大避神社

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大避神社
Osakejinja03 1024.jpg
神門
所在地 兵庫県赤穂市坂越1297番地
位置 北緯34度46分5.05秒
東経134度25分55秒
主祭神 大避大神、天照皇大神、春日大神
創建 大化3年(647年)頃
例祭 10月第2土曜日(例祭)・日曜日(船渡御祭)
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拝殿
拝殿、絵馬堂
本殿
絵馬堂の内部

大避神社(おおさけじんじゃ)は兵庫県赤穂市坂越(さこし)にある神社。祭神は大避大神(秦河勝)・天照皇大神春日大神

瀬戸内海三大船祭りの一つ「坂越の船祭り」で知られる。

目次

[編集] 概要

坂越浦に面して鎮座し、秦河勝、天照皇大神、春日大神を祀っている。 神社の創立時期は明らかではないが、千種川流域を開墾したとされる秦河勝が大化3年(647年)に没し、地元の民がその霊を祀ったのが始まりとされる。播磨国総社縁起によると養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列せられ、当時すでに有力な神社であったという。 現在の本殿は明和6年(1769年)、拝殿神門延享3年(1746年)に再建されたものである。 拝殿両脇の絵馬堂には40余りの絵馬が揚げられており、中には享保7年(1722年)のものもあり、日本で最も古い船絵馬として貴重なものといわれている。

秦氏は6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされるが、河勝は秦氏の族長的人物で聖徳太子のブレーンとして活躍、朝廷政治に深く関わり、のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置した人物とされる。広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って、広隆寺境内から分散し遷座したものといわれ、坂越の大避神社の名もその由来の一つとされる。

秦氏の後裔を称するものは甚だ多く、戦国大名で知られる土佐国の長宗我部氏が有名。幕臣川勝氏も河勝の子孫を称した。猿楽などに従事した芸能の民にも河勝の裔を名乗る者は多く、代表的なものとしては金春流が挙げられる。彼らの伝承では河勝は猿楽の祖でもある。能楽の観阿弥、世阿弥親子も河勝の子孫を称した。また、現在楽家として知られる東儀家は河勝の子孫であるという。

河勝は、太子亡きあとの皇極3年(644年)蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたどって坂越に移り、千種川流域の開拓を進めた後、大化3年(647年)に八十余歳で没した。 大避神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、現在でも人の立ち入りを禁じている。

中国景教の研究により1941年に東京帝国大学より文学博士号を授与された佐伯好郎は、中国ではダビデを漢訳して大闢と書くが、大避神社は、渡来民族である秦氏によって日本にもたらされた景教を祀るために建立されたものである、と。作家の司馬遼太郎は『兜率天の巡礼』において、そのことを述べている。

[編集] 境内

[編集] 文化財

  • 漕船(櫂伝馬・端船・橋船) - 2隻
  • 楽船 - 1隻
  • 御座船(神輿船) - 1隻
  • 警護船(議員船) - 1隻
  • 歌船 - 1隻

以上、兵庫県指定有形民俗文化財

[編集] 坂越の船祭り

今から300年ほど前の江戸時代初期、大避神社の祭神であった秦河勝が坂越に渡来した伝承を再現する祭りとして始まったと言われる。 大阪天満宮天神祭、安芸厳島神社管絃祭と並び瀬戸内海三大船祭りの一つとして毎年10月の第二日曜日に行われる。

祭礼第一日目の宵宮は河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われ、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちによる獅子舞が町内を巡る。 二日目の本宮(神幸式)は午前中から獅子舞の里中奉舞が前日より続く中、海上では櫂伝馬船による漕比べ(花回り)が磯を巡る。正午過ぎに行われる御分霊御遷祭のあと猿田彦・神楽獅子の先祓いを先頭に頭人番五町による宮出し行列が神社から浜までを下り、浜辺で櫂伝馬船の青年たちによる勇壮な橋板バタ掛けが行われたあと御神体が神輿船に乗船、一番・二番の櫂伝馬、三番の獅子船、四番から八番までの頭人船、九番の楽船、十番の御神輿船、十一番の警護船、十二番の歌船からなる和船12隻が船行列を組み、獅子舞や御船歌、雅楽が奏でられる中をお旅所のある生島までを往復する。(海上船渡御) お旅所での神事の終わる夕刻、十数基の篝火が浜で一斉に焚かれる中を高張提灯を灯した船団が再び神社に還幸し宮入鎮座祭のあと一連の祭事が終了する。

坂越の船祭りは和船造船技法(使用する和船は兵庫県有形民俗文化財に指定)をはじめとする伝統的な技術工芸や儀礼・儀式での御歌、雅楽、平成21年に60年ぶりに復活した船壇尻船の舞台や壇尻囃子などの雅やかな芸能の要素が数多く含まれ、現在でも船渡御の動力は二艘の櫂伝馬船の人力のみで行われているなど、古来からの伝承のままを踏襲し行われており、伝統的な儀式として荘厳、華麗、幽玄かつ勇壮という、わが国では他に類をみない祭礼として、平成4年(1992年)に文化庁から選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され調査が続けられていたが、平成24年(2012年)文化審議会が文部科学相に答申、近く国の重要有形民俗文化財に指定される見通し。指定されれば兵庫県下では7件目、西播磨地域では初の指定となる。

[編集] 所在地

〒678-0172 兵庫県赤穂市坂越1297番地

[編集] 交通アクセス

[編集] 周辺情報



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