大阪電気軌道デボ51形電車

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大阪電気軌道デボ51形電車(おおさかでんききどうデボ51がたでんしゃ)は、近畿日本鉄道(近鉄)の前身にあたる大阪電気軌道(大軌)が1918年(大正7年)に製造した車両。

51 - 55の5両が梅鉢鉄工所で造られた。畝傍線(現・橿原線西大寺駅 - 郡山駅間の開業に備えて製造されたといわれる。

デボ1形と同様、前面を半円筒形状とし、5枚の窓を円周上に配置する形態の木造車体であるが、車体長は12mでデボ1形よりやや小型である。窓配置はD5D5D(D:客用扉)で、扉は登場時は2扉であったが、1933年に中扉が増設され3扉になった。増設後扉はデボ1形と同様の片側3か所配置になったが、扉間の窓はデボ1形より1枚ずつ少なくなっている。屋根上の水雷形通風器の数は屋根の両側面の両端部に2基ずつとなっている。このほか、正面・側面の窓は上部に丸みがないのもデボ1形との相違点となっている。

主電動機は105馬力(78.33kW)のゼネラル・エレクトリック(GE)社製GE-240A形で、デボ1形と同じく2基搭載で、出力は下げられている。台車ボールドウィン製で、デボ1形の台車に比べホイールベースの短いBW-72-18Kが採用された。

1949年、5両とも廃車となり、名目上モ600形628 - 632として鋼体化された。廃車後52は信貴生駒電鉄(現・近鉄生駒線)へ譲渡され、同社のデハ11号となり、近鉄からのモ200形借入れ車と共用されていたが、1958年に廃車された。

参考文献[編集]

  • 関西鉄道研究会『関西の鉄道』1985 新春号 吉川文夫 華麗なる木造車 近鉄200系

jtbパブリッシング「近鉄電車 大軌デボ1形から「しまかぜ」「青の交響曲」まで100年余りの電車のすべて」

外部リンク[編集]