奈阿姫

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奈阿姫(なあひめ、慶長14年(1609年) - 正保2年2月7日1645年3月4日))は豊臣秀頼の娘。母は側室の小石の方(おいわのかた。成田助直の娘)。名は千代姫とも。出家後の名は天秀尼(てんしゅうに)。兄である豊臣国松とは異腹である。秀頼の正室である千姫とは義理の親子関係だったが、仲がよかったとされる。祖父豊臣秀吉の側室である、成田甲斐姫が養育を務めている。

奈阿姫は大坂城で生まれ、何不自由なく育った。慶長17年(1612年)4月頃から徳川家豊臣家関係が悪化。元和元年(1615年)の大坂夏の陣による大坂城落城後は、千姫が奈阿姫を自らの養女としていたために特別に助命され、出家して縁切り寺として有名な鎌倉東慶寺に入る。この際、縁切り法を確立させたという。後にその20世住職となる。なお、このとき養育係である甲斐姫も入寺している。

寛永20年(1643年)、会津藩加藤明成と家老の堀主水が仲違いして堀が殺害された時、東慶寺に堀の妻子が逃げ込んできた。明成は天秀尼に妻子の引渡しを要求するが、男子禁制・女性保護を楯に断り、幕府にその旨を訴えた。その結果、会津藩加藤家は改易され、東慶寺の力を全国に見せ付けたのである。そのようなこともあり縁切り寺となった。

正保2年(1645年)に37歳で死去し、豊臣秀吉の直系は断絶した。

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