宇田東植

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宇田 東植
基本情報
国籍 韓国の旗 韓国
出身地 東京都杉並区
生年月日 1948年8月23日(66歳)
身長
体重
177 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1971年 ドラフト4位
初出場 NPB / 1972年4月28日
KBO / 1983年
最終出場 NPB / 1982年10月11日
KBO / 1984年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

宇田 東植(うだ とうしょく、1948年8月23日 - )は、東京都杉並区出身[1]の元プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ野球解説者在日韓国人で、韓国名は朱 東植(チュ・ドンシク、주동식)。

来歴・人物[編集]

拓殖大学第一高校時代の1964年、都大会3回戦でノーヒットノーランを達成。その後は中央大学へ進学し、東都大学リーグで通算35試合に登板。9勝3敗を挙げる。本田技研野球部を経て、1971年のドラフト4位指名で東映フライヤーズに入団。デビュー当初から主に敗戦処理が中心だったが、イースタン・リーグ(二軍)では1972年に最優秀防御率のタイトルを獲得。

1979年にはフォームを改造。先発投手として39試合に登板し、規定投球回もクリア。防御率3.47・9勝3敗の成績を残し、リーグ7位に入った。1981年の日本シリーズでは、第4戦で4番手に登板している。

1982年1月、榊原良行との交換トレードで阪神タイガースに移籍。中継ぎとして29試合に登板したが、1年限りで退団。

1983年韓国プロ野球(KBO)のヘテ・タイガースに移籍。その年は30試合登板、7勝7敗3セーブを挙げて韓国シリーズ優勝に貢献した。1984年に現役引退。

アンダースローで、スローカーブが武器。スローカーブ以外の球種にシュートも持っていた。

引退後、1989年から2001年まで東京ケーブルネットワーク制作の日本ハム戦中継でレギュラー解説者を務め、2002年から2003年まで古巣・起亜タイガースで投手コーチを務める。退団後、イ・スンヨプら日本でプレーする韓国人選手の良き相談相手でもあった。

カラオケでは小林旭を歌う。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1972 東映
日拓
日本ハム
12 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 70 16.2 20 4 4 1 1 10 0 0 11 9 4.86 1.44
1973 12 0 0 0 0 0 0 -- -- ---- 104 22.1 27 5 8 1 2 9 0 3 19 15 6.04 1.57
1974 2 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 7 2.0 2 0 0 0 0 2 0 0 1 0 0.00 1.00
1975 18 2 1 0 0 2 2 0 -- .500 223 51.0 61 5 9 0 6 13 0 0 29 22 3.88 1.37
1976 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 17 3.1 4 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0.00 1.50
1977 13 4 0 0 0 0 1 0 -- .000 157 37.2 38 4 7 0 2 9 1 0 19 19 4.54 1.19
1978 15 9 2 0 1 2 3 0 -- .400 232 54.0 68 7 8 0 4 16 0 0 35 30 5.00 1.41
1979 39 7 2 0 0 9 3 0 -- .750 555 135.0 151 15 20 3 7 34 0 0 61 52 3.47 1.27
1980 22 12 2 1 0 3 6 0 -- .333 348 84.0 89 11 14 2 1 37 0 0 35 33 3.54 1.23
1981 8 5 1 0 0 0 3 0 -- .000 114 23.2 37 3 3 1 3 9 0 0 21 16 6.08 1.69
1982 阪神 29 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 173 42.0 35 5 11 1 4 16 0 0 15 12 2.57 1.10
1983 ヘテ 30 21 3 2 7 7 3 -- .500 599 134.1 133 14 38 0 9 56 60 50 3.35 1.27
1984 18 10 4 2 6 5 0 -- .545 333 83.1 74 4 21 4 3 27 23 21 2.27 1.14
NPB:11年 171 39 8 1 1 16 19 0 -- .457 2000 471.2 532 59 85 9 30 155 1 3 247 208 3.97 1.31
KBO:2年 48 31 7 4 13 12 3 -- .520 932 217.2 207 18 59 4 12 83 83 71 2.94 1.22
  • 東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)に、1974年に日本ハム(日本ハムファイターズ)に球団名を変更

記録[編集]

  • 初登板:1972年4月28日、対ロッテオリオンズ4回戦(後楽園球場)、9回表に6番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、9回表に有藤通世から
  • 初勝利:1975年8月27日、対太平洋クラブライオンズ後期11回戦(平和台野球場)、4回裏2死に2番手で救援登板・完了、5回1/3を1失点
  • 初先発・初先発勝利・初完投勝利:1975年9月6日、対ロッテオリオンズ後期7回戦(宮城球場)、9回1失点
  • 初完封勝利:1980年5月13日、対西武ライオンズ前期8回戦(後楽園球場)

背番号[編集]

  • 14 (1972年 - 1981年)
  • 27 (1982年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

  • 東京ケーブルネットワーク制作の日本ハムファイターズ東京ドーム主催試合中継
    • TVSヒットナイター(テレビ埼玉配給分のタイトル。1999年頃まで。TCN配給の他、テレビ埼玉自社制作の西武ライオンズビジターゲームにも出演)
    • 熱パ プロ野球中継(GAORA配給分のタイトル)

脚注[編集]

  1. ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』(『ホームラン』2000年3月号増刊。日本スポーツ出版社発行)掲載の解説者名鑑を参照。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]