奈良の春日野

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奈良の春日野
吉永小百合シングル
B面 天満橋から
リリース 1987年3月3日
規格 シングルレコード
ジャンル 歌謡曲
レーベル ビクター音楽産業
作詞・作曲 佐伯孝夫(作詞)
大野正雄(作曲)
吉永小百合 シングル 年表
夢千代日記
(1985年)

吉永小百合・八代亜紀・風間杜生
キャバレーフラミンゴ
(1986年)
奈良の春日野
(1987年)
しあわせは少し遠くに
(1995年)
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「奈良の春日野」(ならのかすがの)は、1965年に発表された吉永小百合の楽曲。作詞佐伯孝夫作曲大野正雄

1986年1987年フジテレビ森田一義アワー 笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』の番組放映中、奈良県奈良市出身の明石家さんまギャグとして取り上げたことから大きな話題になった。

歌詞のワンフレーズから「鹿のフン」(しかのふん)の通称で呼ばれることもある。

楽曲の概要[編集]

吉永が歌ったこの曲は、元々1965年9月15日に発売されたシングルレコード天満橋から」(同年の『第16回NHK紅白歌合戦』出場歌)のB面に収録された曲であった。歌詞の内容は、「奈良の春日野の芝生に座ったら鹿の糞が落ちていた」「鹿に梅干しをやったら、匂いを嗅いだだけで去っていった」というものである。

ヒット現象[編集]

奈良市出身の明石家さんまギャグとして取り上げたことから曲が見直され、1987年3月3日に、A面をこの曲に変更した形で、シングルレコードが再発売(ビクター SV-9237。ジャケット・デザインはオリジナル盤と同一)されヒットした。また、これに便乗した菓子玩具までもが発売され、1987年の社会現象へと繋がった。

きっかけは前年の1986年、かつてフジテレビの昼休みの人気番組『笑っていいとも!』で、当時毎週金曜日の定番コーナーだった、さんまとタモリのトークショー「タモリ・さんまの日本一の最低男」コーナーの中で、「このような吉永さんの曲があるのをご存知ですか?」という内容の投書が寄せられ、曲がかけられたことである。吉永のファン「サユリスト」としても有名なタモリは投書に対し「嘘つけ!さゆりちゃんがそんな歌を唄うはずは無い!!」と憤っていたが、その後実際に吉永が歌唱するレコードが流れるのを聴くと、さすがにタモリは吃驚仰天し落胆したかのような反応をみせた。それを尻目に勢い付いたのがさんまで、逆にタモリに食いついて面白がってみせた。視聴者からの反応も非常に大きかったため、件のコーナーにおいては翌週以降も暫く同曲の話題が続くこととなった。

やがてさんまはこの曲の「振り」を自ら考案。「いいとも!」の件のコーナーで披露しただけでなく、当時土曜日の夜放映でフジテレビの人気番組であった『オレたちひょうきん族』の中でも流用されることになった。丁度この頃、本来はビートたけしとさんまの2人が中心となって盛り上げるコーナーであった「THE TAKECHANMAN」が、フライデー襲撃事件に伴うたけしの謹慎(活動自粛)によって事実上の休止を余儀なくされ、その埋め合わせに試行錯誤を重ねていた時期でもあった。さんまと渡辺正行鹿の着ぐるみに入って登場し、若草山が描かれた書割などをバックに、曲のメロディに合わせた振りを踊り、場を盛り上げるというもので、これは「鹿フン踊り」などと呼ばれ、「ひょうきん族」においても定番化した。

この曲が脚光を浴びた当時、既に日本映画界を代表する大女優の地位を確固たるものにしていた吉永が、まるでコントをそのまま歌にしたような曲を唄っていたことで、「あの吉永小百合が若い頃にこんな歌を」といったギャップが、話題となった要因といえる。
吉永の事務所サイドは、この降って沸いたようなブームに対して、当初は特に反応をみせなかったものの、前述のシングル盤再発売の際、「鹿のフン」というフレーズだけが一人歩きしていた状況に、さすがに「あまり行き過ぎのないように」と関係者に対しやんわりと釘を刺した、と当時伝えられた。

その他[編集]

「いいとも!」でのさんま以前にも、関根勤小堺一機TBSラジオの深夜番組『スーパーギャング・コサキン無理矢理100%』で「コサキンソング」として採り上げており、一部では曲の存在が既に認知されていた。結果的には、さんまがそれを横取りした格好となった。関根と小堺は、さんまを通してブレイクした後は、この曲を話題にしなくなった。しかし、『笑っていいとも!グランドフィナーレ 感謝の超特大号』(最終回)のタモリ・さんまのトーク中に関根が元々ウチでやったネタである事を明かした。

やはり「いいとも!」以前、大阪・毎日放送MBSラジオ)の人気番組、MBSヤングタウン金曜日(当時は谷村新司ばんばひろふみ佐藤良子の3人が担当)の「覚えてますか」のコーナーで「青いゴムゾーリ」(バーブ佐竹)、「宇宙旅行の渡り鳥」(小林旭)とともにこの曲が話題になった。

一方、「いいとも!」のさんまのコーナーでは、この曲を受けて、「それだけじゃなくて、こんな曲もある」という視聴者の投書から、「青いゴムゾーリ」「白いボール」といった曲が披露されている。これらもまた「コサキンソング」として既に認知されていたものである。「いいとも」の構成作家の1人である鶴間政行はコサキンのラジオの構成作家でもあり、番組として共通点を持つ。

「ひょうきん族」で恒例となった「鹿フン踊り」には、忌野清志郎泉谷しげるが「俺たちも(踊りに)混ぜろ」と言わんばかりに、無理矢理に鹿の着ぐるみを身に付け乱入し、踊りの輪に加わったこともある(泉谷当人の項を参照)。 

1987年2月、テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』において「今夜突然鹿のフン」という企画が放送された。もちろん吉永本人が登場するはずもなく、このためだけに来た代役が、この曲をフルコーラスで唄ったものである。

後に「ひょうきん族」では、二匹目のどじょうを狙ってか、やはり吉永の歌による「草を刈る娘」という曲を取り上げた。しかし曲が地味で盛り上がりに欠けたのか、こちらは数週で終了している。

関連項目[編集]