安吉

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安吉
各種表記
ハングル 안길
発音: アン・ギル
日本語読み: あん きち
ローマ字 An Kil
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安 吉(アン・ギル、안길、1907年2月24日 - 1947年12月13日)は日本統治時代の朝鮮社会主義者独立運動家及び朝鮮民主主義人民共和国軍人。別名は安尚吉

経歴[編集]

1907年、咸鏡北道慶源郡の貧しい農家に生まれる[1][2]。幼い頃に吉林省琿春県敬信郷に移住。龍井の大成中学校を中退[3]。中等教育程度の知識を持った牧師であったが、地下工作をしていた李鳳洙に引き立てられ、抗日武装闘争に参加[4]

1927年、朝鮮共産党満州総局に入党。

1932年、中国共産党に入党。

1933年、金溝区委員会書記。琿春県の遊撃隊に入隊。

1939年、抗日パルチザン東北抗日聯軍第1路軍第3方面軍第14団政治委員。1940年10月、第1路軍第3方面軍参謀長。同年11月末に東寧県からソ連に移動[5]。1941年2月、南野営へ行き、同年3月に会議が開かれ、その会議の決定に基づき第1路軍の越境部隊を第1支隊とし、安吉が参謀長に任じられた。

1942年、第88旅団第1大隊政治委員。1944年2月から第3大隊政治委員[6]

第二次世界大戦終戦後は、ソ連軍船のプガチョフ号に乗り、9月19日に元山に上陸[7]。その後は朝鮮共産党咸鏡北道部責任秘書を務めた。

1946年7月、平壌学院院長[8]。同年8月、朝鮮労働党中央委員に選出[9]。同年9月、保安幹部訓練大隊参謀長[8]

1947年12月13日に40歳で病死。1968年に安吉の記念像が建てられる[2]

人物[編集]

許真によると、ソ連指示下の偵察小組事業において誰よりも優秀な成績を残した[4]

兪成哲によると、牧師らしい温厚な性格で、親和力があり、人が嫌がる仕事も厭わない庶民的な行動をとり、金日成も安吉には気を遣って付き合った[10]

出典[編集]

  1. ^ 和田 1992, p. 356.
  2. ^ a b 徐 2013, p. 499.
  3. ^ 和田 1992, p. 357.
  4. ^ a b 林 1982, p. 113.
  5. ^ 和田 1992, p. 290.
  6. ^ 和田 1992, p. 330.
  7. ^ 和田 1992, p. 342.
  8. ^ a b 和田 1992, p. 366.
  9. ^ 和田 1992, p. 363.
  10. ^ 東亜日報 & 韓国日報 1992, p. 64.

参考文献[編集]

  • 林隠『北朝鮮王朝成立秘史 : 金日成正伝』自由社、1982年4月1日。NDLJP:12172309 
  • 東亜日報,韓国日報 編、黄民基 訳『金日成 その衝撃の実像』講談社、1992年。ISBN 4-06-205863-4 
  • 和田春樹『金日成と満州抗日戦争』平凡社、1992年。ISBN 4-58-245603-0 
  • 徐大粛 著、林茂 訳『金日成』講談社〈講談社学術文庫〉、2013年。ISBN 978-4-06-292162-6 
  • [안길(安吉, 1907~47) 安相吉 安常吉]”. 노동자의 책. 2015年2月6日閲覧。