大給恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
 
松平 乗謨/大給 恒
Viscount Ogyu Uzuru.PNG
子爵時代の肖像
時代 江戸時代末期 - 明治時代
生誕 天保10年11月13日1839年12月18日
死没 明治43年(1910年1月26日
改名 松平乗謨→大給恒
別名 三郎次郎(通称)、亀涯(号)
諡号 竜岡
戒名 雲在院殿玉釣亀涯居士
墓所 東京都渋谷区広尾の香林院
官位 従五位下、兵部少輔、縫殿頭、正四位下、従二位正二位
幕府 江戸幕府若年寄、老中、陸軍奉行、陸軍総裁
三河奥殿藩主→信濃田野口(竜岡)藩主
氏族 大給松平家→大給氏
父母 父:松平乗利、母:松平乗全の娘
兄弟 水野勝任正室、有馬氏貞正室
正室:石川総貨の娘
(長男、維新前の名は松平乗健)、娘(片桐貞央正室)など

大給 恒(おぎゅう ゆずる)は、日本大名政治家華族三河奥殿藩の第8代藩主、のちに信濃田野口藩(竜岡藩)の藩主。奥殿藩大給松平家10代。江戸幕府老中格老中若年寄明治維新後は伯爵となる。日本赤十字社の創設者の一人として知られる。旧名は松平 乗謨(まつだいら のりかた)。

経歴[編集]

天保10年(1839年)11月13日、三河奥殿藩の第7代藩主・松平乗利の長男として生まれる。幼少時から聡明で知られ、西洋事情にも通じていたとされる。嘉永5年(1852年)3月8日、父の隠居により家督を継いだ。6月には竹橋御門番に任じられた。

嘉永6年(1853年)のペリー来航後、軍備の増強・革新の必要性を悟り、農民兵を徴募して歩人隊を編成した。11月に従五位下兵部少輔に叙位・任官する。万延元年(1860年)には日光祭礼奉行を務めた。文久3年(1863年)1月に大番頭に任じられ、8月に若年寄に任じられた。9月11日、藩庁を手狭な奥殿から、飛び地ではあったが領地の多くが存在する信濃佐久郡の田野口(現在の長野県佐久市)に移転し、新たに星形要塞である龍岡城を建設した。

その後は幕政に参与したが、元治元年(1864年)6月に開港問題などで松平慶永と対立して若年寄職を罷免された。慶応元年(1865年)4月、三河で信濃移転に対する反対運動が起こる。5月には陸軍奉行として幕政への復帰を果たした。その後、7月に若年寄次席、12月には若年寄となり、慶応2年(1866年)6月には老中に栄進し、10月からは朝廷との交渉役を務めている。11月に正四位下に昇叙し、12月には陸軍総裁に任じられた。

この間、藩政ではフランス式の軍制を導入した農民兵を基礎とする非常先手組を編成する一方で、殖産興業や蚕種・生糸の増産など国力の増強にも努めている。慶応4年(1868年)1月、戊辰戦争を契機に陸軍総裁職を辞任し、2月には老中職も辞任した。そして幕府との訣別を表明するため、大給と改姓した上で信濃に帰国し、3月には上洛して新政府に帰順する意思を表明したが、新政府では乗謨が幕府の中心人物の一人であったことから謹慎を命じた。4月には新政府の命令に応じる形で北越戦争に出兵し、このため5月に謹慎処分を解かれた。5月28日に藩名を竜岡藩と改名する。のちに維新の戦功として賞典金2000両を下賜された。

明治維新後[編集]

明治2年(1869年)6月、版籍奉還により竜岡藩知事に任じられる。7月に名前を恒と改名する。しかし、竜岡藩の財政破綻のため廃藩を申し出て、廃藩置県前の明治4年6月2日(1871年7月19日)、廃藩となり知藩事を免ぜられる。

明治6年(1873年)、メダイユ取調御用掛に任ぜられ、世界の勲章制度に関する調査を命ぜられる。明治8年(1875年)、元老院議官。明治9年(1876年)には、賞勲事務局(賞勲局)副長官に任じられた。明治11年、議官兼賞勲局副総裁。

明治17年(1884年)の華族令では子爵に叙せられた。明治21年(1888年)、勲一等。明治23年(1890年)7月、貴族院子爵議員に選出され、明治30年(1897年)7月まで在任。明治28年(1895年)からは賞勲局総裁。明治37年(1904年)、従二位。明治40年(1907年)には賞勲制度の確立を賞されて伯爵に陞爵。明治42年(1909年)2月23日、枢密顧問官[1]

明治43年(1910年)1月26日に死去した。享年72。危篤の報が天聴に達すると正二位に叙され、勲一等旭日桐花大綬章を授与された。

人物[編集]

  • 佐野常民とともに日本赤十字社の前身である博愛社の設立と育成に貢献した。佐野が「日赤の父」と呼ばれたのに対し、恒は「日赤の母」と呼ばれている。
  • 人となりは厳毅方正、不与不奪の訓言を守り、賞勲の職を全うするために交際往復を避け、宮中三大節、観桜、観菊の宴から、日常の交際に至るまでいっさいこれを絶った。
  • 詩に巧みで、亀崖と号した。

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第7696号、明治42年2月24日。

参考文献[編集]

  • 北野進『大給恒と赤十字』銀河書房、1991年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史―貴族院・参議院議員名鑑』1990年。

関連項目[編集]