天井嘗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
鳥山石燕百器徒然袋』より「天井嘗」
水木しげるロードに設置されている「天井なめ」のブロンズ像。

天井嘗(てんじょうなめ)は、鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』にある日本妖怪である。

石燕による記述[編集]

『百器徒然袋』の画図では、長い天井を嘗める妖怪の姿が描かれている。『百器徒然袋』では『徒然草』を題材として多く使用しており、この妖怪も『徒然草』第五十五段にある「天井の高きは、冬寒く、燈暗し」からとられている。当時の住宅は夏季を考慮して天井を高くするべきとされていたが、そうすると冬は寒く灯りの届かない部屋となってしまい、石燕はこれを天井嘗が部屋に闇を作るためとしている[1]

起源[編集]

古来[いつ?]の日本の住宅では天井は一種の異界とされ、天井にまつわる怪談も多いことから、妖怪研究家村上健司は、石燕がそのような伝承をもとに天井嘗を創作したと述べている[1]

デザインの上では、室町時代の『百鬼夜行絵巻』にある妖怪をモデルとして描かれており、『百器徒然袋』より後には、同じ室町期の妖怪が松井文庫所蔵の『百鬼夜行絵巻』で「いそがし」の名で描かれている[2]

天井の染み[編集]

昭和平成の妖怪関連の文献では、やたら長い舌で埃の集った天井を嘗める妖怪であり、天井の染みはこれの嘗め跡などとされる[3]。天井嘗めによって付けられた染みは、ときには化け物や恐ろしい表情の人間の顔に見えるため、寝床でそれを見上げている人は恐怖に駆られ、ついには発狂して死んだ者もいた述べられていることもある[4]

山室静山田野理夫らによる書籍『妖怪魔神精霊の世界』には、かつて館林藩(現・群馬県館林市)で、館林藩の家臣がこれを捕まえ、館林城の天井の蜘蛛の巣を嘗めさせ掃除させたと記述があるが、一次出典は不明[5]。前述のように、実際には天井嘗は石燕の創作物と考えられているため、天井に染みを付ける説や館林での話は、後年になってから考えられた話と指摘されている[6]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b 村上健司編著 『妖怪事典』 毎日新聞社2000年、301頁。ISBN 978-4-620-31428-0
  2. ^ 京極夏彦多田克己編著 『妖怪図巻』 国書刊行会2000年、174頁。ISBN 978-4-336-04187-6
  3. ^ 水木しげる 『図説 日本妖怪大全』 講談社〈講談社+α文庫〉、1994年、303頁。ISBN 978-4-06-256049-8
  4. ^ 日本博学倶楽部 『お江戸の「都市伝説」』 PHP研究所〈PHP文庫〉、2008年、70頁。ISBN 978-4-569-66995-3
  5. ^ 山室静執筆代表 『妖怪魔神精霊の世界』 自由国民社1977年、22頁。
  6. ^ 「劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!! 映画で活躍する妖怪四十七士を選ぼう!」『』vol.0025、郡司聡他編、角川書店〈カドカワムック〉、2008年、42頁。ISBN 978-4-04-885002-5

関連項目[編集]

外部リンク[編集]