大阪府立茨木高等学校
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| 過去の名称 | 大阪府第四尋常中学校 大阪府立茨木中学校 大阪府立三島野高等学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 大阪府 |
| 設立年月日 | 1895年2月21日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 2学期制 |
| 高校コード | 27116A |
| 所在地 | 〒567-8523 |
| 電話番号 | 072-622-3423 |
| FAX番号 | 072-623-0238 |
| 外部リンク | 公式サイト |
大阪府立茨木高等学校(おおさかふりついばらきこうとうがっこう)は、大阪府茨木市にある公立の高等学校である。略称は「茨高(いばこう)」。
目次 |
[編集] 概要
2001年に大阪府教育委員会より「次代をリードする人材育成研究開発重点校」(エル・ハイスクール)に指定された。前後期の二期制の採用や65分×5限授業の実施、土曜日にサタデースクールの開校などの取り組みを行っている。
1916年(大正5年)の水泳場竣工、クロール泳法の普及、オリンピック選手など数多くの水泳選手の輩出などの実績によって、「日本近代水泳発祥の地」と称され、記念碑が設置されている。現在でも水泳設備は充実しており、大阪府立高校で唯一、屋内型の50mプールを所有している。
また大正時代から続く「妙見夜行登山」など、質実剛健だった戦前の教育行事の名残を今でも残している。その校風は第二次大戦後、当初GHQから非常に警戒されたというが、現在はリベラルな校風となっており、生徒による体育祭運営などの自治活動が盛んである。1960年代末には学園紛争の影響を受け、突出した学生による学校封鎖が行われたこともあった。
旧制中学校時代より体育祭が盛んであった。戦後は競技よりも、生徒全員参加の応援団やマスゲーム、マスコット(巨大張りぼて)制作、仮装(平成17年にマスコットと仮装が統合され、マスカレードとなった)などが盛んになり、桜塚高校など府内の多くの学校の体育祭運営にも影響を与えた[要出典]ほか、生徒は9月前半の体育祭本番に向けて夏休みの多くを練習などに費やす。
また、校歌『天つ空見よ』は、1912年(明治45年)には歌詞ができており、校名・地名が読み込まれていないという意味では稀有な校歌である。なお、同窓会は「久敬会」と呼ばれる。
体育館は屋根に採光のための突起がいくつも出ている特異な形をしているが、これは茨木童子にちなみ「鬼」をモチーフに設計されたからである。
今の校舎になる前の旧校舎は、歴史が大変古く、「白塔」と呼ばれるシンボルがあった。また、庭には高槻で出土した石棺が置かれていた(今は博物館へ移管され、高校には体育館1Fにレプリカ設置)。
また、校則は存在するが、髪染めや携帯電話の所持などは個人の自律性に任せられている。これは、茨木高校の校風が自由・自律を重んじるためである。
[編集] 沿革
- 1895年 大阪府第四尋常中学校として創立、総持寺に仮校舎を置く。
- 1897年 新校舎竣工、現代の位置に移転。当時の正門は東側。
- 1899年 大阪府第四中学校と改称。
- 1901年 大阪府茨木中学校と改称。
- 1916年 水泳場竣工。
- 1935年 旧校舎竣工(A・B館)。北側に正門を移す。
- 1948年 新制高校・大阪府立茨木高等学校が発足。男女共学の実施のため大阪府立春日丘高等学校と交流。大阪府立三島野高等学校と改称。
- 1949年 普通科・工業科からなる総合制課程実施。
- 1955年 大阪府立茨木高等学校と改称。(春日丘も「茨木」の地名を校名に冠したかったが、諦めた経緯があるため。)
- 1962年 校舎増築(C館)竣工。東側の明治以来の木造旧本館取り壊し。
- 1962年 工業科を分離して茨木工業高校(現・大阪府立茨木工科高等学校)創立。
- 1969年 2月末、卒業式に対して学生28名がバリケード封鎖を行う。校内放送のみで卒業式を行う。
- 1969年 50mプール新築。大正時代の水泳場取り壊し。
- 1982年 校舎増築(D館)竣工。
- 1995年 校舎改築にともない屋内50mプール竣工。
- 1997年 新校舎竣工(出江寛設計)。A・B・C館取り壊し。南側に正門を移す。屋内プールにてなみはや国体の水球競技開催。
[編集] 部活動
伝統的に水泳が盛んであるが、現在の水泳部は競泳、飛込競技を経て、水球のクラブとなっている。その他、スキー、ラグビー、ハンドボール、バドミントン、サッカーなどの部活動もある。
またかつては、山岳部・昆虫研究部といったクラブも存在していた。
[編集] 行事
- 遠足(5月):クラスの親睦を深めるために年一回行われる。場所や内容等はクラスごとに生徒たちでで企画する。
- 春季芸術祭(6月):音楽系の部活やダンス部、また有志のバンドなどが出演し、昼休みや放課後に数日間行われる。生徒会が中心となり、生徒有志による春芸委員会が運営する。
- 宿泊野外行事(6月・10月など年により異なる):いわゆる修学旅行だが、単なる観光旅行でなく体験に重点が置かれるためこのような名称になる。北海道・沖縄方面など生徒アンケートにより行き先が決まる。また、内容も生徒の行事委員会で企画し、旅行業者や現地との交渉も行う。現地でもそれら生徒の委員が中心となり活動する。近年ではモンゴル(2002年)、オーストラリア(2005年・2006年)と海外の例もある。行事の事前・事後学習も充実しており、行事を通じて企画力・実行力・表現力などが育成される。
- 体育祭(9月):3年生が中心となり、1、2年生とともに全校一体となった行事。生徒会や体育祭実行委員が中心となり、企画・準備・運営が生徒の手で行われる。5月頃から準備が始まる。7月には千里丘陵での「竹取」を行う。当日は多くの保護者らが参観して華やかなパフォーマンスも繰り広げられる。使用した竹は竹炭として文化祭で販売するなど、環境教育も視野に入れた取り組みで、数年前に「日本一の体育祭」と有力紙に掲載されたほどである。
- 文化祭(11月):1、2年生が中心だが3年生有志の出場もある。
- 妙見夜行登山(1月):希望者参加であるが、2年生が中心となって例年200名程度の生徒が、雪がちらつく中を夜を徹して学校から妙見山頂50Kmを往復するという非常に厳しい行事である。生徒の妙見委員が企画運営する。PTA・同窓会・地域住民の強力な支援のもとで実施される。
- 冬季芸術祭(2月):基本的には春季芸術祭と内容は同じである。これらすべての行事は、生徒会執行部が中心となって各行事実行委員が運営する。これらを通じて、生徒たちは「野太く」成長する。もし、生徒会執行部が成立しなければ中止となる。
[編集] 出身者
- 川端康成 - 作家、ノーベル文学賞
- 高碕達之助 - 実業家(東洋製罐社長)、政治家(通産大臣)
- 井上一成 - 元衆議院議員、元郵政大臣
- 大宅壮一(中退) - 評論家、ジャーナリスト、ただし学校に対する反抗が重なり卒業せず。
- 内藤良一 - 旧ミドリ十字創業者、淀川キリスト教病院創立者
- 小畑信良 - 陸軍少将、関東軍情報部奉天支部長、第44軍参謀長、シベリア抑留(昭和31年まで) / インパール作戦中止を主張、牟田口廉也と対立・更迭される
- 小畑忠良 - 住友本社、内閣企画院次長、大政翼賛会事務総長、愛知県知事、東海北陸地方総監
- 植場鉄三 - 内閣総合計画局(企画院の後継機関)長官、拓務次官
- 金澤薫 - 元NTT副社長、元総務事務次官
- 原邦造 - 東武鉄道会長、営団地下鉄初代総裁、東京瓦斯会長、室町物産会長、日航会長、日銀政策委員会審議委員
- 牧冬彦 - 元神戸製鋼所社長
- 吉田直樹 - T-ZONEホールディングス会長・社長
- 長谷川慶太郎 - 評論家、エコノミスト
- 大友康亘 - 大阪府議会議員・元副議長
- 廣岡正久 - 京都産業大学理事長
- 米沢富美子 - 慶應義塾大学名誉教授
- 川野健治 - 国立精神・神経センター精神保健研究所自殺予防総合対策センター自殺対策支援研究室長
- 土居丈朗 - 慶應義塾大学准教授
- 八十祐治 - Jリーグ・ガンバ大阪元選手、Jリーグ経験者で初の司法試験合格者
- 吉田宗弘 - Jリーグ・アビスパ福岡ゴールキーパー、2005年Jリーグベストイレブン
- 大野裕之 - 脚本家・チャップリン研究家
- 塩崎賢明 - 神戸大学大学院工学研究科教授
- 二反長半 - 小説家、児童文学作家
- 谷村政樹 - フジテレビドラマ演出家
- 細見彰 - 筑波大学名誉教授、日本化学会フェロー
- 松本利明 - 大阪府議会議員
- 福田敬太郎 - 神戸大学学長
- 廣瀬明夫 - 大阪大学大学院工学研究科教授
- 桑原進 - 大阪大学大学院工学研究科准教授
- 本田武司 - 大阪大学大学院微生物病研究所教授
- 今泉和則 - 宮崎大学医学部教授
- 石原俊彦 - 関西学院大学経営戦略研究科教授

