大阪国際空港
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| 大阪国際空港(大阪・伊丹空港) |
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ICAO RJOO |
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大阪府豊中市・池田市 |
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| メートル | フィート | ||
| 14R/32L | 3000 | 9844 | 舗装 |
| 14L/32R | 1828 | 5998 | 舗装 |
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ウオッちず Google Map 大阪国際空港
大阪国際空港(おおさかこくさいくうこう、Osaka International Airport)は、大阪市の北西13kmの兵庫県伊丹市、大阪府豊中市・池田市にまたがる第一種空港で、国内線の基幹空港。通称は伊丹空港(いたみくうこう)、大阪空港。3,000mの滑走路を含む長短2本の並行滑走路を有する国内拠点空港である。近隣には関西国際空港(主要な国際線が就航)と神戸空港が存在する。
目次 |
[編集] 概要
現在は、関西圏の主要な国内線が発着する基幹空港である。1994年9月4日の関西国際空港開港までは、国際線も発着していたが、関西国際空港にすべての国際線定期路線(チャーター便も含む)が移り、現在の国際線運航は中古機体の海外への売却回送や外国要人の専用機の発着のみとなっている。→本項目国際線を参照のこと
滑走路はクロース・パラレルでA滑走路(14L/32R)とB滑走路(14R/32L)との長短2本が整備されている。優先使用滑走路である滑走路32R・32Lのうち長い方の32LにのみILSが設置されている。(滑走路14R・14Lの側には地形上の制約などからILSは設置されていない)
なお、これら2本は離着陸によって分けているのではなく航空機の性能によって使い分けている。ボーイング777等の大型機やボーイング767等の中型機は短いA滑走路での離着陸ができないため、これらは専ら長いB滑走路で離着陸する。A滑走路はプロペラ機等の小型機の離着陸に使われるが、時間帯や気象条件・混雑状況によっては小型機でもB滑走路を使うこともある。
大阪市・神戸市・京都市などからなる京阪神都市圏のほぼ中心に位置するため利便性が高く、関西圏の国内線の主力空港として利用されている。
空港周辺では航空機が低空を飛行するため、滑走路の延長線上などの周辺区域には騒音対策の緩衝緑地などが設けられている。
[編集] 国内線の基幹空港
本空港は、大阪第二飛行場(戦前)~伊丹エアベース(占領期)~大阪空港(返還直後)と変遷したのち、1959年7月に第1種空港「大阪国際空港」として日本の拠点空港となり、関西国際空港が供用されるまで、関西圏最大の国際空港であった。
- →本項目歴史の項を参照のこと。当時の騒音問題・空港存廃についてのさらに詳細な解説は関西三空港の経緯と現状を参照のこと
関西国際空港開港後の現在は、名称こそ「大阪国際空港」のままであるが「国内線の拠点空港」として利用されている[1]。
大阪国際空港の運用時間は7:00~21:00(日本標準時)となっている[2]。発着回数は1日370回までに設定されており、内訳はジェット機が200回、プロペラ(ターボプロップ)機が170回となっている。現在、ジェット機枠は満杯の状態が続いており、国内の空港では東京国際空港や福岡空港と並んで増便が困難な空港であると言われている。
夏期や年末年始の増便は、帰省等の利便性を考慮して、通常の発着枠とは別枠で設定される。航空会社時刻表の対象便には「夏期臨時増便」「年末年始臨時増便」と、臨時的な増便である旨が表記される。新千歳空港便、那覇空港便などを中心に増便される他、定期便は関西国際空港発着となった旭川空港便と釧路空港便が臨時増便のみで乗り入れる。
プロペラ機枠にはまだ若干の余裕があるため、利用者からの大阪国際空港人気に後押しされるように、各社ともプロペラ機での増便に力を入れている。2006年度の利用者数は1684万人と国内第5位である。
大阪国際空港は2府県3市(兵庫県伊丹市と大阪府豊中市および池田市)にまたがる空港であり[3]、警備する警察官も大阪府警察と兵庫県警察の両者が常駐している。
なお、2008年1月にフォーブス電子版が発表した世界の空港の効率性に関する番付で、大阪国際空港が「定刻通りに出発できる効率的な空港」第一位に選ばれている[4]。
[編集] 歴史
- 本項目の詳細についてはいずれも「関西三空港の経緯と現状」を参照のこと
[編集] 開港(「大阪国際空港」に至るまで)
関西圏の主要な国内線が発着する基幹空港である現在の大阪国際空港は、1939年(昭和14年)に「大阪第二飛行場」として開設された(大阪第一飛行場は大和川尻に建設が予定されていたが実現しなかった)。第二次世界大戦中は軍用飛行場に転用された。
戦後はアメリカ軍を中心とした連合国軍に接収された。このときに「伊丹エアベース」と名づけられたことが、現在の通称「伊丹空港」の祖といわれている。
日本に返還された後、1958年3月18日に「大阪空港」として開港。1959年7月3日には、第1種空港として国際路線を開設し、「大阪国際空港」に改称された。
1960年代以降の高度経済成長期には大阪市の近郊にも市街地が拡大し、この空港の周辺も宅地化の波が押し寄せた。同じころ、離着陸数の増加や航空機の大型化・ジェット化が進み1964年6月よりジェット機の乗り入れを開始した。ボーイング707やダグラスDC-8、コンベア880などの大型ジェット機が相次いで就航し、これに対応して1970年2月5日には3,000mのB滑走路が供用開始され、現在の大阪国際空港がほぼ完成した。
[編集] 国際空港時代
3,000m級滑走路を整備し、1970年の大阪万博を迎え、大阪国際空港は「国際空港」としての全盛時代を迎えることになった。1970年代には、国内外の航空会社が相次いで新規参入・新規路線就航し、年間利用者数が1000万人を越え・年間発着回数は15万7000回(1971年)に達し、大いに賑わいをみせた。
このころ、滑走路以外の空港施設も充実しはじめ、各社の整備センターや格納庫、エンジン試運転用遮音壁、防音壁などが設置された。
しかしながら、空港の活性化にあわせて、周辺地域との間に騒音や排気ガスなどの公害問題を抱えることになった。そのため、夜間飛行の制限や発着回数の見直しを迫られることとなった[5]。1975年12月12日には民間機の21時以降の離着陸が禁止された[6]。また、1977年10月1日には一日の離着陸回数が370回(ジェット機枠200回、プロペラ機枠170回)と制限された[7]。
- 公害問題の詳細については関西三空港の経緯と現状#過去の経緯を参照のこと
発着回数が制限され年間13万5000回での空港運用となったが、空港利用者数は増加を続け、1980年代には年間利用者数2000万人を突破した。DC-10やボーイング747、ボーイング767などの新型機が導入されるなど、航空機の大型化がさらにすすんだ。同時に航空機の低騒音化や防音設備の強化も進められるなど、1980年代は周辺住民との和解に向けて前進をはじめた時期でもあった。
1985年8月12日、日本航空123便東京発大阪行が群馬の山中に墜落し、520名の死者と4名の重傷者を出すことになった日本航空123便墜落事故が発生した。123便の目的地であった大阪国際空港には多くの関係者が詰めかけた。(当事故の引き金とされる1978年6月2日に起こった「しりもち事故」はこの大阪国際空港で起こった。)
1990年代に入り関西国際空港開港を目前にひかえても、存続[8]が決定した大阪国際空港は活況を呈した。地方を中心に新路線開拓や増便が行われ、関西国際空港開港後の国内線専用空港としての運用を見据えた路線展開が、この時期に行われている。
1994年9月3日、「最後の国際線」となった大阪国際空港発グアム行の日本航空のチャーター便[9]を含む『伊丹空港サヨナラフライト』を送り出して、1960年より続いてきた「国際空港」としての大阪国際空港の歴史はこの日をもって終了した。
[編集] 関西国際空港開港後~現在
1994年9月4日に関西圏第二の空港として関西国際空港が開港し、すべての国際線と二割の国内線が関西国際空港へ移った。なお、これに先立ち同年6月には大阪国際空港のIATAコードがOSAからITMに変更されている。ちなみに、関空開港の翌々日の夜8時頃から深夜にかけて、空港周辺の伊丹市や池田市、豊中市など大阪北摂地域の一部に激しい雷を伴う局地集中豪雨があり、空港施設や機器類が浸水し使用不能になった。
関西国際空港開港直後は、大阪国際空港は旅客数・便数ともに減少し、かつての賑わいは失われた。しかし、国内線はアクセス利便性の面などから大阪国際空港に便が戻り、2000年代にはかつての国内線の旅客数・便数に並ぶ実績をあげた。
大阪国際空港の再活性化にあわせるように、2000年にはターミナルビルが大改装された。1969年に供用開始された既存建物をそのまま活用しつつも新築建物並みのサービス提供を実現したことや、屋上のデッキ(ラ・ソーラ)のガーデニングが評価され、2000年12月11日に「第20回大阪都市景観建築賞」の奨励賞を受賞した。
空港周辺の整備もすすみ、1997年4月1日のモノレール駅の開設をはじめ、緩衝緑地の公園化など、地域と密接した空港づくりが行われている。
騒音対策として、2004年9月29日 国土交通省は段階的に大型機の乗り入れ規制を強化し、YS代替枠やCRJ枠を縮小・廃止した。さらに、2005年4月1日には、ボーイング747-400型機以外の3発以上のエンジンをもつジェット機の同空港への乗り入れが禁止された。この運航規制による該当機の最終運用日は2005年3月30日で全日空38便(羽田行、ボーイング747LR型機・機体番号JA8174)であった。
2006年4月1日には、すべてのエンジン3発以上のジェット機の乗り入れが全面禁止された[10]。「ジャンボジェット(ボーイング747)最終日」の同年3月31日には、最後のジャンボ機となった日本航空1528便(東京国際空港行、ボーイング747-400D型機・機体記号JA8907)が20時20分に大阪国際空港から出発した。翌日の4月1日より、3発以上の大型機の乗り入れ禁止への措置として、就航する各社は提供座席の減少数が1割程度に収まる双発(エンジン2基)の機体、ボーイング777-200型、同-300型機への機材変更を行った。
2006年5月5日、有償飛行での乗り入れ禁止後に初めて全日本空輸のボーイング747-400型機(機体番号:JA8962)が飛来した。これは有償飛行でなく、契約満了に伴いポケモンジェットUSAを通常塗装に戻すための整備飛来によるものである[11]。2008年1月19日、同じく全日本空輸のボーイング747-400型機(機体番号:JA8958)が成田空港より飛来したが、これはアッパーデッキ後方の「Yokoso!Japan」の塗装を削除する作業のためのフェリーフライトである[12][13]。
また2006年には、「飛行距離が1000 kmを越える路線」の関西国際空港への移管が国土交通省の方針のもと行われ、北海道や沖縄方面の便が減少した。この飛行距離による制限には、ジャンボジェット機制限のような騒音との合理的な理由がなく、理不尽なものであるとの批判がある[14]。また、同措置に対しては同空港利用者の84%が反対と回答しており、空港近隣居住者のみならず、北海道・沖縄居住者らも「利便性が低下する」と反対している[15]。
2000年代半ば頃からは、地域と密接した空港づくりはさらに促進され、新規テナントやカルチャースクールの進出がさらに進んだ。航空利用者のみならず、周辺地域の一般客を呼び込む、レジャー施設としての要素を取り入れ始めた。さらに、ターミナルビルの再々改修が行われ、老朽化していた中央ブロックの再生が進められている。中央ブロックの老朽化のため、2006年9月3日[16]より、1969年以来空港内で37年間営業してきた大阪エアポートホテルが閉鎖となっていたが、再開に向けた改修が行われている。
[編集] ターミナル・路線
関西国際空港開港までは、北ターミナルを国内線用、南ターミナルを国際線用として利用してきた。国際線撤退・ターミナル改修後は、北ターミナルを日本航空系列、南ターミナルを全日本空輸系列とアイベックスが使用している。
国際線の撤退に伴い、国際線用の機材は同空港を基本的に利用しない。ただし、成田線は同空港の国際線廃線後も全日空と日本航空によって運航されている。一部の便では長距離国際線機(現在はボーイング777-300ER)を使用するため、国内線運賃の価格で高級シートに座れる国内唯一の路線で航空ファンの間では人気路線となっている[17]。
以下の項目において、航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便である。
[編集] 北ターミナル
- 日本航空 (JAL) - ジェイエア、JALエクスプレスの機材・乗務員で運航する便あり
- JALエクスプレス (JEX)
- 日本エアコミューター (JAC)
[編集] 南ターミナル
- 全日本空輸 (ANA) - エアーニッポン、エアーニッポンネットワーク、エアーセントラルの機材・乗務員で運航する便あり
- アイベックスエアラインズ (IBX)
- 秋田空港、仙台空港、庄内空港
- アイベックスエアラインズ (IBX)・全日本空輸 (ANA)
- 成田国際空港、福島空港
[編集] 休廃止路線
以下は大阪国際空港便としては休廃止となったが、関西国際空港または神戸空港には就航している路線
[編集] 国際線
過去には多数の外国の航空会社が乗り入れていたものの、1994年9月に全ての国際線は関西国際空港に全面的に移転され、税関や検疫などの施設も移転された。当時の国際線ターミナルは現在の南ターミナルにあった。現管制塔と全日空格納庫の間の広いエプロンには国際線貨物機が駐機そして航空貨物の積み下ろしが行なわれていた。
なお、いまだに大阪国際空港でも年数回の諸外国との航空機の運航が行われている。ほとんどは、海外の航空会社に売却するために全日空整備でおこなわれる航空機の整備のための発着であり、有償乗客は搭乗していない。近年の諸外国との航空機の運航は2000年に2回、2001年に4回、2002年に1回、2003年に5回、2004年に1回行われている。2008年1月には、東京消防庁に納入する大型ヘリコプターを積んだ空輸機(アントノフ22A)が、フランス・マルセイユから大阪国際空港に到着した。[18]
また、2005年11月15日には、京都を訪れるアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュを乗せたVC-25(エアフォースワン)と同型の予備機が大阪国際空港に着陸した。翌日、両機は釜山金海国際空港に向けて大阪国際空港を離陸した。 また、会談関連の機材輸送の為に、アメリカ空軍の輸送機も前後して多数飛来している。これらの飛来は、強行日程で来日したブッシュ大統領の依頼に応じた特例措置であり、外国の政府専用機は通常は関西国際空港を利用することから、非常に珍しい外国政府専用機の飛来であったため多くの航空ファンがつめかけた。
2007年4月13日には中華人民共和国首相の温家宝を乗せた飛行機が同空港に着陸した。2008年5月9日には同国家主席の胡錦濤を乗せた飛行機が着陸した。なお、使用機は何れも中国国際航空の要人輸送用のボーイング747-400である。
[編集] 過去に乗り入れていた路線(一部)
- ジョン・F・ケネディ国際空港(ニューヨーク)
- ロサンゼルス国際空港(ロサンゼルス)
- サンフランシスコ国際空港(サンフランシスコ)
- ホノルル国際空港(ホノルル)
- 金浦国際空港(ソウル)
- 金海国際空港(釜山)
- 啓徳空港(香港)
- シンガポール・チャンギ国際空港(シンガポール)
- フランクフルト・マイン空港(フランクフルト)
- ロンドン・ヒースロー空港(ロンドン)
- シャルル・ド・ゴール国際空港(パリ)
また、新東京国際空港発着の乗り継ぎ専用便を日本航空が運行していた。
[編集] 過去に乗り入れていた航空会社(旅客便)
- シンガポール航空
- 大韓航空
- 民航空運公司
- 中国民航(注:[19])
- 中国国際航空
- 中国東方航空
- 日本航空
- 日本アジア航空
- 中華航空(注:[20])
- キャセイパシフィック航空(注:[21])
- ノースウエスト航空
- パンアメリカン航空(注:[22])
- ユナイテッド航空
- ルフトハンザドイツ航空
- タイ国際航空
- 英国航空(注:[23]・[24])
- エールフランス(注:[25])
- エアインディア
[編集] 過去に乗り入れていた航空会社(貨物便)
- フェデラル エクスプレス
- フライング タイガース(注:[26])
- 日本航空(JAL CARGO)
- 大韓航空(KOREAN AIR CARGO)
[編集] アクセス
本数・所要時間・料金等の詳細は、該当項目や公式サイトで最新情報を確認されたい。
[編集] 鉄道
[編集] バス
- 大阪空港交通・共同運行各社
- 各地発着。詳細は当該項目を参照。
[編集] 道路
- 阪神高速道路11号池田線 大阪空港出入口
- 一般道路とも接続しているため、徒歩・自転車・原付等でアクセスすることも可能である。ちなみに、大阪国際空港は第一種空港の中で唯一徒歩や自転車、原付で空港ターミナルへ容易にアクセスすることが可能な空港である。(羽田空港も徒歩でアクセスすることが一応可能であるが、道が非常に分かりにくい上に歩道が整備されていないところもあるため推奨されていない)
[編集] アクセスに関する動き
空港からの交通手段として、大阪高速鉄道(大阪モノレール)が運行されている。しかしながら、大阪市内へは乗換が必要であり、定時運行の強みがあるものの、一般に同区間のバスと比較して所要時間で不利である。現在は阪急電鉄が蛍池駅に急行を停車させて大阪モノレールとの連携を強化し、大阪・梅田までの到着時間を短縮している。 かつては阪急電鉄自身が接続線を建設する構想を持っていたが、阪急宝塚本線の輸送力が飽和状態であったため実現しなかった。[27]
バスによる大阪市内や関西一円への交通も盛んであり、乗り換え無しで大阪市内中心部に行けることや所要時間での優位を活かして市内への輸送の主力となっている。空港バスが通る阪神高速道路11号池田線は渋滞が慢性化しているが、ラッシュ時においては渋滞に巻き込まれないよう、高速と一般道路の使用路線を柔軟に切り替えるなど、遅延を極力避けるように運行している。
大阪モノレール開通前は、阪急バスの千里中央~蛍池~大阪国際空港が主流であったが、渋滞の影響を多く煽り、空港利用者・職員にとっては遅延が悩みの種だった。そのような渋滞があった場合には蛍池駅で途中下車し、歩いて空港まで向かったというものもいた。
西日本旅客鉄道(JR西日本)はJR伊丹駅から空港への支線を分岐させるJR福知山線分岐線構想を有し、実現すれば空港と兵庫県側とのアクセスの改善が期待される。しかし、線路の敷設費用の問題やJR宝塚線(福知山線)のダイヤ編成などの問題(「JR福知山線脱線事故」の項目も参照)等から支線の延長は計画段階のままである。この区間については、2007年兵庫県によって新たに大阪国際空港広域レールアクセス構想が発表された。
[編集] 大阪国際空港との鉄道接続構想
伊丹市・大阪市内との接続を改善するため、JR伊丹駅から大阪国際空港まで鉄道で繋ぐ構想もあり、兵庫県側から伊丹市を経由して電車で大阪市内まで直接接続することが提案されている。しかし、建設主体や資金の手当てに具体性がなく正式な構想ではない。この構想は、伊丹市営バスの増発、大阪モノレールの延伸や阪急電鉄宝塚線の蛍池駅への急行の停車で代替されたとみる向きもある。
[編集] LRTの新設
兵庫県は、大阪国際空港の利便性を向上しようと、同空港とJR伊丹駅を次世代型路面電車(LRT)で結ぶ計画の検討を始めた[28]。採算性の調査費として750万円を新年度予算案に盛り込み、阪急伊丹駅への延伸も検討しているとされる。
現在のところ有力なルートとして挙がっているのは、空港ターミナルを出発し、滑走路を北に迂回して猪名川左岸を経てJR宝塚線伊丹駅に至る約4キロである。10~15分程で結び、途中に3、4駅を設けるという。建設は公的資金を中心とし、運営は民間に委ねる方向であるという。
外部リンクや「大阪国際空港広域レールアクセス構想」を参照。
[編集] 航空管制
空港周辺の交通は大阪航空局大阪空港事務所(大阪国際空港に設置)が、着陸前および離陸後のレーダー管制は大阪航空局関西空港事務所(関西国際空港に設置)がそれぞれ担当している。
- 管轄空域
大阪国際空港の地上と大阪管制圏(大阪国際空港から半径5マイル、高度3000フィート以下の空域)、大阪特別管制区(大阪管制圏に隣接する南西と南東の2空域)の航空機は、大阪航空局大阪空港事務所の管轄である。
地上における交通は原則として以下の区域に分けられているが、A滑走路とA誘導路が近距離で隣接しているため、両者は密接に連携している。
- 地上管制(GND):エプロンからA誘導路(A滑走路手前)までの交通
- 飛行場管制(TWR):A滑走路より先の2本の滑走路の交通[29]
| 局名 | 周波数(MHz) | コールサイン | 運用時間(UTC) |
|---|---|---|---|
| CLR | 118.80 | Osaka Delivery | 22:00-12:00 |
| GND | 121.70, 126.20 | Osaka Ground | |
| TWR | 118.10, 126.20, 236.80 | Osaka Tower | |
| ATIS | 128.60 |
- ATISの更新は、毎時00分である(以前は毎時00分と毎時30分であった)
- 太字は、主要波を示す
大阪国際空港は、上述の発着枠(一日370回)にせまる一日363回もの離着陸を取り扱っている(平成17年)。また、報道関係や警察当局などによるヘリコプターの利用も盛んである。このように多くの航空機を管制するため、特に高い管制処理能力が必要である。
2007年には、2本の滑走路を誤認するトラブルや滑走路を誤横断するトラブルなどが立て続けに起こり、同空港の航空交通管制のシステム改善が求められた[30]。このようなトラブルを受けた国土交通省の報告では、上記の交通量の多さに加え、同空港の特殊な構造[31]と管制官ひとり当たりの仕事量の多さ[32]が指摘された。その後、管制業務にあたる人員の増員、着陸滑走路に関する管制方式の改善などの対策[33]が講じられた。
- 飛行場管制
大阪国際空港では、北側に山があるという地形上の制約のため、原則として、手順が少なくスムーズな運用を行える南側からの着陸・離陸を行う(滑走路32Lと滑走路32Rを使用する)。空港周辺は年間を通して風が弱く、風向きによって滑走路の使用が制限されることは少ない[34]。夏季を中心に南東の風が強くなる場合を除き、北側からの離着陸(滑走路14Rと14Lの使用)が行われることは稀有で5%未満である。また同空港では、ILSが設置されているのは32Lのみであること、ラッシュ時に着陸機と離陸機のコースが錯綜して管制処理が難しくなること等から、多少の追い風(南東の風)でも32R・32Lを使用する。
滑走路32L・32R使用時
- 南側からの離着陸の場合、ほとんどの航空機は生駒山方面からILSの誘導にしたがって直線的に接近し、そのまま滑走路32Lあるいは滑走路32Rに着陸する。出発機は離陸後すぐに左旋回し、伊丹市とその近隣の上空で高度を上げ、目的地へ向かう。
滑走路14L・14R使用時
- 南東の風の卓越時は、一旦滑走路32L・32R側から接近後に北側へ周回して滑走路14L・14Rに着陸する方式(サークリングアプローチ)が取られる。滑走路32L・32Rの場合と同じくILSに従って空港の南側から進入するが、そこから滑走路14L・14Rの側へ回り込むため、管制官の指示に従い、大阪市付近でILSのコースから外れて、トラフィックパターン(周回コース)を利用する。このとき、滑走路に対して左側(空港の南西)か右側(空港の北東)のダウンウィンド(滑走路に並行する飛行コース)のいずれかに抜ける[35]。ダウンウィンドに進入したあとは、旋回し、空港北西の宝塚市・川西市のあたりまで飛行してから、右旋回あるいは左旋回を行い、滑走路14Rあるいは14Lに正対し、そのまま着陸する。出発機は離陸後すぐに高度を上げて目的地へ向かう[36]。
- なお、滑走路14R・14Lを使用する運行は、航空関係者・ファンらによって俗に「14(ワンフォー、いちよん)」や「逆ラン」、「逆着陸飛行」などと呼ばれている。また航空機が着陸の際に描く航跡がかつての啓徳空港(現在閉港)の名物であった「香港カーブ」に似ていることからも被せて「伊丹カーブ」とも言われている[37]。滑走路32L・32Rを使用する場合に比べ、着陸する航空機が低空を飛行する時間が長くなるため、特に空港北側で騒音が大きくなる。
- ターミナルレーダー管制(進入・出発)
レーダー管制は、関西ターミナル管制所による広域一元管制である
| 局名 | 周波数(MHz) | 運用時間(UTC) |
| APP | 120.45,124.70,261.20 | 24H |
| DEP | 119.50,120.85,318.00 | |
| TCA | 121.10,125.30,270.80 | 23:00-12:00 |
[編集] 空港施設
[編集] 航空保安無線施設
| 局名 | 識別信号 | 周波数 | |||
| VOR | DME | NDB | ILS | ||
| 伊丹NDB | OW | 211KHz | |||
| 大阪NDB | RK | 340KHz | |||
| 大阪VORDME | OWE | 113.90MHz | 1173MHz | ||
| ILS (32L) | ISK | 110.1MHz | |||
- 保守は、国土交通省大阪航空局大阪空港事務所航空管制技術官が担当
[編集] 付近の航空路
| 航空路記号 | 始点又は終点 | 経由地 | 終点又は始点 |
|---|---|---|---|
| Y29 | 浜松V/D | 信太V/D | |
| V55 | 串本V/T | 信太V/D,大阪V/D | 宮津V/D |
| V17 | 御宿V/T | 大島V/T, 浜松V/D, 河和V/T 信太V/D, 香川V/D,大分V/D,長崎V/D |
福江V/D |
| V28 | △伊万里 | 福岡V/T,玖珂V/T,岡山V/T,大津V/D | 名古屋V/T |
- V/TはVORTAC。V/DはVORDME
- V/T及びV/Dは、管制官へ通過報告義務がある位置通報点
- △は、管制官へ通過報告義務がない位置通報点
[編集] 空港内施設
[編集] 北ターミナル
- 1階
- 到着ロビー
- 手荷物受取所
- 日本航空 チケットロビー
- 団体カウンター
- カフェ・和食レストラン(2店舗)
- 売店
- バスターミナル
- 2階
- 出発ロビー
- 出発手荷物検査場
- カフェ・レストラン(5店舗)
- 売店・土産物屋(8店舗)
- 搭乗口エリア(2階) - 搭乗エリア内でも南ターミナルへ行くことが可能
- 搭乗口(14~25番)
- 売店(2店舗)
- 4階・屋上 - 4階へは北ターミナル内で2階から直接行くことが可能
- 展望デッキ(ラ・ソーラ; La Sora)
- アクタス(インテリアショップ)
- 会議室
- カルチャースクール
[編集] 南ターミナル
- 1階
- 到着ロビー
- 手荷物受取所
- 全日本空輸・アイベックス チケットロビー
- 団体カウンター
- カフェ(2店舗)
- 売店
- バスターミナル
- 2階
- 出発ロビー
- 出発手荷物検査場
- カフェ・レストラン(4店舗)
- 売店・土産物屋(7店舗)
- 搭乗口エリア(2階) - 搭乗エリア内でも北ターミナルへ行くことが可能
- 搭乗口(5~13番)
- 搭乗バスゲート(9A, 9B, 9C)
- 売店
- 軽食店
- 4階・屋上 - 4階へは南ターミナル内で2階から直接行くことが可能
- 展望デッキ(ラ・ソーラ; La Sora)
- アクタス(インテリアショップ)
[編集] 中央ブロック
- 1階
- 2階 - 店舗街
- レストラン・軽食店(5店舗)
- 売店・土産物屋(18店舗)
- 名店街(計14店舗)
- 催事ショップ
- 大阪モノレールへの連絡橋
- 3階 - 展望レストランフロア
- レストラン(4店舗)
- 会議室
- このフロアの南端のスペースに2000年代前半までボーイング747のタイヤが展示されていた
- 4階・屋上
- 展望デッキ(ラ・ソーラ; La Sora)
- アクタス(インテリアショップ)
- レストラン
- 植栽店アルボ(展望デッキのガーデニングのメンテナンスも手がけている)
[編集] その他航空施設
- 滑走路(2本; 3,000m, 1828m)
- 誘導路(A誘導路、B誘導路など)
- 航空保安無線施設
- ターミナル外駐機場(スポット2~4、および、26~27、41~46、51~53)
- 全日本空輸整備エリア(整備ハンガーとスポット0~1)
- その他整備エリア(格納庫2棟とスポット70~77)
- ヘリコプター格納庫、ヘリパッド(スポット80~84)
- 管制塔(滑走路32Lの端を見渡せるようターミナル南に新設)
- 旧管制塔(ターミナル中央ブロックに現存するが、新管制塔供用開始に伴い廃止)
- 大型防音壁(ターミナル北側にあるエンジン試運転場)
- 消防庁舎
[編集] 空港周辺の施設
現在、9.11同時多発テロ等の世界情勢により送迎デッキだけでなく空港周辺のサービス施設においても安全管理が厳しくなって来ている。しかし、同空港は逆に開放的となっており航空機のウオッチングに好ましい環境が整備されている。そのサービス施設の一部を紹介する。
- 伊丹スカイパーク:かつて国際線が乗り入れていた頃に航空機の写真撮影ポイントの一つとなっていた。例として32Lからのエアボーンの瞬間等を至近距離で撮れた。2006年7月9日に公園として開業。ここでは空港をグランドレベルそして至近距離で見渡すことが出来る。子供連れの家族やスポッター等とピクニックからウオッチング等で幅広く利用される。
- スカイランドHARADA:空港のB滑走路に隣接し、空港を高い位置から見渡すことが出来る。特に14Rからの離陸・32Lからの着陸はその瞬間を目の前で見られ迫力満載である。2003年4月オープン。原田下水処理場の水処理棟の屋上部を開放した施設で多目的運動広場をはじめ、せせらぎ広場、芝生広場、ジョギングコース等が整備され運動だけでなく憩いの場としても利用出来る。ここはくずかごは全く設置されておらず、個人で出たゴミは各自持ち帰らなければならない。
- エアフロントオアシス下河原
- 千里川:原田進入灯橋付近: 川の護岸(土手)沿いの一般道である。整備された施設ではないが、滑走路32Lの端から数10mの距離にあり、滑走路32Lに着陸する航空機を真下から至近距離(数10 m程度)で観られるスポットである。滑走路32Rに最終進入する航空機も間近に観ることが出来る。航空ファンや家族連れの間で有名なウオッチングポイントとなっており、航空機の離着陸を見るためにここに足を運ぶ人も少なくない[38]。
- 猪名川:滑走路14R・14L端の周辺を流れる川で、この土手からは空港を一望できるポイントがある。千里川と双璧をなす有名なウオッチングポイントである。ここからは例として32Rからの離陸を真横から、32Lからの離陸機を真正面そして真上を通過する光景が見られ、更に稀有だが14Rへの着陸シーンを至近距離で見ることが出来る。
- 昆陽池公園・端ヶ池公園: 同空港では離着陸は主に32L・32Rを利用するが、離陸直後、伊丹市近郊の上空で180度旋回を行い、空港を9時の方向に見て飛行する。特に32Lからの離陸機の旋回シーンを真下で見ることが出来るポイントである。超望遠レンズ等を持ってウオッチングをする光景も見られる。
[編集] 対策協議会
現在、周辺自治体による、大阪国際空港周辺都市対策協議会(通称、11市協)がある。
参加している自治体は豊中市、池田市、大阪市、箕面市、吹田市、西宮市、宝塚市、川西市、芦屋市、伊丹市、尼崎市である。
[編集] 対策協議会の歴史
- 1964年(昭和39年) ジェット機の騒音対策として周辺8市で結成された「8市協」
- 1971年(昭和46年) 3市(吹田・大阪・芦屋)が加わり、「11市協」となった。
- 2005年(平成17年) 地元商工団体でつくる「空港活性協」の申入れなどにより、騒音災害を理由とした空港廃止から経済振興の観点からの空港存続への政策転換に対応して、名称を「大阪国際空港騒音対策協議会」から「大阪国際空港周辺都市対策協議会」に変更した。
[編集] 事件・事故・インシデント
- 1957年9月30日: 日本航空のDC-4「雲仙号」が離陸直後にエンジントラブルにより不時着。けが人7名。
- 1959年7月14日: 全日空のDC-3が滑走路をオーバーラン。
- 1963年6月5日: 全日空のDC-3(貨物便)が離陸滑走中に滑走路を逸れ、駐機場にいた同社のDC-3と衝突。
- 1964年2月18日: 日東航空のグラマン マラードが離陸直後に不時着。死者2名。けが人8名。
- 1966年11月13日: 全日空の大阪発松山行YS-11が松山空港沖の伊予灘に墜落。乗員乗客50名全員死亡(全日空松山沖墜落事故)。
- 1975年5月28日: 全日空のYS-11が胴体着陸(機体は修復して復帰した)。
- 1978年6月2日: 日本航空の東京発大阪行115便ボーイング747(機体記号:JA8119)が大阪国際空港へ着陸しようとした際、滑走路に機体尾部を接触させる「しりもち事故」を起こした。ケガ人3名。この事故で圧力隔壁を破損したが、この時のボーイング社における修理ミスが下の事故の引き金になったとされている。
- 1985年8月12日: 日本航空の東京発大阪行123便ボーイング747(JA8119)が群馬県の高天原山に墜落した(日本航空123便墜落事故)。死者520名、重傷者4名。
- 2003年~: DHC-8が計器や着陸装置の不具合によって同空港へ引き返すトラブルが起こるようになる。
- 2007年3月13日: 全日空の大阪発高知行1603便DHC-8-400で、着陸準備に際して前輪が出ないトラブル。同日午前10時54分、高知龍馬空港に主脚だけでの着陸を試み成功。死傷者なし。(全日空機高知空港胴体着陸事故)
- 2007年10月5日: 全日空の松山発大阪行448便エアバスA320が、滑走路32Lに着陸するよう指示が出ていたにもかかわらず、午後5時47分頃滑走路32Rに着陸した。このとき、32Rの手前では日本航空2441便(MD-87)機が待機していた[39]。