宍戸就尚

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宍戸就尚
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年(1607年
死没 寛永17年(1640年
別名 弥三郎、雅楽、越前
官位 雅楽頭、越前守
主君 毛利輝元秀就綱広
氏族 藤姓宇都宮流宍戸氏
父母 父:宍戸広匡、母:穂井田元清
兄弟 就尚熊谷元実
正室:興正寺准尊娘、千子
養子:就附
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宍戸 就尚(ししど なりなお)は、江戸時代初期の長州藩毛利家家臣。宍戸家第16代当主。父母両方の祖に毛利元就がいる。

生涯[編集]

慶長12年(1607年)、毛利家家臣宍戸広匡の長男として生まれる。寛永元年(1624年)。父の隠居により家督を相続する。寛永2年(1625年)の藩内の知行替えにより、佐波郡右田から熊毛郡三丘に移る。以降、宍戸家は代々三丘領主、長州藩一門家老筆頭を務める。寛永年間、領内に正覚寺を創建する。

寛永17年(1640年)死去。享年34。家督は実弟熊谷元実の子の宍戸就附が相続した。

参考文献[編集]

  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」