務付けられる。以下に部活動の一覧を示す。なお、「壱高祭実行委員」という生徒からの発起人により組織されるものもある。

運動部

学芸部

同好会

愛好会

同窓会

「宮城県仙台第一高等学校同窓会」と称する。各期、各地域、各職域などにそれぞれ同窓会の支部が存在している。それぞれさかんに行事が行われている。また毎年行われる大納涼大会は卒業生が多く集まる。


大納涼大会

2006年で第50回を数える行事。毎年8月15日に行われる。卒業生同士の懇親を深めるためとされる。毎年厄年にあたる期が幹事となる。

著名な卒業生

関連項目

関連文献

  • 仙台一中・一高百年史(1992年) - 仙台一中・一高百年史編纂委員会編集

外部リンク