大河内了悟

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大河内 了悟(おおこうち りょうご、1897年 - 1976年)は、浄土真宗の僧、仏教学者

生涯[編集]

愛知県西尾市生まれ。 妻は「いを」生涯了悟を支える。 愛知県西尾市平坂町奥背戸「無量寿寺住職」として開祖「親鸞聖人」の教えを生涯を通じて探求し、 寺の檀家のみならず、あらゆる衆生に仏陀の教えの根本や浄土真宗の教えを分かりやす解くことに生涯を捧げる。 自身の眉間にある大きな「ほくろ」を「仏様=仏陀」と重ね合わせ(同じ場所にあると自慢、運命的)浄土真宗のみならず 広く大きく仏教の真の意味を生涯を通じて探求し続けた。 号は虚洞。1925年大谷大学研究科を卒業し、擬講となる。大谷大学教授を経て、東本願寺侍薫寮出仕となる。 教学委員を務め、 岡崎女子短期大学教授[1]

著書[編集]

  • 『十二光講讃』法蔵館 真宗講座 1936
  • 歎異鈔に依りて』法蔵館 真宗講座 1936
  • 『仏教生活叢書 10 本願の宗教』法蔵館 1941
  • 『仰せに聞く』法蔵館 1961
  • 『親鸞に導かれて』大谷出版社 1961
  • 『昭和仏教全集 生きてよし,死してよし 大河内了悟集』教育新潮社 1962
  • 悪人正機 大河内了悟集』教育新潮社 現代真宗名講話全集 1966
  • 『真宗学原論』教育新潮社 1973

共編著[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 銅像

  愛知県西尾市 無量寿寺  住職