大角人事

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大角人事(おおすみじんじ)とは、大角岑生海軍大臣の任期である1933年(昭和8年)から翌年にかけて行われた恣意的な条約派追放人事のこと。

その第一段階として、大角が艦隊派の圧力により、ロンドン条約の批准・発効に尽力した2名の海軍大将を自主的に予備役編入した。

  • 山梨勝之進大将…元海軍次官。昭和8年3月11日予備役編入。
  • 谷口尚真大将…前軍令部長。昭和8年9月1日予備役編入。

山梨はロンドン条約締結時に海軍次官を務め、財部彪大臣不在の本邦で艦隊派の説得工作に尽力した。一方の谷口は条約厳守の姿勢を貫き、満州事変に乗じた海軍の軍備力増強も認めなかった。このため、艦隊派からは強力な抵抗勢力とみなされていた。

しかし、「大角人事」と呼ばれる大量の追放は、昭和8年10月以降に本格化した。以下はその背景である。

海軍将校の人事権は海軍大臣の先権事項とされていた。日露戦争臨戦時の山本権兵衛大臣による日高壮之丞常備艦隊司令長官更迭と東郷平八郎の招聘、シーメンス事件処理のため八代六郎大臣が断行した山本総理大臣斎藤実前海軍大臣の予備役編入などが好例である。

ワシントン軍縮会議ロンドン軍縮会議に際して要求が通らなかった軍令部を中心に、海軍省の権限を弱体化し、軍令部の権限を強化する動きが活発化した。伏見軍令部総長宮が軍令部長に就任すると、その庇護下で高橋三吉軍令部次長が主導して軍令部の権限強化策を断行した。その最終的な成果として「軍令部条例」と「省部事務互渉規定」が改定され、昭和8年10月より発効した。この改定規定の中に、人事権の軍令部移管が含まれていた。この条例を利用し、艦隊派は多数の条約派中堅幹部を追放するよう海軍省人事局に圧力をかけ、大角は拒否できず要求を呑んだ。

  • 寺島健中将…満州事変時の軍務局長、昭和9年3月31日予備役編入。
  • 堀悌吉中将…軍縮会議時の軍務局長、昭和9年12月15日予備役編入。
  • 坂野常善中将…駐米大使武官・軍令部第三班長・軍事普及部委員長として対米避戦論を展開、昭和9年12月15日予備役編入。

この出来事は海軍全体にとって大きな損失となり日米開戦の遠因にもなった。


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