天野元信

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天野 元信(あまの もとのぶ、生年不詳 - 慶長10年7月2日1605年8月16日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将毛利氏の家臣。天野隆重の子。養子に天野元重

兄の天野元明の養子となり天野氏の家督を継ぐ。キリシタンであった。

慶長5年(1600年)の毛利氏の防長移封後に、主君毛利輝元萩城を築城することとなった。その工事で、益田元祥の家臣が工事用の石材を盗んだとして争い、萩城の工事スケジュールに大幅な遅延をきたすこととなる。結果、慶長10年(1605年)に萩城築城の遅れ(益田元祥との権力争いの側面もある)を口実に、元信は岳父の熊谷元直や嫡男の与吉などの幼子とともに処刑された。これは輝元からキリスト教の棄教を命令に応じなかったためともいわれる。元信は熊谷元直ともども、キリスト教の殉教者として現在も扱われている。

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