宍道広慶

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宍道 広慶(しんじ ひろよし、享保元年(1716年) - 明和6年9月24日1769年10月23日))は、江戸時代中期の萩藩毛利家の重臣。出雲源氏尼子氏分流宍道氏の15代。

父は益田就高。母は側室。正室は日野元孝の娘。子は就益浦就尹堅田正昭は氏慶、広慶。通称は幸七郎、式部、外記、備前。

生涯[編集]

享保元年(1716年)、問田益田家の益田就高の三男に生まれた。実兄繁沢利充(益田広堯)と広慶が生まれた時、すでに父の養嗣子に元方がいた。このため同じ寄組である宍道元行の養嗣子となり、毛利宗広偏諱を貰い広慶と名のる。享保16年(1731年)、元行の死去にともない家督を相続した。その後、藩の重職に就き、のちに兄の益田広堯とともに加判役となる。

明和6年(1769年)死去。享年54。家督は嫡男の就益が相続した。

参考文献[編集]

  • 「近世防長諸家系図綜覧」マツノ書店
  • 小川國治「毛利重就」吉川弘文館