大野駅

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大野駅
大野駅西口(2012年3月、東北地方太平洋沖地震後)
大野駅西口(2012年3月、東北地方太平洋沖地震後)
おおの - Ōno
夜ノ森 (4.9km)
(5.8km) 双葉
福島県双葉郡大熊町大字下野上字大野248
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 常磐線
キロ程 257.9km(日暮里起点)
電報略号 ノオ←ノヲ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
616人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1904年明治37年)11月22日
備考 業務委託駅
みどりの窓口
大野駅全景(西口から地震前)
大野駅から原ノ町方面を臨む
大野駅から富岡方面を臨む
駅構内(2008年3月)

大野駅(おおのえき)は、福島県双葉郡大熊町大字下野上字大野にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線である。

福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域内に位置するために、付近への立ち入り自体が禁止されている。

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する地上駅橋上駅舎を備える。エレベーターが設置されている。仙台側は隣駅双葉まで複線化されている。1993年の配線図によると下り線は分岐器の直線側にあるが、上り線は駅発車後分岐器を渡って単線に合流するため、上野方に安全側線もある。下り線の西側に側線が設けられており、駅長室も西口側にある[1]。写真を見ると分かるように駅構内に曲線がさしかかっており、75km制限区間が540m続く[2]

業務委託駅JR水戸鉄道サービスが受託)で、みどりの窓口(営業時間 6時 - 20時)・自動券売機1台設置。

当駅は常磐線単線区間で唯一の橋上駅舎である。

のりば[編集]

1 常磐線(下り) 原ノ町仙台方面
2 常磐線(上り) 富岡いわき水戸方面

利用状況[編集]

主として2000年以降の状況を記載。それ以前は別節にて説明。原発事故の影響で2011年度以降は営業休止。2010年度の1日平均乗車人員は616人である。東日本大震災前は減少傾向が続いていた。

乗車人員推移
年度 一日平均乗車人員 備考
2000 735
2001 741
2002 739
2003 753
2004 703
2005 702
2006 680
2007 647
2008 629
2009 610 [3]
2010 616 [4]
2011 営業休止 2011年3月11日以降、原発事故による営業休止のため
2012 営業休止
2013 営業休止
2014 営業休止

駅周辺[編集]

大熊町の中心部に位置している。当駅から国道を挟んで約3km東方に東京電力福島第一原子力発電所があり、最寄り駅となっている。このため東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による被害状況の詳細調査・復旧工事は行われていない[5]

歴史[編集]

主な出来事[編集]

1898年明治31年)に富岡駅と長塚駅(現在の双葉駅)の両駅が設置されたが、大野村からはどちらの駅も遠く、鉄道の利用客は少なかった。そこで、1903年(明治36年)に大野村議会において当地に停車場誘致を議決した。その後日本鉄道株式会社と「駅設置に関する3600坪を村で買収、これを日本鉄道株式会社に大野村名義で無償譲渡する。ただし設置は村請負とする。」とした契約が行われた。土地代金は2775円で当時の大野村年間予算の約2倍だった。

1920年に就職したある元駅員によると、当時の平均的な勤務は朝8時から翌朝8時までとなっていたが10名の駅員に睡眠時間の設定は全く無かった。駅舎に電灯は無く、夜の事務はランプが必須であった。ランプは駅の南北の分岐器、各種信号機にも据え付けられ、その清掃が当時の日課であった。1980年代には分岐器は水戸局からの遠隔操作、駅側の運転関係責任も無くなり、停電時には自家発電機が点火される状態となっていた状況と比較し、近代化に隔世の感を綴っている[7]

1928年2月24日正午頃、約40mの突風が当駅を吹き荒れ、上り線ホームと貨物ホーム上屋、官舎が倒壊、本館の屋根瓦が吹き飛ばされる損壊を受けた[8]

当時の国鉄一般の例にもれず、太平洋戦争中から戦争直後までは女子職員も在籍し、復員者が復職した際には21名と定員過剰を生じた。国鉄は急速に定数を戻す必要に迫られ間もなく定員は16名となったが、第二次行政整理の結果1949年には定員は12名となった[9]

1957年5月17日20時15分頃、下り急行北上が当駅-長塚間(当時)を走行中脱線し機関士機関助士、一部旅客が死亡する惨事が発生した[10]。現場は分岐器も無く雪解けも終わっており人為的な要因が疑われ、結局あるトラックが浜街道第6ガードに積み荷をぶつけて軌道を歪めたことが原因と判明し、運転手は業務上過失致死傷他の実刑を求刑された[11]

福島第一原子力発電所建設の為、東京電力の調査仮事務所が当駅前に1963年8月に設けられたことがある[12]

1975年にはCTC化と共に更なる配置転換がなされ当駅の定員は8名から3名となった[9]

1986年6月の大熊町議会にて、隣駅の長塚駅が双葉駅に改名されたのに倣い、当駅の駅名を町名と同じ大熊駅に改名する提案がなされたことがあるが、町長は「駅名の改名は国鉄がやることであって、町が独自にやる分にはいかない」「莫大な経費がかかり、現在の国鉄の状況では到底この問題を持ち込んでもだめだろうし、「大熊駅」というよりは大字下野上字大野にある駅であるから「大野駅」でよいのではないか」と答弁した[13]

1987年に駅舎が改築された。竣工前の『広報おおくま』に載った町議会要旨によれば費用は2億数千万とされている。またこの改築により駅東西に通じる人道橋を設けることも目的の一つであった。当時は国鉄分割民営化前夜であり、従来設計施工は国鉄に一任していたものが、駅機能以外の施設の施工は自治体独自の考えで実施する方法もあり得るとされていた。また、東京電力のPRスペースや当時のいわき駅ビル(1973年竣工)のようなテナント付の民衆駅とする案も俎上に出された一方で、地元商店会の利益についても考慮するなど「八方良かれ」という考えが町長より答弁されている[14]

1990年代になるとバリアフリー化の観点から行政より一日5,000人以上の利用者がある駅についてエレベータの設置が求められるようになった。当駅は1980年代に駅舎を建替えしたが、その後上記の事情を承知しつつ、当駅にエレベータの設置が提案された[15]。その後も1999年の議会質問で、スーパーひたちの停車回数が増加したこと、ステーションプラザおおくまが建設中であること、県立大野病院が建て替えを予定していることなどを理由として再度設置が求められた[16]。1999年の第三回定例会では大野病院改築が2002年に竣工することからこれを目標にすることが提案され、この時に町長は態度を転換、地方財政法の規定で営利目的の民間企業に補助金を出せないため、設置目的(高齢者、身体障害者の利用)によりクリアする方向で検討を開始した[17]。その後2001年度の補正予算で設置工事費を計上し[18]、改築竣工前に完成した[19]

2000年頃になると町議会での当駅の扱いも「駐車場や道路は十分整備され」たという認識となり、サイクルスタンドの増設などが課題とされるようになった[20]

本町は人口・面積からすると3名程度の警察官が必要とされた。この事と絡め、2ヵ所ある駐在所を当駅前に統合し、複数名勤務の交番とする提案がなされたことがある[21]

利用者数の変遷[編集]

終戦直後の1947年の利用客は216,214人で大半が三等車であった[22]

大野村、熊町村が合併し人口8,815人の大熊町が誕生した1954年の駅乗車人員は301,501人であった[22]

1960年には町の人口は人口8,206人と減少傾向にあったが駅乗車人員は312,316人と合併時より増加、内近距離利用者は87,901人であった[22]

急行が停車し常磐線が全線電化した1967年は世帯数は横ばいであったものの、町の人口は7,405人と過疎化が進行していた。しかし、駅利用人員は398,395人と1960年より86,079人も増加した。背景にはこの年、東京電力が福島第一原子力発電所1号機の工事に着手したことがあったという[22]

この後、当駅は好調な利用人員に支えられ次のピークを1978年に迎え、その数は372,028人であった。この頃には発電所の建設に伴って人口も増加し8,571人、世帯数も1570戸であった1960年に比し500戸以上増加し2,128戸となっていた[22]

なお、国鉄時代の1983年、当駅売上額は一日平均535,744円で水戸鉄道管理局内双葉郡にて3位の成績であった(トップは富岡駅、2位浪江駅、4位双葉駅、5位広野駅)。広野駅と比較し売上は2倍以上であった。しかし、一日辺り乗車人員では約700人であり、福島県立双葉高等学校の最寄駅である双葉駅の約800人に対して劣位にあった[22]

1980年代になると車社会化の進展のため当駅も近距離利用客が転移し、利用者の伸び悩みが課題であった[22]。参考に当時の月別利用状況を下記に示す。

月別利用者数(1983年)[22]
利用者数 普通乗車数[23]
4月 18,293人 10,369人
5月 17,305人 10,113人
6月 21,132人 9,582人
7月 23,222人 11,070人
8月 24,071人 12,311人
9月 18,794人 9,773人
10月 21,597人 10,313人
11月 21,065人 10,235人
12月 22,007人 10,816人
1月 21,171人 10,971人
2月 17,478人 9,883人
3月 23,038人 12,374人
年度計 249,173人 127,810人

年表[編集]

主として『大熊町史. 第1巻 (通史)』p880による。

町民号[編集]

駅利用者数を増大することを目的のひとつとし、発電所の建設で町予算が潤沢になり始めた1970年以降、団体臨時列車『町民号』が運行されるようになった。第1回は324名が参加し茨城県太田市を観光、以来第2回を1972年に実施し間が空いたものの、1976年以降は毎年のように運行された[22]。行き先は毎年異なり、関東地方、東北地方の観光地から選ばれる[26]国鉄民営化前夜の頃には再建策として一日平均利用客1,000人未満の駅を無人化とする方針が掲げられたため、これを阻止するためのアピール策としての一面も併せ持つようになった[26]。この他陳情活動の成果もあり、1985年3月14日国鉄ダイヤ改正にて国鉄当局が計画した無人化、特急・急行列車の無停車化は予告時刻表では実施されないこととなっていたものの、『広報おおくま』は利用客次第ではこれら合理化の復活もあり得るとして、「切符や定期券は必ず大野駅から買いましょう」と結んでいる[27]

1985年の目的地はつくば万博で、過去最大の472名の参加者を数えた。この時は町民号運行第10回を記念し、当駅にてテープカットを行った[28]。その後も毎年のように2010年まで運行され、都度予定時刻と目的地が『広報おおくま』にて報じられた。

停車要望活動[編集]

1998年のダイヤ改正ではスーパーひたちの停車回数が1往復追加(上りスーパーひたち18号:8時38分、下りスーパーひたち39号:18時45分)された[29]。追加された列車は双葉地方で最も利用頻度が高いという[16]

2000年代には福島県鉄道活性化対策協議会から、スーパーひたち34号(仙台駅発10:21上野駅行き)を当駅に停車させるよう要望が出されていた[30]。また、2010年、大熊町町長志賀秀朗は常磐線活性化対策協議会に出席した際、当駅で特急のステップとホームの段差が50㎝近くあるとし、シームレス化について要望した[31]。また、当駅停車の特急が少ないため時間帯によってはいわき駅まで各駅停車で移動した方が上京には有利なため、JR東日本が2012年春のダイヤ改正で上野-仙台間の直通列車を廃止する方針を示した際には「東京が遠くなる」として異論も出された[32]

物産品[編集]

東日本震災直前までご当地名菓として地元和菓子屋で造られた「原子力モナカ」が売られていた[33]

東日本大震災[編集]

本震では天井板の一部が剥がれ落ちた[34]

また、駅前ロータリーを整備中であったため、2012年7月のガジェット通信の取材では、重機がそのままとなっている[33]

2011年秋の毎日新聞取材によれば、駅構内は犬猫の糞が散乱し野生化したペットの巣と化し、線路・周辺民家は一面草に覆われていたという[35]

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
常磐線
夜ノ森駅 - 大野駅 - 双葉駅

脚注[編集]

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  1. ^ 宮脇俊三 & 原田勝正 1993, p. 84.
  2. ^ 広報おおくま 1998, p. 3。下り線側から撮影された写真に側線と共に曲線制限標が映りこんでいる。
  3. ^ 第125回 福島県統計年鑑2011、福島県企画調整部統計分析課編、2011年
  4. ^ 第126回 福島県統計年鑑2012、福島県企画調整部統計分析課編、2011年
  5. ^ ただし、富岡駅の駅舎流失と当駅 - 双葉駅間の橋梁倒壊については確認されている。
  6. ^ a b 海岸線沿いの散策を楽しむ (大熊町) 『福島の旅』うつくしま観光プロモーション推進機構
  7. ^ 広報おおくま 1984c, p. 15.
  8. ^ 「常磐線大野駅 烈風に襲はる 本館と官舎滅茶滅茶」『読売新聞』1928年2月25日朝刊7面
  9. ^ a b 大熊町史編纂委員会 編. 1985, p. 880.
  10. ^ 「常磐線で急行「北上」転覆 4人死亡29人重軽傷」『読売新聞』1957年5月18日朝刊7面
  11. ^ 「北上転覆事件に求刑」『読売新聞』1958年12月26日朝刊9面
  12. ^ 「福島第一原発歴史を一冊に」『朝日新聞』2008年3月28日朝刊31面
  13. ^ 広報おおくま 1986, p. 7.
  14. ^ 広報おおくま 1986, p. 8.
  15. ^ 広報おおくま 1994, p. 17.
  16. ^ a b c 広報おおくま 1999a, p. 4.
  17. ^ 広報おおくま 1999b, p. 6.
  18. ^ 広報おおくま 2002a, p. 3.
  19. ^ 広報おおくま 2002b, p. 7.
  20. ^ 広報おおくま 2000, p. 10.
  21. ^ 広報おおくま 2002a, p. 6.
  22. ^ a b c d e f g h i 広報おおくま 1984a, p. 3.
  23. ^ 定期券乗車数含まず
  24. ^ 広報おおくま 1995, p. 7.
  25. ^ 外観 「大熊町(1/4)」『ふくしま教育情報データベース』福島大学HP
  26. ^ a b 広報おおくま 1984b, p. 3.
  27. ^ 広報おおくま 1984d, p. 16.
  28. ^ 広報おおくま 1985, p. 9.
  29. ^ 広報おおくま 1998, p. 3.
  30. ^ 常磐線 平成18年度要望『福島県鉄道活性化対策協議会』
    常磐線 平成19年度要望『福島県鉄道活性化対策協議会』
    常磐線 平成20年度要望『福島県鉄道活性化対策協議会』
    常磐線 平成21年度要望『福島県鉄道活性化対策協議会』
  31. ^ 「「スーパーひたち」県内へ入ったら「スーパーそうま」に改名を」『朝日新聞』2007年6月29日朝刊29面
  32. ^ 「ダイヤ変更で東京が遠くなる」『朝日新聞』2010年12月16日朝刊14面
  33. ^ a b 【写真:原発20キロ圏内のリアル】ライトアップされた福島第一原発―JR大野駅(大熊町)」『ガジェット通信』2012年7月22日
  34. ^ 鈴木健児(写真報道局)「【みちのく桜だより】いつか、また自由に~警戒区域の福島県大熊町」『MSN産経』2012年4月21日
  35. ^ 「東日本大震災:福島第一原発事故 大熊町3キロ圏内マイカー帰宅に 記者同行」『毎日新聞』2011年11月17日地方版福島25面

参考文献[編集]

  • 大熊町史編纂委員会 編. 『大熊町史. 第1巻 (通史)』 大熊町 (福島県)、1985年3月
  • 広報おおくま「大熊町発展に寄与した「大野駅」」、『広報おおくま』第156巻、大熊町、1984年5月、 3頁。
  • 広報おおくま「町民号運行決まる」、『広報おおくま』第159巻、大熊町、1984年8月、 3頁。
  • 広報おおくま「大野駅開設八十年の歴史に思いを寄せて」、『広報おおくま』第163巻、大熊町、1984年12月、 15頁。
  • 広報おおくま「大野駅来春3月列車ダイヤ改正で特急8本の停車決る」、『広報おおくま』第163巻、大熊町、1984年12月、 16頁。
  • 広報おおくま「町民号空前の472名参加」、『広報おおくま』第170巻、大熊町、1985年7月、 9頁。
  • 広報おおくま「一般質問」、『広報おおくま』第183巻、大熊町、1986年8月、 6-9頁。
  • 広報おおくま「一般質問」、『広報おおくま』第282巻、大熊町、1994年11月、 14頁。
  • 広報おおくま「大野駅に「みどりの窓口」設置 利用者のニーズに即応」、『広報おおくま』第294巻、大熊町、1995年11月、 7頁。
  • 広報おおくま「JR大野駅は町の玄関口 -もっと便利に、もっと快適に-12月8日ダイヤ改正によりスーパーひたち一日1往復増える」、『広報おおくま』第331巻、大熊町、1998年12月、 3頁。
  • 広報おおくま「一般質問と答弁」、『広報おおくまNo.333別冊』第333巻、大熊町、1999年2月、 4頁。
  • 広報おおくま「一般質問と答弁」、『広報おおくまNo.342別冊』第342巻、大熊町、1999年11月、 6頁。
  • 広報おおくま「一般質問と答弁」、『広報おおくまNo.348別冊』第348巻、大熊町、2000年5月、 10頁。
  • 広報おおくま「議会だより、一般質問と答弁」、『広報おおくまNo.372別冊』第372巻、大熊町、2002年5月、 3,6。
  • 広報おおくま「一般質問と答弁」、『広報おおくまNo.375別冊』第375巻、大熊町、2002年8月、 7頁。
  • 広報おおくま、特集ふるさと「大野駅」
  • 『東北650駅』 小学館〈JR・私鉄全線各駅停車2〉、1993年5月

関連項目[編集]

外部リンク[編集]