孝静成皇后
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孝静成皇后(こうせいせいこうごう、嘉慶17年(1812年) - 咸豊5年(1855年7月))は、清朝の第8代皇帝道光帝の側室で、第9代皇帝咸豊帝の養母。花良阿の娘、ボルジギン氏。
もとは道光帝の妾であり、後宮にはいってほどなく静貴人、そして静貴妃にのぼり、晩年康慈皇太后と尊せられる。
咸豊帝の生母・孝全成皇后が1840年正月に没すると、奕詝(のち咸豊帝)の養育にあたり主導権を得る。そして、咸豊帝即位と同時に皇考康慈皇貴太妃となり、寿康宮に移った。孝貞顕皇后(東太后)が皇后に立てられた背景に、その政治力が発揮されたといわれている。
1855年、病のためこの世を去った。翌年にはのちの同治帝が生まれたことで、生母・孝欽顕皇后(西太后)が紫禁城で権勢を独占してゆく。
[編集] 埋葬
西陵・慕東陵