天眞正自源流
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天眞正自源流(てんしんしょうじげんりゅう)は、武術の流派のひとつ。
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[編集] 流派の成立
[編集] 流派の伝承
天眞正自源流兵法は、天眞正伝香取神道流の三代目盛近の門人、瀬戸口備前之守政基が自源斎一任自一坊が創始した白源流の道継である八尾別当顕幸の自顕流に自らの工夫を加えて天眞正自顕流を経て天眞正自源流兵法を創始したとされる。
開祖、瀬戸口備前之守政基が薩摩に渡り定住したのが永正年代の頃である。伝書に於いては瀬戸口備前守が薩州伊王滝に於いて、流儀の奧秘に開眼した事が伝えられている。
瀬戸口備前守が成立させた流儀の思想と技術は、現29代宗家の手元に伝承されている三巻の伝書、『尊形』・『察見』・『聴書』である。『尊形』には流儀の技術の全容が網羅されており、『察見』には流儀の思想と兵法が明記され、『聴書』には先師の教えが示されている。
『聴書』に於ける先師の教えが流儀全ての根本となるところから本来、流祖となるべき瀬戸口備前守は開祖にして流儀名称の確定者となった所以である。
天眞正自源流兵法は、その譜代継承に於いて時代に応じた術理を擁立して今日に至っており、流儀に於いて行われる剣法・居合・体術等は、最古の遺産である「天眞刀」・「天眞剣」・「天地人陰陽五段之法形」に始まり、瀬戸口備前守が制定したとされる剣術組太刀である十二箇之太刀を初めとする52の法形を根本としている。又、戦場合戦時の野太刀兵法、更に槍術、長巻、小太刀等の法形が伝承されている。
[編集] 伝承に対する異説
以上の伝承について綿谷雪は、示現流の伝承をもとにしたフィクションとしている。[1]。また、天眞正自源流の存在が確認されたのは明治期以降のことである。[2]
[編集] 特徴
古伝に『山に在っては立木を、河に在っては流れを、海に在っては怒涛の波を敵と為す』と在るように、天地自然と術理の融合を意図して修行を行う事から、修練の場所を選ばない。天地人を以って流儀の根本と為し、技術・精神・肉体の完成を求める。剣法・居合・体術を網羅する総合武道で居合抜刀に於いては神速の抜きと納刀を実践、剣法に於いては一之太刀を以って一刀両断勇猛果敢を尊ぶ為、一瞬の攻防に全てがある。又、体術は護身術的性格が非常に強く、自ら攻撃する手段を有せず、全て敵の攻撃に対しての応じ業が中心となる。
[編集] 注
[編集] 参考文献
- 『天眞正自源流兵法総目録』天文23年瀬戸口藤兵衛著
- 『天眞正自源流兵法基本教典/无源録』永正9年瀬戸口備前守政基著
- 『天眞正自源流教程』 総合武道源心会、1982年
- 『天眞正自源流師範教典』 宗家総本部、1967年
- 『月刊秘伝』 BABジャパン、2003年12月号・2004年1月号

