安達謙蔵
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あだち けんぞう
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安達謙蔵の肖像写真
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| 生年月日 | 1864年12月20日 |
| 出生地 | 肥後国熊本 |
| 没年月日 | 1948年8月2日(満83歳没) |
| 死没地 | 熊本県熊本市 |
| 出身校 | 済々黌 |
| 前職 | ジャーナリスト |
| 所属政党 | (熊本国権党→) (帝国党→) (大同倶楽部→) (中央倶楽部→) (立憲同志会→) (立憲民政党→) (国民同盟→) 無所属 |
| 称号 | 従三位 勲一等瑞宝章 |
| 配偶者 | 安達 ユキ |
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| 内閣 | 濱口内閣 第2次若槻内閣 |
| 任期 | 1929年7月2日 - 1931年12月13日 |
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| 内閣 | 加藤高明内閣 第1次若槻内閣 |
| 任期 | 1925年5月30日 - 1927年4月20日 |
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| 選挙区 | (熊本県郡部区→) (熊本県第4区→) (熊本県第2区→) 熊本県第1区 |
| 当選回数 | 8回 |
| 任期 | 1917年4月21日 - 1942年4月30日 |
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| 選挙区 | 熊本県郡部区 |
| 当選回数 | 5回 |
| 任期 | 1902年8月11日 - 1914年12月25日 |
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| 任期 | 1932年12月22日 - 1940年7月26日 |
安達 謙蔵(あだち けんぞう、元治元年11月22日(1864年12月20日) - 1948年(昭和23年)8月2日)は、大正、昭和初期に活躍した日本の政治家。号は漢城。
目次 |
[編集] 来歴・人物
熊本藩士・安達二平の長男として生まれる。佐々友房が熊本県に設立した学校、済々黌で学ぶ。朝鮮に渡り、1894年(明治27年)に邦字新聞「朝鮮時報」「漢城新報」を発行。社長兼新聞記者として日清戦争にも従軍した。駐韓公使三浦梧楼から李氏朝鮮の王妃、閔妃の殺害計画を漏らされる。1895年(明治28年)、在韓の熊本県出身者を率いて乙未事変を実行。中心メンバーとして投獄されるがその後釈放される。
熊本に戻り、佐々友房とともに熊本国権党を結党。1902年(明治35年)の衆議院選挙で初当選。政治の世界に足を踏み入れる。1914年(大正3年)大隈重信内閣の総選挙で与党立憲同志会(のちの民政党)の選挙長を務めて大勝し、徳富蘇峰から「選挙の神様」と評された。加藤高明内閣で逓信大臣、濱口雄幸内閣と若槻禮次郎内閣で内務大臣を歴任した。若槻内閣総辞職のあと民政党を離党し、1932年(昭和7年)中野正剛とともに国民同盟を結成。1940年(昭和15年)からは大政翼賛会に参加した。
[編集] 協力内閣運動
満州事変や十月事件を受けて、軍部に同調的であった安達は、政友会と協力しあって連立内閣を作り、軍部とも提携して難局を切り抜いていくことを考え、若槻首相に提案した。若槻首相は、安達とは逆に軍部の台頭による政治の無力化を防ぐためにも政友会との連立は必要と考えて賛同した。一説には、最初若槻首相が安達内相にはかり、政友会から協力をもらうよう依頼したとも言われる。安達は政友会の久原房之助から合意をとり、協力内閣運動の声明も発表するなどして、政友会総裁の犬養毅を首班とする連立内閣の成立に向けて動いた。
しかし協調外交を主張する外相の幣原喜重郎と、緊縮財政を主張する蔵相の井上準之助らの強い反対を受け、当初安達と同じ考えだった若槻首相は、態度を変え、協力内閣の考えを捨ててしまう。当時政友会は、森恪をはじめとして幣原協調外交に批判的であり、また金輸出の禁止を強く求めていた。
若槻の翻意により既に政友会から合意を得ていた安達の面目はつぶれ、引くに引けないまま安達は自宅に引きこもり、閣議に出席しなくなる。当時の日本の制度により、総理には閣僚を解任する権限がないため行政の停滞が続き、ついに閣内不統一により若槻内閣は総辞職した。総辞職を受けて元老西園寺公望が次期首班に政友会の犬養総裁を奏薦し、犬養内閣の成立となった。かねてから久原・安達の独走に懐疑的であった犬養は単独内閣を組閣した。
その後、安達は民政党と袂を分かつ事になった。なお、この総辞職の発生が井上蔵相によってドル買問題を引き起こした三井銀行などの大手銀行に対する報復的な対応措置が実施される直前であったことから、当時、安達が倒閣と引換に大手銀行側から何らかの利益を受けていたのではという噂が流されたが、安達の動きはそれ以前よりのものであるため、直接の関連性は薄いと考えられている。
[編集] 家族 親族
- 妻・ユキ(熊本県士族大里八郎三女)
- 養子・董治(熊本県士族原義龍弟)
- 同妻・範子(熊本県士族藤井敬慎四女)
- 二女・アツ(熊本県士族藤井敬慎の長男・敏政に嫁する)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| 官職 | ||
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| 先代: 望月圭介 |
第47-48代:1929 - 1931 |
次代: 中橋徳五郎 |
| 先代: 犬養毅 |
第30代:1925 - 1927 |
次代: 望月圭介 |
| 党職 | ||
| 先代: (結党) |
国民同盟総裁 初代:1932年 - 1940年 |
次代: (解党) |
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