太田資宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

太田資宗(おおた すけむね、慶長5年11月22日(1600年12月27日) - 延宝8年1月22日(1680年2月22日))は江戸時代初期の譜代大名若年寄下野国山川藩主、三河国西尾藩主、遠江国浜松藩初代藩主。官位官職は従五位下・備中守。掛川藩太田家初代。

太田重正の次男として生まれる。祖父は太田康資。母は都筑秀綱の娘。江戸城を造った太田道灌の子孫と伝わる。

経歴 [編集]

妻子 [編集]

正室は板倉重宗の娘。子に太田資政(長男)、太田資次(次男)、太田資良(三男)、娘(加藤泰義正室)、娘(稲葉正吉正室)、娘(永井尚庸継室)、娘(一柳末礼正室)、娘(土井利益正室)、娘(角倉玄恒室)ら。

関連項目 [編集]