奥山武宰士

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奥山 武宰士 Football pictogram.svg
Musashi Okuyama.jpg
名前
カタカナ オクヤマ ムサシ
ラテン文字 OKUYAMA Musashi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1991年5月15日(22歳)
出身地 東京都八丈町
身長 176cm
体重 67kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
2003-2006 日本の旗 柏レイソル
2007-2009 日本の旗 アルビレックス新潟
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2013 日本の旗 アルビレックス新潟 0 (0)
2011-2012 シンガポールの旗 アルビレックス新潟S (loan) 44 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。2014年1月15日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

奥山 武宰士(おくやま むさし、1991年5月15日 - )は、東京都八丈町出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー

来歴[編集]

柏レイソル[編集]

八丈島酒造会社を営む家に生まれた。小学5年生になった2002年、島に赴任してきたコーチの影響もあり、柏レイソル下部組織のセレクションに応募して合格[1]。翌年母親と共に島を離れ、柏市内へ移り住んだ。中学3年時の2005年には、チームのヨーロッパ遠征で訪れたヴェルダー・ブレーメンユースへの入団を目指したが、ブレーメンの日本人学校閉校によって実現しなかった[2]。同年の日本クラブユースサッカー選手権 (U-15)大会では3位に入ったが、エコノミークラス症候群発症等のコンディション悪化もあって柏ユース昇格は見送られた。

アルビレックス新潟[編集]

柏ユース昇格見送りの後、アルビレックス新潟ユースのセレクションに合格して入団。2008年には2種登録選手となり、翌2009年のトップチームのキャンプへ帯同した。2010年にトップチームへ昇格。八丈島出身として初のJリーガーとなった[3]。同年1月10日には、島内のリゾート施設で新潟とのプロ契約調印式が公開で行われ、その出席者150人によって後援会も発足した。その席には同地で自主トレーニング中だった日本代表長友佑都も駆けつけ、奥山を激励した[3]

しかしトップチームでは1試合の出場機会も与えられず、翌2011年にアルビレックス新潟シンガポールへレンタルで放出された。2年間のシンガポール生活を経て2013年に新潟へ復帰するが、怪我もあって出場機会は無かった。シーズン終了後の2014年01月15日、契約満了による退団が発表された[4]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2008 新潟 32 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2009 30 0 0 0 0 0 0 0 0
2010 25 0 0 0 0 0 0 0 0
シンガポール リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
2011 新潟S 14 Sリーグ 21 3 4 0 4 0 29 3
2012 8 23 1 1 0 3 0 27 1
日本 リーグ戦 ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
2013 新潟 27 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
シンガポール Sリーグ 44 4 5 0 7 0 56 4
総通算 44 4 5 0 7 0 56 4
  • 2008年、2009年は2種登録

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 少年武宰士ものがたり・風雲編 谷田部啓一、南海タイムス社、2010年4月16日
  2. ^ 少年武宰士ものがたり・立志編 谷田部啓一、南海タイムス社、2010年5月14日
  3. ^ a b 南海タイムス2010年1月15日付記事 [1]
  4. ^ 奥山武宰士選手の契約について、アルビレックス新潟、2014年1月15日