姫路市企業局交通事業部

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交通事業部・日出車庫(2009年2月)
旧塗色(1992年撮影)
廃止時の塗色(2005年撮影)

姫路市企業局交通事業部(ひめじしきぎょうきょく こうつうじぎょうぶ)は、兵庫県姫路市路線バスモノレールロープウェイ書写山ロープウェイ)事業を行っていた公営事業者である。当初は姫路市交通局と称していた。

モノレールは累積赤字の影響で廃止、書写山ロープウェイは姫路市観光交流推進室に移管、路線バス事業もモータリゼーションの進展等で利用者が減少し2010年3月26日で神姫バスに路線移譲された。

沿革[編集]

  • 1946年昭和21年) - 市営乗合自動車業務開始。
  • 1950年(昭和25年) - 一般貸切旅客自動車運送事業開始。
  • 1955年(昭和30年) - ワンマンバスの導入を開始。
  • 1958年(昭和33年)3月19日 - 書写山ロープウェイ運行開始。
  • 1966年(昭和41年)5月17日 - モノレール線、姫路駅 - 手柄山駅間(1.6km)が開業。
  • 1968年(昭和43年)1月31日 - モノレール線大将軍駅休止。
  • 1968年(昭和43年)7月21日 - モノレール線をそれまでの15分間隔から20分間隔に減便。
  • 1971年(昭和46年) - 交通事業再建対策審議会が発足。
  • 1972年(昭和47年)12月22日 - 路線再編成を翌1973年の2回に分け実施。神姫バスと路線交換する。
  • 1974年(昭和49年)4月11日 - モノレール線休止。本来は3月31日休止予定だったが、運輸省(当時)への手続きミスで延びていた。さよなら運転は前日4月10日[1]
  • 1979年(昭和54年)1月26日 - モノレール線正式廃止。
  • 1980年(昭和55年)11月1日 - 姫路駅南バスターミナル(現神姫バス駅南のりば)開業。
  • 1983年(昭和58年)4月1日 - 中型ワンマンバスの導入を開始。
  • 1985年(昭和60年)4月1日 - 乗合バス冷房化100%達成。
  • 1986年(昭和61年)3月1日 - 姫路駅北バスターミナル全面改装。
  • 1992年平成4年)10月1日 - 書写山ロープウェイリニューアル。
  • 2005年(平成17年)1月 - 「姫路市交通事業経営健全化計画」策定、市営交通事業の見直し始まる。
  • 2005年(平成17年)3月31日 - 一般貸切旅客自動車運送事業廃止。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 書写山ロープウェイを姫路市観光交流推進室に移管して運営から撤退。神姫バスが、同日より書写山ロープウェイの運行受託業務を受託する。
  • 2007年(平成19年)7月1日 - 水道局と組織統合により姫路市企業局交通事業部に名称変更。
  • 2008年(平成20年)9月16日 - 姫路市営バスの全路線を民間に移譲し、バス事業を廃止することを発表。
  • 2008年(平成20年)11月6日 - 姫路市営バスの路線移譲に係る運行事業者が神姫バスに決定。
  • 2009年(平成21年)3月28日 - 姫路駅南口発着路線と飾磨駅発着路線、網干駅発着路線を神姫バスに移管。
  • 2010年(平成22年)3月26日 - 同日をもって事業廃止。
  • 2010年(平成22年)3月27日 - 廃止時点の路線をすべて神姫バスに移管。

姫路市営バス[編集]

概略[編集]

22路線44系統、営業距離 105.74kmの路線を運行していた。姫路駅の南北にターミナルを設けており、飾磨駅網干駅発着の路線もあった。平成18年(2006年)年度末時点での輸送人員は12,327人/日[2]。神姫バスと区別するため、単に「市バス」もしくは「市営」とも呼称されていた。戦後の混乱期に民間事業者のバスがストライキ等で麻痺した経験から、市民のための交通機関として石見元秀市長が主導して設立された。開業初期は車両が足りず、トラックに幌をかけて客席を取付け、幌バスとして運転するなどした。

モータリゼーションの進展と、運行エリアがインナーシティ問題や重化学工業衰退の影響を強く受ける地区のため経営状況は非常に厳しく、累積欠損額は平成18年度決算で約11億5千万円に達しており[2]、様々な合理化が行われてきた。

路線の交換・譲渡[編集]

姫路市の市営バスは1947年の開業後、市民サービス向上の方針のもとに路線網の拡大を進めていった。当初は神姫バスも協力的だったが、市営バスの路線拡大と共に競合路線が増加し、次第に対立関係となっていった。

しかし1960年代に入り、モータリゼーションの進捗による利用者の減少などから、他の公営バス事業者でも顕在化していた赤字体質が問題化していた。そこで、1971年6月18日に交通事業再建対策審議会が発足、7月21日に吉田豊信市長から諮問を受け、翌1972年2月10日に同審議会は吉田市長へ答申。これを受け、1972年9月30日に交通事業再建整備計画が策定された。

1972年当時、姫路市交通局では神姫バスとの競合路線も多く非効率だったため、主に国道2号より南側を市営バス、国道2号の北側や市域外にかけては神姫バスのエリアとして路線交換を行うこととし、1972年12月22日に路線再編成第1次分を、翌1973年4月5日に第2次分を実施した。市営バスは合理化を達成できたが、神姫バス側は有力な南部路線を手放す形になった。

その後も散発的に神姫バスへの路線譲渡を実施しており、1996年以降に大日東口線や青山ゴルフ場線、網干駅 - ダイセル(ダイセル姫路製作所網干工場)線などが神姫バスに譲渡され、2007年3月24日に書写駅(書写山ロープウェー)線と大池台線、2008年3月22日には姫路駅北口 - 才崎橋西詰 - 新日鉄病院・新日鉄(新日本製鐵広畑製鐵所)線が譲渡されている。

その後も姫路市街付近などでは神姫バスと重複する区間があり、姫路市営バス・神姫バス双方で指定された区間に限り利用できる共通定期券を発行。神姫バスは、自社発行のNicoPaやJR西日本のICOCAなどのIC乗車券に対応しているが、姫路市営バスではNicoPaなどのIC乗車券には対応しないまま、事業撤退を迎えた。

事業撤退[編集]

2008年9月16日に、当時運行していた16路線34系統すべてを、公募で選定した1つの運行事業者に2か年かけて移譲し、バス事業を廃止することが発表[3]。2008年11月6日に、バス事業の移譲先が神姫バスに決定した。移譲路線と移譲時期は下記の通り。

  • 2009年3月28日[4]より南北循環、市役所、飾磨中央、火力、庄田、東山、灘中、大津、大津南(駅南発路線)。
  • 2010年3月27日[5]より四郷、東蒲田、英賀保新日鉄、思案橋、姫路港、荒川、日出車庫(駅北発路線)。

2010年3月26日をもって全路線の民間移譲を完了し、市営バス事業は廃止になった。なお、姫路市に続いて、明石市営バスも2012年3月16日で廃止しており、神戸市(政令市)以外の兵庫県内の公営バスは伊丹市尼崎市[6]のみになった。

車両[編集]

日産ディーゼル(現「UDトラックス」)日野いすゞ三菱ふそうの国産4メーカーをほぼ均等に導入していた。

末期はCNGノンステップバスを含むノンステップバスがほとんどを占めており、一部ワンステップバスが在籍していた。車体も純正メーカーがほとんどだが、若干西工製も在籍していた。

民営化にあたり大半が神姫バスに引き継がれたほか、芸陽バス日野ブルーリボンの西工架装車1台、富山地方鉄道日産ディーゼルRMいすゞエルガミオの2台が移籍している。

姫路市営モノレール[編集]

姫路市営モノレール線
路線総延長 1.6 km
電圧 600V(直流
最大勾配 60 パーミル
最小半径 80 m
最高速度 50 km/h
(1974年休止時)
hKBHFa BHF hBHF
電鉄姫路駅/姫路駅
hSTR exhKBHFa STR hSTR
0.0 姫路(仮)
hSTRlf xhKRZho KRZh hKRZ
山電本線
exhSTR eABZlf ehKRZ
播但線(飾磨港線)
exhBHF STR hSTR
0.5 大将軍駅 1968年休止
STRq xhKRZ ABZrf hSTR
姫新線
STRq xhKRZ STRrf hSTR
山陽本線
hSTRq xhKRZhu hSTRq hSTRrf
山陽新幹線
exhWSTR
船場川
exhSTRe
exKDSTa exBHF
1.6 手柄山駅
exSTRlf exABZlg
検修施設
exENDEe

姫路市交通局モノレール線は兵庫県姫路市の姫路駅から同市の手柄山中央公園にあった手柄山駅までを結んでいた鉄道(モノレール)路線(廃線)。1966年に開業したが営業不振などにより1974年休止、1979年廃止となった。正式な路線名は無く[7]、一般には姫路市営モノレールなどと呼ばれていた。

路線データ[編集]

  • 路線距離:
    • 線路延長: 1,824m(免許区間は姫路 - 手柄山南2.0km[8]
    • 営業キロ: 1,630m
  • 方式:跨座式(ロッキード式、軌道桁断面幅 900mm)
  • 駅数:3駅(起終点駅含む)
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線 直流600V(第三軌条方式[9]
  • 閉塞方式:なし
  • 保安装置:ATS
  • 最急勾配: 60山陽電気鉄道本線オーバークロス部の前後)
  • 最小半径: 80m(大将軍駅の手柄山方)
  • 所要時分: 下り(姫路→手柄山)3分50秒、上り(手柄山→姫路)4分40秒
    上りの所要時間が50秒も長いのは、60‰の下り勾配を経ての姫路駅進入がATSによる10km/h制限が課されていたため[10]

(データ出典:『鉄道ピクトリアル』1970年4月号『姫路モノレール』)


歴史[編集]

船場川沿いの路線跡
路線の支柱

姫路市の戦後復興を指導した石見元秀市長の下、交通混雑の緩和と市勢拡大を目指して、市南部の工業地域や市北部の住宅地域と都心を結ぶ目的で企画された。石見は海外視察で乗車したアメリカのディズニーランドのモノレールの快適さに強く興味を引かれたという[11]

1966年4月6日から同年6月5日にかけて手柄山で開催された「姫路大博覧会」(以下、姫路博)会場への輸送機関という名目で、姫路(仮)駅 - 手柄山駅間を先行開業させた。総工費14億5千万円と8か月の工期を要した[12]。当初は開幕に先立つ4月3日の開業を予定していた[13]が、姫路駅予定地の立ち退き交渉に手間取ったこと[14]、台風や集中豪雨の影響もあって姫路博開幕には間に合わず、会期後半の5月17日になってようやく開業した。これに続けて飾磨広畑の臨海工業地域まで路線を延ばすことが検討され、さらに市内に環状路線を建設し、日本海側の鳥取まで路線を延伸する壮大な構想が立てられていたという[15]

しかし、運行距離が短く、終端が山上の都市公園内という立地もあって、姫路博終了後は利用者が激減。開業初年度は402,967人だった利用者数も、翌年(1967年)度には334,517人、翌々年(1968年)度は245,718人と、当初予想の100万人を大きく割り込んだ[16]。起終点の立地もさることながら、並行する山陽電鉄の姫路 - 手柄間の運賃が1969年まで20円、1974年まで30円[17]だった時期に、姫路 - 手柄山間が100円という高額な運賃の影響も大きく、「タクシーの方が安かった」[18]とまで言われた。

営業係数は開業した1966年で195、翌年以降は400を超える水準で推移し、毎年1億円あまりの資金が姫路市の一般会計から投入され[11]、一部の市民からは「市のお荷物」とまで言われたという[16]。その後、建設推進派の石見が市長選挙で落選し、反対派の吉田豊信が当選したことや、当時は国からの補助金交付制度がなかったこと[19]もあり、累積赤字が膨らみ路線が延伸されないまま、「乗客増が見込めない」「老朽化による維持修繕費の増大が見込まれる」「特殊な構造のため部品補充が難しい」という理由により[20]、わずか8年で営業休止となり、1979年に正式に廃止された。1974年4月時点での累積赤字は10億7200万円にも達していた[21]

廃止後も軌道桁などの設備は、撤去費用や起債の償還等の問題もあり放置されていたが、一部で歩道化など再利用についての検討も行われていた。この間、休止中は実施されていた、保線車両による保守が廃止で取りやめとなった結果、1984年10月13日夜に手柄山駅北方で老朽化した饋電線が800mにわたって落下する事故が発生[21]。このため同年以後は他事業に絡む部分から撤去が開始された。しかし恒久施設として建設された鉄筋コンクリート製橋脚の解体や、大型レッカー車の手配を要する軌道桁の撤去には約20億円もの費用がかかるため、現在でも軌道跡下にビルなどが建っている部分などを中心に橋脚や軌道桁が撤去されずに残っている区間がある。1991年には社会学者の鵜飼正樹(現・京都文教大学准教授)が、古代ローマの水道橋をも連想させるこの廃線跡を「現代遺跡」と命名した[22]

利用状況[編集]

姫路市営モノレール線が営業していた8年間の各年度ごとの輸送・営業実績を下表に記す。輸送量は目標に遠く届かなかった。下表では、各項目の最高値を赤色の背景色で、最低値を青色で表示している[23]

年度別輸送・営業実績
年 度 輸送人員
千人
輸送密度
千人/km
旅客運賃収入
千円
営業収入
千円
営業費
千円
営業係数
%
特記事項
1966年(昭和41年) 403 645 32,917 33,501 65,363 195 5月17日営業開始
1967年(昭和42年) 334 541 21,856 22,421 91,901 410  
1968年(昭和43年) 246 410 21,339 22,317 78,435 352  
1969年(昭和44年) 255 417 22,034 22,508 100,738 442  
1970年(昭和45年) 217 355 17,006 17,861 82,372 461  
1971年(昭和46年) 226 368 19,145 20,451 85,962 420  
1972年(昭和47年) 211 344 17,738 19,051 90,182 473  
1973年(昭和48年) 241   20,192       『交通年鑑』昭和50年度版には「休止中」としてデータ無し
1974年(昭和49年) 12   646       4月11日休止
『交通年鑑』昭和51年度版には「休止中」としてデータ無し

駅一覧とその現状[編集]

全駅兵庫県姫路市に所在。

姫路駅 -(0.5km)- 大将軍(だいしょうぐん)駅 -(1.1km)- 手柄山駅

姫路駅
姫路駅は仮駅として建設されたため、軌道桁が神姫バスの姫路バスターミナル直前で断ち切れ、終端部に車止めが設けられているだけのシンプルな線路配置で、駅舎も仮設で簡素だった。延長時には、大手前通りをまたいで東側に直進する予定であり、これに備えて国鉄姫路駅構内の播但線ホームの北側に正規の駅用地の一部が確保されていた。このためこの地区には現在も旧国鉄用地に食い込むようにして、姫路市有地が存在している。
廃線後、駅跡は神姫バスターミナルおよび山陽百貨店新館となった。
姫路市営モノレール大将軍駅跡(2004年10月)
大将軍駅
駅名標は旧字体で「大將軍駅」とされていた[24]
恒久施設として建設された大将軍駅は、公団高尾アパートなどが入居する高層ビルの3階から4階にかけて吹き抜け構造とされ、3階部分に軌道が、4階部分にホームが設置されている。
もとは25m幅の道路の中央に5m幅のグリーンベルトを設け、そこにモノレールを敷設する構想であった。ところが当時の建設大臣河野一郎が「道路を他の目的に使うとはけしからん」と言い出したことで、この先進的な構想は消えてしまった。そこでこれに代えて20m幅の道路に沿って10m幅の用地を確保し、ここに4階建てに高さを揃えたビルを建設し3階部分にモノレールを通すというアイデアを立てた[11]。実際に建設されたのは大将軍駅のある公団高尾アパートだけだが、これは都市再開発と軌道敷を一体整備し、都心部での導入空間確保と市街地改善を同時に行う工夫として注目された。もっとも大将軍駅は姫路駅に近すぎて歩いた方が早いほどだったため利用客は見込みほど多くなく、開業後2年足らずで営業休止となっている。
この下層部にはビジネスホテルがあったが、のちに廃業し、現在は市が倉庫として活用している。その他の部分は上層部のビルや東側の軌道桁も含めほぼ当時の姿のままだが、駅施設内に立ち入ることはできない[25]阪神・淡路大震災後の耐震診断で倒壊の恐れが指摘されたため補強工事が検討されていたが、所有者の都市再生機構はコスト面から補修を断念し、ビルを解体する方針であることを明らかにした[26]
なお、「大将軍」とはこの駅がある姫路市高尾町と隣の南畝町(のうねんちょう)にかけて存在した小字であり、大将軍神社が付近に現存する。大将軍神社は十二所神社御旅所で方位神の大将軍を祀っている[27][28]。ほかに延暦年間に播磨国総社に祈願した征夷大将軍坂上田村麻呂が十二所神社にも祈願し、寄進した田が字の名となったという説もある[29]
姫路市営モノレール手柄山駅跡(2006年4月)
手柄山駅に保管されている車両。移動のため休止以来35年ぶりに屋外へと出された[30](2009年11月15日の公開イベントにて)
手柄山駅
山の斜面に埋め込まれたおとぎの国の城をモチーフとしたようなデザインの建物で、その中心に開口したトンネルの中に軌道と列車が吸い込まれるような構造であった。この手柄山駅の奥にはトンネルの出口が存在し、車両はここでスイッチバックして検車線に入っていた。このスイッチバック構造は飾磨方面への延伸を考慮して用意されたものであり、ここに設けられた巨大な可動部を持つポイント機構は、ロッキード式モノレールのものとしては本線用として日本で設置された唯一のものであった。
廃線後はトンネル状の入り口が封じられ、検修線に当時の車両が残っていた[31]。手柄山駅の最上階は姫路市の「緑の相談所」となっている。
長らく非公開となっていた手柄山駅のホームと車両について、石見元秀の三男・石見利勝が市長となった2003年以降、再公開に向けての検討が進められてきた。まず耐震化工事実施計画委託料が2008年度予算に盛り込まれ[32]、2009年秋には検修線からホーム内に車両の内2両を移転する作業が行われた。検修線部分は改修して姫路市立水族館の一部を移転させ、モノレールと水族館を併せて「昭和レトロ」をテーマとした展示施設へと改装することとなり、2011年4月29日手柄山交流ステーションとしてオープンした[33][34][35]。水族館新館は2011年7月2日にオープンした[33]

システム[編集]

跨座式モノレールであり、ロッキード式と称された。軌道桁の上に設置された一本の鉄製レール(当時の新幹線と同じ50Tレール)の上を鉄車輪で走行する方式で、桁の両側には下部安定輪用の22kgレールが、手柄山に向かって右側に給電用の30kgレールとが取り付けられていた。高速走行も可能で、一般的な鉄道車両技術とも一定の共通性があり都市交通機関として発展が期待された。しかし、その走行時の騒音は後年日本跨座式として標準化された、ゴムタイヤを用いる日立アルウェーグ式に比べて格段に大きく、特に国鉄山陽本線を乗り越えるトラス橋を中心とする、鋼製橋梁部分の通過時には、大きな反響音が発生した。しかもその最終期はシステム開発に携わったアメリカのロッキード社(現在のロッキード・マーティン)がモノレール市場そのものから撤退して日本ロッキード・モノレール社が1970年9月に解散[21]。これに伴う補修部品の供給難と予算不足で車両、軌道共に保守状態が悪化していたために乗り心地が著しく低下してもいた。部品不足を補うため、4両在籍した旅客車の内1-2両を休車として部品の補填を行っていた。

最高160km/hまで可能とされた高速走行のメリットを除外すれば、鉄車輪と鉄軌条を用いるこのロッキード式は急勾配登坂能力と静粛性の点で不利である。遊園地の送迎はともかく未来の都市交通の担い手として考えた場合、部品供給を絶たれたこの方式の継続使用に合理性を見いだすことはできなかった。

ロッキード式は日本国内では他に、小田急電鉄向ヶ丘遊園モノレールに採用された。こちらは部品を自社工場で製作する技術力と資金力があり、しかも鉄道車両と親和性の高いシステムで保守上致命的な問題が長期にわたって発生せず、姫路市営線の廃止後も長く運行されたが、最終的には台車に亀裂が入り運行中止となった。

車両[編集]

200形202。同型の201(写真の奥にあるホーム内に先に移動させられた)と共に保存されることとなった。かつてポイントのあった場所に仮設桁を設けて、油圧ジャッキ(連結器に取り付けられた青い棒)で移動させられた(2009年11月15日の公開イベントにて)
ロッキード式モノレール台車。ただしこの画像のものは下側の左右安定輪が取り外されている(同上)

開業時に片運転台式の100形101・102、両運転台式の200形201・202の計4両が川崎航空機岐阜工場で製造された。これらは同じロッキード式の小田急500形電車が観光路線向けの「標準I型」と呼ばれたのに対して、より大型の「標準II型」と呼ばれていた[11]。他に内燃式の軌道点検車が1両あった。

アルミニウム合金製の部材を沈頭鋲で組み立てるという、完全に航空機の流儀で設計された軽量セミモノコック構造の流線型車体で、全長15m、全幅2.9m、自重は100形が18t、200形が18.4t。車体前面は曲面ガラスと貫通扉を組み合わせ、100形の連結面と200形には貫通幌が装着された。窓配置は100形がd1D4D11(d;乗務員扉、D:客用扉、D隣接の1枚窓は戸袋窓で幅が約半分、それ以外は約1.5m幅の広窓を採用した)、200形がd1D4D1dである。車内は窓配置に合わせた固定式クロスシートのみという、当時としては贅沢な設計であった。側窓は、常用で約11センチ、非常で約35センチ下降させることができた。天井にはファンデリアが設置され、常時稼働で強制換気を実施した。モノレール特有の非常脱出装備として円筒形の脱出シュートが各車両に備え付けられ、非常時には扉外側につり下げられることになっていた。

電装品は端子電圧300Vの75kW級主電動機を4基搭載、直角カルダン駆動により各台車の各車輪を個別に駆動し、4.0km/h/sという高加速性能を実現した。

台車は川崎車両が製作した、ダイアフラム式空気バネとトーションバーを組み合わせた特徴的な構造の2軸ボギー式で、610mm径の弾性車輪を採用、タイヤのフラット発生が直接乗り心地に悪影響をおよぼすため、自動車によく見られたドラムブレーキが採用された。ブレーキシステムは三菱電機製HSC電磁直通ブレーキで回路構成の簡略化のためか発電制動はなく、減速度は4.0km/h/sである。車輪径が610mmと小型であるため、コンパクトかつ低い車高で完全にフラットな床面構造を実現していた。

姫路博期間中は3両編成で運行されていた。姫路博終了後は200系の単行でも十分な程度の乗客しかいなかったが、万一の故障に備えて2両編成で運行されていた[16]

政策的特徴[編集]

全体構想は一般的な市内交通としての位置付けであったが、開業区間は都心地域と都市公園(手柄山総合公園)を地理的に近づける水平エレベーター(短距離の公共交通機関エレベーターに例えたもの)としての機能が意識されていた。また手柄山公園の駐車場を利用したパークアンドライド・観光バスアンドライド(観光バスを郊外に置き公共交通機関へ乗り換えること)を実施するなど、非常に先進的な実施事例があった。

脚注[編集]

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  1. ^ 「姫路モノレールがサヨナラ運転」神戸新聞1974年4月11日姫路版p.10
  2. ^ a b 姫路市交通事業の概要 - 姫路市企業局交通事業部
  3. ^ 姫路市営バスの路線移譲に係る運行事業者公募について - 姫路市企業局交通事業部
  4. ^ 姫路市営バスの路線移譲に係る駅南発着9路線の運行開始日について - 姫路市企業局交通事業部
  5. ^ 姫路市営バスの路線移譲に係る駅南発着7路線の運行開始日について - 姫路市企業局交通事業部
  6. ^ 2016年3月をもって、全路線を阪神バスへ委譲の予定。
  7. ^ 運輸省鉄道監督局(監修)『私鉄要覧 昭和48年度版』電気車研究会(鉄道図書刊行会)、p.112。
  8. ^ 『鉄道ピクトリアル』1970年4月号p.31
  9. ^ 『私鉄要覧』『交通年鑑』記載の届出では動力は「電気・内燃」となっている。
  10. ^ 藤井p.36
  11. ^ a b c d 佐藤pp.39 - 41
  12. ^ 藤井p.35
  13. ^ 「完成間近いモノレール 四月三日開通へ」神戸新聞1966年1月5日姫路版p.10。
  14. ^ 「モノレール開通は5月に」神戸新聞1966年3月29日姫路版p.12。
  15. ^ 岡田p.90
  16. ^ a b c 藤井p.37
  17. ^ 山陽電気鉄道(編)『山陽電気鉄道百年史』、p.367
  18. ^ 「【ふるさと原風景】胸躍った「姫路モノレール」跡」産経新聞2005年9月17日大阪朝刊27頁
  19. ^ 姫路市営モノレールが廃止された1979年に「都市モノレール建設のための道路整備に対する補助制度」が発足している。
  20. ^ 「モノレール休止にご理解を」『広報ひめじ』昭和47年11月増刊 No.475号 (PDF)
  21. ^ a b c 「廃止のモノレール送電線 老朽化!ドスン」神戸新聞1983年10月14日姫路版p.23。
  22. ^ 「勝手に関西世界遺産 姫路モノレール」朝日新聞2004年12月2日大阪夕刊3頁。
  23. ^ 交通協力会『交通年鑑』昭和43年度版 - 昭和49年度版、「民営鉄道事業者別成績表」。乗車人員・旅客運賃収入は姫路市財政局管財課所蔵資料を基に補った。
  24. ^ 編集長敬白: 「姫路モノレール」を公開。鉄道ホビダス、2009年11月18日
  25. ^ 姫路市|市政ココが聞きたいQ&A、2009年11月9日閲覧。
  26. ^ 読売新聞|モノレール貫通ビル解体へ…大地震で倒壊の恐れ、2013年6月11日閲覧。
  27. ^ 横山忠雄(編)『ふるさと城南ものがたり』城南地区連合自治会、姫路、1983年、p.119。
  28. ^ 大将軍橋 - 姫路なつかしの風景ほりほりの姫路ガイド、2004年12月5日(2009年11月25日閲覧)。
  29. ^ 橋本政次『姫路市町名字考』姫路市、1956年(復刻『播磨考・姫路市町名字考』〈兵庫県郷土誌叢刊〉臨川書店、1987年)、p.20。
  30. ^ 神戸新聞|姫路・西播磨|35年ぶり 姫路モノレール公開に1万2千人」、2009年11月16日。
  31. ^ 神戸新聞ニュース:姫路/2007.03.21/28年眠り“姫” 姫路モノレール
  32. ^ 鉄道ピクトリアル 2008年5月号・電気車研究会 鉄道図書刊行会、2008年5月1日発行。
  33. ^ a b [手柄山交流ステーションのオープンについて]
  34. ^ [手柄山交流ステーション]
  35. ^ [鉄道ファン railf.jp 鉄道ニュース 2011年4月30日掲載:「手柄山交流ステーション」がオープン ]

参考文献[編集]

  • 姫路市(編)『姫路市のモノレールについて』姫路市役所、1963年。
  • 『姫路モノレール』姫路市、1965年。
  • 「〈特集〉日本のモノレール」『鉄道ピクトリアル』1970年4月号通巻236号、電気車研究会(鉄道図書刊行会)。
    • 藤井信夫「日本ロッキードの代表 姫路市営モノレール」同上、pp.35 - 37。
  • 『WAY'87 姫路市営バス40周年記念誌』 1987年3月1日発行 姫路市交通局。
  • 『姫路市営バス50周年記念誌」 1997年4月1日発行 姫路市交通局。
  • 宮脇俊三(編著)『鉄道廃線跡を歩くV』JTBキャンブックスJTB、1998年、ISBN 4-533-03002-5
  • 佐藤信之『モノレールと新交通システム』グランプリ出版、2004年、ISBN 4-87687-266-X
  • 岡田昌彰「ランドスケープ再見(4) 姫路モノレール廃線 夢を語り続ける軌道跡」『土木技術』2008年6月号(63巻6号)、土木技術社、pp.88 - 91。
  • 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 9号 関西2』新潮社、2009年、ISBN 978-4-10-790027-2、p.47。

外部リンク[編集]