大連港

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座標: 北緯38度55分44秒 東経121度39分17秒 / 北緯38.92889度 東経121.65472度 / 38.92889; 121.65472

旧満鉄大連埠頭事務所屋上より眺めた埠頭待合所(2009年6月)
空から見た大連港

大連港(だいれんこう)は中国遼寧省大連市遼東半島の先端近くにある中国東北部最大規模の国際貿易港。大連港集団が経営管理する。(資産と業務の大半は香港証券取引所に上場の子会社である大連港股份有限公司が担っている。)

概要[編集]

大連港は、不凍港で、深い海域(港の最大水深は17.5m)に囲まれている天然の良港で、中国南北の水陸の交通運輸の中枢と国際貿易および国内の物資の交流に重要な役割を果たす港湾の1つである。大連港は、大連湾(旧港区)と大窯湾(新港区)に分けられる。160余の国や地域と300余の港と経済貿易の航運関係を築くまでとなった。大連港における取扱量は1980年の3200数万tから、2006年まで2億数tに迅速に増大している。大連市の中心部および大連経済技術開発区にはほかに鮎魚湾石油埠頭、大連湾漁港、和尚島石炭港、北良食糧埠頭の港が連なっている。

歴史[編集]

  • 1898年よりロシア帝国が大連を租借する。ロシアの指示により港の開発が始まり、東清鉄道がその建設を担い1902年に開港した。第1、第2埠頭完成。この時すでに第2埠頭には東清鉄道により線路が敷設されていた為、日露戦争時には日本が兵站基地として使用する。
  • 1905年、日本の租借地関東州となり、大阪商船により日満連絡船(大阪-大連航路)が開設された。
  • 1907年、港の建設および運営は南満州鉄道に委託された。
  • 1920年、満鉄により第3埠頭を建造される。1923年には第2埠頭を改修し30万t級の船が入港できるように拡張。
  • 1924年、大連第二埠頭船客待合所竣工。2Fが船舶待合所で、1Fに鉄道のプラットホームがあり満鉄線に乗継ことができた。しかし、実際にはバスなどにより大連駅と連絡することが多かった。翌年には、入口が半円形にされ、そのまま路面電車に乗り換えることもできるようになった。現在も客船の待合施設として使用されている。
  • 1926年、大連埠頭事務所竣工。現在も大連港務局社屋として使用されており、屋上のみ一般公開されている。
  • 1942年、日満連絡船は、国家総動員法により船舶運営会が設立され、大阪商船より移管された。
  • 1945年8月21日、ソ連により接収され中ソ友好同盟条約に基づき1951年2月まで管理したのち、中国に引き渡す。
  • 1946年12月~1947年3月、大連港より20万3765人の日本人の引き揚げが行われる。その後も引き揚げが行われる。
  • 1960年、対外開放港となる。
  • 1976年に大連新港が完成する。

旅客輸送[編集]

大連港に停泊する天津港行き中国海運集団の普陀島号

今後の展望[編集]

大窯湾新港区は大連経済技術開発区に近く、今後も大きく開発され、造船、客船以外の貨物はすべて新港での取扱となり、旧港区は観光資源として再開発する予定である。

友好港・相互交流港[編集]

6ヵ国の12港と友好港関係がある。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]