大阪市立扇町高等学校
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| 過去の名称 | 大阪市立実践高等女学校 大阪市立扇町高等女学校 |
|---|---|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 大阪市 |
| 併合学校 | 大阪市立中之島高等学校 |
| 設立年月日 | 1921年 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 人文学科(1992年-) 普通科(1948年-2008年) |
| 高校コード | 27220F |
| 所在地 | 〒530-0005 |
| 外部リンク | 公式サイト |
大阪市立扇町高等学校(おおさかしりつ おうぎまちこうとうがっこう)は、大阪府大阪市此花区にある市立の高等学校である。学校統廃合に伴い、2008年度・2009年度の2年間のみ此花区に校舎を設置している。長く大阪市北区中之島に校舎を設置していた。
目次 |
[編集] 概要
普通科(2006年募集停止・2008年3月廃止)と人文学科(2008年募集停止)を設置する。
人文学科は1992年に設置された、文学と歴史を重点的に学ぶ専門学科である。英語・国語・社会科(地理歴史・公民)に関する専門科目が多く設定され、少人数形式でおこなう授業も多く設置されている。文学や歴史に関する校外学習や講演会を積極的におこなうなど、体験的な学習を重視したカリキュラムを組んでいる。
学校名の「扇町」は、旧制女学校時代の校舎がかつて大阪市北区扇町にあったことに由来する。
2008年に大阪市立此花総合高等学校と統合し、中高一貫校の大阪市立咲くやこの花高等学校を開校した。これに伴って新入生の募集を停止し、在校生も2008年からは咲くやこの花高等学校内に設置された新校舎に移転し、咲くやこの花高等学校・此花総合高等学校の2校と同居する形になった。在校生がすべて卒業する2010年3月限りでの閉校が予定されている。
[編集] 沿革
1921年に大阪市立実践女学校として開校した。開校当初は北区茶屋町・心華小学校[1](現在の阪急梅田駅北側の阪急電鉄高架下付近)に仮校舎を設置した。
その後1921年8月には、大阪市北区扇町に校舎が完成した。しかし1945年の大阪大空襲で校舎を全焼し、大阪市北天満国民学校[2]、大阪市堀川国民学校(現・大阪市立堀川小学校)への移転を経て、1948年に北区堂島西町3番地(現在の北区堂島3丁目)・大阪市立中之島高等学校の敷地内に移転した。
1948年の学制改革に伴い、大阪市立高等学校(旧制大阪市立中学校)と生徒の交流をおこない男女共学を実施している。
その後1950年に扇町・中之島の両校が合併し(統合後の名称は大阪市立扇町高等学校)、また1957年には大阪市北区玉江町1丁目(1978年住居表示変更により、北区中之島5丁目3番96号)に校舎を移転している。
扇町の敷地は戦後に大阪市立扇町中学校(現在は大阪市立天満中学校に統合されて廃校)に転用されたのち、北野病院となっている。また堂島の敷地は、現在はNTT関連ビルとなっている。
- 1920年11月8日 - 開校が認可される。
- 1921年4月 - 大阪市立実践高等女学校として開校。
- 1921年8月 - 大阪市北区扇町に校舎が完成。
- 1923年4月2日 - 大阪市立高等女学校と改称。
- 1934年4月1日 - 大阪市立扇町高等女学校と改称。
- 1945年 - 戦災のために校舎が全焼。
- 1945年 - 大阪市北天満国民学校に仮校舎を設置。
- 1946年 - 大阪市堀川国民学校に仮校舎を移転。
- 1948年4月 - 学制改革によって大阪市立扇町高等学校となる。普通科を設置。
- 1948年4月 - 大阪市立中之島高等学校の敷地内に移転。
- 1948年6月 - 大阪市立高等学校との生徒交換で男女共学制を実施。
- 1950年4月1日 - 大阪市立中之島高等学校と統合し、新たな大阪市立扇町高等学校となる。
- 1957年4月1日 - 大阪市北区玉江町1丁目(現・北区中之島5丁目)に校舎を移転。
- 1992年 - 人文学科を設置。
- 2006年 - 普通科を募集停止。(人文学科は2006年・2007年も募集)
- 2008年 - 大阪市此花区西九条6丁目に、後身校となる中高一貫の新高校・大阪市立咲くやこの花高等学校が開校。在校生も咲くやこの花高等学校内の校舎に移転。
- 2008年 - 新入生募集を停止。普通科を廃止。
- 2010年3月 - 閉校予定。
[編集] 交通
(2008年3月まで)
(2008年4月から)
- 大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)・阪神なんば線 西九条駅 南西へ約400m。

