天才・たけしの元気が出るテレビ!!
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(天才たけしの元気が出るテレビから転送)
| 天才・たけしの元気が出るテレビ!! | |
|---|---|
| ジャンル | バラエティ番組 |
| 放送時間 | 日曜日20:00 - 20:54(54分) |
| 放送期間 | 1985年4月14日 - 1996年10月6日 (408回) |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ |
| 製作総指揮 | 加藤光夫、金谷勲夫 (共に制作) |
| 演出 | 土屋敏男 ほか / 伊藤輝夫(総合演出) |
| プロデューサー | 篠木為八男、甘利孝 (日本テレビ) / 牛丸謙壱、望月政道、玉井浩 (IVSテレビ制作) |
| 出演者 | ビートたけし 松方弘樹 高田純次 兵藤ゆき 島崎俊郎 ほか (出演者を参照) |
| オープニング | 歌:奥土居裕子 |
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特記事項: ナレーション:根岸雄一 1995年10月から放送終了までのタイトルは『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』。 |
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『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(てんさい・たけしのげんきがでるテレビ)は、1985年4月14日から1996年10月6日まで日本テレビ系列ほかで放送されていたバラエティ番組で、ビートたけしの冠番組。通称「元テレ」「元気」。
放送時刻は毎週日曜日の20:00 - 20:54(日本時間)。
1995年10月からはタイトルを『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(ちょう - )に替えリニューアルが図られていた。略称は「超・元気TV」、「超・元テレ」。
目次 |
[編集] 概要
- ドキュメントバラエティの元祖であり、「テレビとは真実を伝えるものだ」という社会的な共通認識を根本から打ち砕いた革命的な番組だったと評されている[1]。
- その反面、たけしが当時PTAに嫌われていたことに加え、「内容がバカバカしい」などといった理由から低俗番組だという批判もされた。
- 名もない市井の人々にスポットを当てて話題にし、さまざまな人気者を生み出した。
- 従来のバラエティ番組は基本的に番組内(出演者)だけでストーリーが進行していたのに対し、普通に生活している一般人を主役に祭り上げることで、番組の内容にリアリティを生じさせるという効果があった。
- 「○○区にすごいそば屋のオヤジがいた!」、「信じられないほどお金持ちのお嬢様が実在した!」など、よく考えてみれば視聴者にはあまり重要ではない企画も数多く放送されたが、バカバカしさとリアリティとの奇妙なバランスが高視聴率を呼んだ。
- その一方、番組の都合で急に人気者に仕立て上げられた人物・会社・商店街などが、番組の企画が終了した時点であっさり置き去りにされてしまうことも多かった。
- すたれた商店街に人気タレントが押しかけて一時的にブームをつくり上げ、あたかも町おこしをしたように思わせるが、「企画が終わった途端に忘れ去られ、さらにすたれた商店街になる」といった事例が多かったといわれる。
- お笑いバラエティ番組であるが、松方弘樹、原田大二郎、宝田明などの二枚目俳優や、野口五郎などの有名歌手がレギュラー出演しており、これも独特の雰囲気をつくり上げていた。
- これは当初、テレビドラマを制作する予定でキャスティングし、スケジュールを空けてもらっていたためである。当時、二枚目俳優や有名歌手がバラエティに出演してバカげた企画に付き合う例は少なく、この点も画期的だった。
- また二枚目俳優や有名歌手がレギュラーであることが、「どう考えても嘘っぽい内容だが、あの俳優が出ているのだから本当かもしれない」と視聴者に思わせる効果もあった。
- 「元気が出る商事」という設定で、出演者に「社長」「部長」「課長」「秘書」といった肩書があるのは、企画段階では会社を舞台にしたコメディ番組だった名残りである。
- 番組全盛期の頃、原宿の竹下通りと京都嵐山、千葉県浦安市に「元気が出るハウス」をオープン。タレントショップブームの先駆けとなる[2]。
- 1988年ごろからコメディ色が薄れ、「ダンス甲子園」など一般人出演者が大きな目標に向かって努力する様子をドキュメントするという、若干シリアスな内容が目立つようになる。後にドキュメントバラエティといわれるようになる路線であり、この時期(1988年頃~1995年頃)を番組の全盛期と見る向きもある。
- 1988年7月には、「ウィッキーさんのワンポイント英会話に出よう」という企画で、『ズームイン!!朝!』の「Wickyさんのワンポイント英会話」に鞍馬天狗に扮したたけしとリポーターに徹した高田が突如通行人として出演した[3]。
- 同年8月には、「街かどテレビに出よう」という企画で『街かどテレビ11:00』(TBS系)にも変装したたけしとリポーターに徹した高田が突如お客として出演した。
- 1996年8月25日の放送において、前番組の『24時間テレビ』でチャリティマラソンを走った赤井英和の日本武道館の到着が遅れ、「24時間テレビ」を放送時間を15分延長したことにより本編は相当カットされて放送された。冒頭のコーナーや最初の提供クレジットはなかった[4]。
- たけしは第1回目の放送の時に、前番組の『久米宏のTVスクランブル』について「あの番組は終わったのではなくやめさせられたの」と揶揄した。
- たけしがバイク事故で入院していた時期(1994年9月)に、たけしの相方であるビートきよしが1度だけ代理司会を務めたこともある。しかし、思ったほど受けなかったためか、以降、きよしに声が掛かることは無かった。
- 番組前のジャンクションは、たけしが「この後は、○○!」と、関係ない番組名や商品名等を言うパターンが多かった。このパターンは同じ日テレの番組『世界まる見え!テレビ特捜部』やMBS・TBS系の『たけし・所のドラキュラが狙ってる』、ABC・テレビ朝日系の『たけしの万物創世紀』でも行われていた。なお、松方弘樹が代役司会を担当したときは「この後すぐ、元気が出るテレビ!」と普通の紹介だった。
[編集] 番組の終焉とその後
- 1994年の夏ごろまでは、人気企画(平成口ゲンカ王決定戦、全国高校・校内カラオケ選手権など)もあり高視聴率を保っていたが、同年9月からビートたけしがバイク事故による休養で半年間番組に出演しなくなり、番組の人気に陰りが出始める。翌年3月に復帰するも精彩を欠いていたことに加え、フジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』の視聴率上昇の影響で本番組の視聴率が低迷し始める。半年後の1995年10月にレギュラー出演者を大幅に入れ替え、番組タイトルの頭に「超」を付けてリニューアルをしたが、ヒットした企画に恵まれずマンネリ化が目立ったことと、プロ野球中継で休止が多かったため、視聴率は改善できなかった。
- そこでかつての人気企画だった「ダンス甲子園」を「ストリートダンス選手権」として復活させ、一部レギュラーを入れ替えるなどのテコ入れを行うも、やはり視聴率の改善は見られなかった。さらに1996年の大河ドラマ『秀吉』の視聴率30%以上という影響もあり、番組は1996年10月で終了し放送開始から11年半の歴史に幕を閉じた。
- 2004年12月22日に初回限定2枚組でDVDが発売された。
- 2005年の24時間テレビの深夜企画で元気が出るテレビの名場面と復活企画を行うとともに、たけし以外の出演者が全員出演した。
- 翌年の2006年の24時間テレビで、この番組の名物企画だった「ダンス甲子園」が復活した。
- 2009年12月10日から、CS放送日テレプラスにて再放送が開始された。
[編集] 出演者
★は番組開始時のレギュラー
[編集] 司会
- 『超』からは、会長名義。
[編集] レギュラー
- 『元気が出るテレビ』と『超・元気が出るテレビ』に両方出演したレギュラー
- 松方弘樹(部長→社長)★ - 『超』時代は社長名義
- 高田純次(社員→部長)★ - 『超』時代は部長名義
- 兵藤ゆき★【1985年4月~1996年3月】
- 島崎俊郎【1987年10月~1996年9月】
- 『元気が出るテレビ』のレギュラー(途中降板あり)
- 木内みどり(秘書)★【1985年4月~1991年12月】
- 野口五郎★【1985年4月~1987年9月】
- 川崎徹★【1985年4月~1991年12月】
- 桑田靖子★【1985年4月~1988年1月】
- 井森美幸【1988年1月~1989年11月】
- 森尾由美【1989年12月~1993年1月】
- 勝村政信【1990年10月~1995年9月】
- 峰竜太【1992年3月~1995年9月】
- 山口美江【1991年12月~1995年9月】
- 村上遙【1993年10月~1995年9月】
- 戸川純
- この内、番組に第1回から最終回まで出演したのは、松方弘樹と高田純次の2人だけである。
- 司会のビートたけしがフライデー事件で休養中には、山田邦子(当時はたけしと同じ芸能事務所所属)が、バイク事故で休養した際には週代わりのゲストが代役司会を務めた。
[編集] 当番組の出身タレント
- X JAPAN(ヘビメタシリーズ、当時の名前はX)
- AURA(ヘビメタシリーズ)
- 的場浩司(草野球チーム『爆苦連亡世(ばっくれんなよ)』、トラック運転手をしていた一介のヤンキーであった)
- LLブラザーズ(高校生ダンス甲子園)
- 田中傑幸(ダンス甲子園『れいかんやまかんとんちんかん』のリーダー、後に俳優となり現在はプロダンサー)
- 永田雅規(元JINDOU現MJ)(高校生ダンス甲子園、「れいかん やまかん とんちんかん」の一員として)
- 山本太郎(高校生ダンス甲子園「アジャ・コング&戸塚ヨットスクールズ」の一員として、当時の愛称:メロリンキュー)
- 日出郎(おかまシリーズを経て、準レギュラー化)
- ジュゴン(おかまシリーズ)
- 岡田准一(V6)(ジャニーズ予備校)
- 飯田覚士(ボクシング予備校、実際に世界チャンプになった)
- 松島二郎(ボクシング予備校)
- 土屋武士(めざせ!ポールポジション)
- 山本勝巳(めざせ!ポールポジション)
- グレートチキンパワーズ(お笑い甲子園)
- 劇団ひとり(お笑い甲子園、バーテックス・川島省吾として)
- COWCOW(お笑い甲子園)
- 2丁拳銃(お笑い甲子園、ダイジェストで一瞬の出演)
- 元気美佐恵(女子プロレス予備校)
- 上林愛貴(女子プロレス予備校)
- 市来貴代子(女子プロレス予備校)
- シュガー佐藤(女子プロレス予備校)
- 三上大和(口喧嘩王、青森の資産家三上誠三の子息)
- 稲森いずみ(勇気を出して初めての告白)
- 観月ありさ(1987年9月20日放送の「大人の顔してTVに出よう!」のコーナーに、当時33歳の母親と共に出演)
- 安室奈美恵(「沖縄の空手美少女」に初期メンバーの「スーパーモンキーズ」として出演)
- 土肥洋一 (現:東京ヴェルディ所属)「GENKI FC」
- よゐこ(カメラに向かって一発大会)
- 矢作兼(おぎやはぎ)(幸福の黄色いハンカチ)
- 川岡大次郎(GENKI KIDS)
上記の人物(グループ)は全くの素人だったわけではなく、ある程度の下積み修行をしていた者(俳優やタレントの卵)が多い。
[編集] その他
- ダンカン
- 井手らっきょ(ラッキヨ)
- 原田大二郎
- 宝田明(普通に考えれば功績を挙げたとは思いにくい人や団体に、大げさにトロフィーを与える。たけしいわく“トロファー”)
- 泉谷しげる
- 柳沢慎吾
- 柳田真宏
- 美輪明宏
- 狩人
- 早見優
- 野村宏伸
- 藤島桓夫
- 河島英五
- シティボーイズ
- 中村泰士
- 花柳幻舟
- 浪越徳治郎(ジェット浪越)
- 志垣太郎(デビル志垣)
- 宅八郎
- 山田花子(漫画家、「お笑いの舞台を見に来ても下を向き笑わない女性発見」という設定で出演)
- 志茂田景樹
- 大槻ケンヂ
- べるぽぴんず(大貫ひろ・清水さやか)
- 大仁田厚
- 嘉門達夫
- 戸塚宏
- セルジオ越後
- 小林孝至
- 日高建男(漫画家予備校・予備校生)
など
[編集] 元気が出るテレビ時代の主なコーナー
- たけしメモ
- テーマに添って「こんな◯◯◯◯はいやだ」等、数々の項目を発表する。番組開始当初から『超-』にリニューアルする1995年9月まで継続した人気コーナー。1995年に『たけしメモ』で日本テレビ出版より発売された。[5]
- 元気にロマン
- 元気ヶ丘3丁目コーナー
- 有名人お見舞いインフォメーション
- 番組がほぼ終盤(時間にして20:49~50頃)になってきたところで行われる、桑田靖子のナレーションで、有名人の病状を紹介し、見舞うコーナー。しかし、大概が「水虫で通院中」や「五十肩に悩んでいる」などの重要度の低い情報ばかりだった。
- 復興広告計画(熊野前商店街、横浜商科大学、浦安フラワー商店街)
- 番組の初期の人気企画。活気のない商店街などを番組をあげて応援し復興させる。
- お嬢さまを探せ
- 番組初期の人気企画。お嬢様以外にも、九州男児や学園のマドンナなども捜索した。
- 江ノ島元気が出るハウス
- 毎年夏に湘南にオープンした番組の聖地。数多くのイベントを開催した。
- 予備校シリーズ
- プロ野球、プロレス、お百姓さん(元気村)、船乗り、マンガ家、放送作家、ボクシング、プロサッカー、レーサー、女子プロレス、女子マラソン、ジャニーズ
- 視聴者参加ドラマ(原田大二郎主演の学園ドラマ、超えこひいきドラマ、ジャニーズ事務所の忍者主演ドラマ、忠臣蔵、シンデレラ、大脱走)
- 早朝シリーズ(早朝バズーカ、早朝西部劇、早朝サーフスクーター、早朝蒸しタオル、早朝大筒、早朝マウストゥマウス、早朝SM、早朝ヘビメタ、早朝コーナーポスト、早朝ディープキス、早朝ウォータースライダー)
- ヘビメタシリーズ(このコーナーでX JAPAN(当時はX)が脚光を浴びる、やしろ食堂、燃えろ!ヘビメタ、素顔も素敵だ大会、妊婦激励ツアー、ヘビメタ故郷へ帰る、スカイダイビング)
- 聖人ガンジーオセロの奇跡
- 河童捜索
- 木内みどりの故郷に伝わる河童伝説を検証。
- ワニ相撲
- ダジャレ青年の主張
- 北野武のそっくりさんがいた(ゴメンネ馬場さん)
- 失恋傷心バスツアー
- あなたの街にヘリコプターがやって来る
- 涙をためて「待つわ」を歌おう大集会
- なりきりポエム集会
- どっきり!すべり台雪見風呂(スキー場に偽露天風呂を設置し、すべり台を滑ると露天風呂があると見せかけて、実は一般のゲレンデに放り出されてしまう企画。番組では何も知らない男性客が全裸のまま一般客のいるゲレンデに放り出されるシーンが放送された)。
- 哀愁の北国演歌ツアー
- 幸福の黄色いハンカチ
- 草野球 (「爆苦連亡世」)
- カメラに向かって一発大会
- 大人の顔してテレビに出よう
- ガチョーンでハラホロヒレハレずっこけ大会
- 渚で彼女にオリジナルラブソングを歌ってあげよう!
- 恐怖のジェットコースター顔を見せてください
- 勇気を出して初めての告白
- テーマ曲はボビー・マクファーリンの「Don't Worry, Be Happy Bobby」
- テーマ曲はエレクトリック・ライト・オーケストラの「Confusion」(コンフュージョン)。
- バスターズシリーズ(ハエ、ハチ、赤点、タバコ)
- 東京デブリンピック
- 高校生制服対抗ダンス甲子園(このコーナーは2006年8月26日と8月27日放送の『24時間テレビ 「愛は地球を救う」29』で復活、さらに2006年12月30日18:30から再復活し、現在は24時間テレビで年1回放送されている)
- ダンカンVS勝村お約束修業
- おかまシリーズ(競歩、日出郎初恋の人に会いに行く)
- 100人隊が行く(派生企画:いたずら1t隊が行く)
- メッセージソング集会
- ピュアボーイズに愛の手を
- 替え歌ウッドストック
- GENKIストリートフープ
- がんばれ!元気ちびっこ野球団
- 高校生お笑い甲子園
- Mr.オクレ主演のリポビタンDのCM(番組スポンサーが大正製薬だったため)
- 更生したい暴走族精神修行!自衛隊体験入隊ツアー
- 全国高校・校内カラオケ選手権
- 平成口ゲンカ王決定戦
- グレチキ学園ドラマ・超能力転校生がやって来た
- 突然ですがこんな所でクイズ
- ちびっこ観察絵日記
[編集] 超・元気が出るテレビ時代の主なコーナー
- 美少女格闘家を探せ
- 全国 番長列伝(アチョー&デンジャラス)
- GENKI KIDS(Kinki Kidsのパロディ)
- ストリートダンス選手権
- 十五少年漂流記
- 天才ハーモニカ少年
- 高校対抗全国TV企画甲子園
- 一日一善隊(佐竹雅昭)
- アイドルボディーガード
- 北野お笑い道場
- 大リーグ予備校
- マッスル風間(風間トオル)
[編集] 番組から生まれたキャラクター
- パンチパーマ軍団・相沢会長
- ニューハーフ・セリーヌ管、日出郎、ジュゴン
- エンペラー吉田
- ジェット浪越(浪越徳治郎)
- 大仏魂
- 馬場たけし(「ゴメンネ馬場」ビートたけし似のバス運転手)
- ガンジーオセロ
- 8月のペンギン
- デビル志垣(志垣太郎)
- 半魚人(月島にカフェド半魚人をオープン)
- 江戸っ子じいさん(下町の鳶職人)
- 五木ひろし隊
- 郷ひろみ隊
- 三陸の狼:菊池(アイスホッケー部)
- メロリンQ(山本太郎)
- 今きた加藤
- ヘビメタ(バーバラ・アキタダ、ジン・スズキ)
- ワイルドベアー
- 肉屋の双子
- ジョルジョ溝口
- アンジン島津
- 横浜グリース
- 信州のあやしい動きのそば屋
- いじめられっこ(メッセージソング集会)
- ちびっこ歌謡曲ツアー 篠原君[6](歌手シルビアとデュエットしようとして坂道を転落)
- ホイッスル渡辺
- ナイトエンジェル(おかまソフトボールチーム)
[編集] 主題歌
- I'II Be Back Again…いつかは(作詞:関口敏行・伊藤輝夫、作曲:BABA、歌:TAKESHI&HIROKI、1986年4月発売)
- 私・湘南マタンゴ娘(作詞:伊藤輝夫、作曲:中村泰士、歌:高田暢彦&川崎徹、1987年7月発売)
- CHANCE!心ときめいて(作詞:兵藤ゆき、作曲:小森田実、歌:兵藤ゆき&高田純次、1988年3月発売)
- オープニングテーマ(題名はそのまま「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」。歌:奥土居裕子、1995年3月発売の『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 祝10周年特盤 GENKI CD』に収録)
[編集] 歴代スタジオセット
- 初代(1985年4月14日~1986年12月21日)【元気が出る商事をイメージしたセット】
- 2代目(1987年1月11日~12月)【初代セットのマイナーチェンジ→カフェをイメージしたセット】
- 3代目(1988年1月~1989年9月)【水族館をイメージしたセット】
- 4代目(1989年10月~1990年12月)【遊園地をイメージしたセット】
- 5代目(1991年1月~12月)【どおくまんの花の応援団をイメージしたセット】
- 6代目(1992年1月~1994年1月)【江口寿史のイラストをイメージしたセット】
- 7代目(1994年1月~1995年9月)【スラム街をイメージしたセット】
- 8代目(1995年10月~1996年9月)【超・天才-時代のセット】
[編集] スタッフ
- 構成:豊村剛、岩立良作、榎雄一郎、喰始、岩瀬理恵子、宮沢章夫、ダンカン、城戸口寛、藤堂平助、水野麻里、佐々木勝俊、池田一之、田中直人、 谷博志、越智真人、都築浩、村上卓史、渡辺哲夫、口岩秀喜、堀江利幸、小野高義、石川裕郁、とちぼり、高橋奈津子ほか
- 音楽:斎藤高弘
- ナレーション:根岸雄一
- 音響効果:田中稔、幾代学
- プロデューサー:篠木為八男、甘利孝(日本テレビ)/牛丸謙壱、望月政道、玉井浩(IVSテレビ制作)
- AP:岡崎成美、丹羽夕美子
- TK:塚越倫子
- 制作進行:堀田浩司
- 総合演出:伊藤輝夫(現・テリー伊藤)、大澤雅彦
- 演出:土屋敏男(後の電波少年Tプロデューサー)、神成尚亮、大澤雅彦、財津功、稲葉暁智、松崎俊顕、加藤雅之、木藤憲治、小林ユージ、加藤幸二郎、駒木純一
- ディレクター:宗実隆夫、小島悟、佐藤俊一郎、高須信行、若井力、高橋雅也(現・高橋がなり)、深野和伸、高畑秀太、矢追孝男、長江努、長嶺望、纐纈勇人、山谷和隆、田口正樹(現・田口マサキ)、宮下仁志、古賀謙一 、長久弦、マッコイ斉藤、寺沢隆、斎藤政憲 ほか
- タイトルアニメ:なんきん(初代)、しりあがり寿(2代目)、どおくまんプロ(3代目)、江口寿史(4代目)
- 制作:加藤光夫、金谷勲夫
- 制作協力:IVSテレビ制作
- 製作著作:日本テレビ
[編集] ネット局
- 系列は放送終了時のもの。
| 放送対象地域 | 放送局 | 系列 | ネット形態 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 | |
| 北海道 | 札幌テレビ | 同時ネット | ||
| 青森県 | 青森放送 | 1991年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
| 岩手県 | テレビ岩手 | |||
| 宮城県 | ミヤギテレビ | |||
| 秋田県 | 秋田放送 | |||
| 山形県 | 山形テレビ | フジテレビ系列 | 1993年3月まで[7] | |
| 山形放送 | 日本テレビ系列 | 1993年4月から | ||
| 福島県 | 福島中央テレビ | |||
| 山梨県 | 山梨放送 | |||
| 新潟県 | テレビ新潟 | |||
| 長野県 | テレビ信州 | 1991年3月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局(NNS非加盟) | ||
| 静岡県 | 静岡第一テレビ | |||
| 富山県 | 北日本放送 | |||
| 石川県 | 石川テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット | 1985年10月から1990年3月まで[8] |
| テレビ金沢 | 日本テレビ系列 | 同時ネット | 1990年4月開局から | |
| 福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
1989年3月までは日本テレビ系単独加盟局 | |
| 中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 | ||
| 近畿広域圏 | 読売テレビ | |||
| 鳥取県・島根県 | 日本海テレビ | 1989年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
| 広島県 | 広島テレビ | |||
| 山口県 | 山口放送 | 1993年9月まではテレビ朝日系列とのクロスネット局 | ||
| 徳島県 | 四国放送 | |||
| 香川県・岡山県 | 西日本放送 | |||
| 愛媛県 | 南海放送 | |||
| 高知県 | 高知放送 | |||
| 福岡県 | 福岡放送 | |||
| 長崎県 | テレビ長崎 | フジテレビ系列 | 同時ネット →遅れネット |
1991年3月まで[9] 1990年9月までは日本テレビ系列とのクロスネット局 |
| 長崎国際テレビ | 日本テレビ系列 | 同時ネット | 1991年4月開局から | |
| 熊本県 | くまもと県民テレビ | |||
| 大分県 | テレビ大分 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1993年9月まではテレビ朝日系列とのトリプルネット局 | |
| 宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 |
||
| 鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 |
1994年3月まで | |
| 鹿児島読売テレビ | 日本テレビ系列 | 1994年4月開局から | ||
| 沖縄県 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 遅れネット |
[編集] 映像ソフト
- 1996年12月21日発売(VHS)
- 超・天才・たけしの元気が出るテレビ!!That’sメモリアル(全2巻)
- 2004年12月22日発売(DVD)
- 天才たけしの元気が出るテレビ!!DVD-BOX
- ビートたけしSELECTION
- テリー伊藤SELECTION
- 天才たけしの元気が出るテレビ!!DVD-BOX
- 2005年12月21日発売(DVD)
- 天才たけしの元気が出るテレビ!!DVD-BOX2
- ヘビメタ~ダンス甲子園までマドモアゼル兵藤バスツアー&踊る緑リクエストセレクション
- パンチ相沢会長 生きていた!高田純次涙の再会&しつこい黄色リクエストセレクション
- 天才たけしの元気が出るテレビ!!DVD-BOX2
[編集] 脚注
- ^ 北田暁大は「通常のドキュメンタリー番組であれば、素材は何らかの有徴性・非日常性を持っていなければならないし、また、素材加工=物語化のプロセスは基本的に隠匿されなくてはならない。『元気が出るテレビ』の方法論は、そうしたドキュメンタリー番組の「お約束」を逆手にとったものだ。内容的にとり上げるに値するとは思えないような対象を、大げさなまでのドキュメンタリー的手法 - 「お約束」を肥大化させたもの - によって料理し、「お約束」に対する嗤いを生み出す。それはいわば、テレビ自身が《あらゆるテレビ番組はヤラセ(演出的)である》という残酷な真理を告白しているようなものだ」と記している(『嗤う日本の「ナショナリズム」』日本放送出版協会、2005年、p155)。
- ^ ちなみに京都嵐山の元気が出るハウスの近隣に同じくビートたけしプロデュースの北野印度会社というカレー屋があった。
- ^ ウィッキーに対してちょっかいを出すたけしの奇妙な行動に当時キャスターの福留功男も「今映っているのはたけしさんじゃないですか?」と声をかけて見破った。そしてウィッキーがたけしと高田にインタビューしようとした瞬間に時間切れで次のコーナーの「朝の詩」が始まってしまった。後日たけしは番組内で「ズームインのスタッフに怒られた」と語っている。
- ^ なお、本番組の後のニューススポット・あすの天気以降は通常の時間で放送された。
- ^ 現在たけしが出演しているTBSの「情報7days ニュースキャスター」では、たけしのオープニングトークとして「こんな◯◯◯◯はいやだ」に似たコーナーが放送されている。2010年5月31日の「世界まる見え!テレビ特捜部」2時間スペシャルでも「こんな◯◯◯◯はいやだ」の復活版が放送された。
- ^ 篠原君は現在、テレビ東京報道局勤務。民主党担当の政治部記者として活躍。以前は制作局に在籍し、音楽番組やバラエティ番組を担当。その際に、シルヴィアと再会している。バラエティ番組「ゴッドタン」の初代チーフADを務めていたことが判明。
- ^ 当時フジテレビ系列局だった山形テレビが当番組を同時ネットしていたのは、当時テレビ朝日系列とのクロスネット局だった山形放送の日曜夜8時台はテレビ朝日系番組の同時ネット枠だったため(1980年4月 - 1993年3月)。このため、本来の系列局の番組(『ダウンタウンのごっつええ感じ』など)は遅れネットで放送されていた。
- ^ 毎週日曜12:00-13:00の遅れネットで放送された。
- ^ フジテレビ系フルネット局になった1990年10月 - 1991年3月は時差ネットで放送された。
[編集] 関連項目
| 日本テレビ系 日曜日20時台枠(1985年4月 - 1996年9月) | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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天才・たけしの元気が出るテレビ!!
↓ 超・天才・たけしの元気が出るテレビ!! |
特命リサーチ200X
※19:56 - 20:54 |
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