大江山

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大江山
Mt.Oe
標高 833m
位置 北緯35度27分13秒
東経135度06分24秒
所在地 日本の旗 京都府 与謝野町福知山市宮津市
山系 丹後山地
  

大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町福知山市宮津市にまたがる連山である。標高833m。別称、大枝山与謝大山千丈ヶ嶽

酒呑童子伝説で知られる。また、雲海の名所としても知られている。2007年平成19年)8月3日には丹後天橋立大江山国定公園として国定公園にも指定されている。

目次

[編集] 山としての大江山

大江山は連山であり、全体を大江山と呼ぶ。大江山と呼ばれる頂上をもった峰があるわけではない。連山には北寄りから鍋塚(なべづか、763メートル)、鳩ヶ峰(はとがみね、746メートル)、千丈ヶ嶽(せんじょうがたけ)、赤石ヶ嶽(あかいしがたけ、736.2メートル)と呼ばれる峰がある。このうち、千丈ヶ嶽が最高峰で832.5メートルの標高があり丹後地方最高峰である。登山口としては与謝野町宮津市福知山市大江町がある。

山頂からは若狭湾丹後半島を始めとして、視程の良い日には氷ノ山および白山愛宕山なども望むことができる。

[編集] 鉱山としての大江山(大江山ニッケル鉱山と河守鉱山)

大江山ニッケル鉱山跡

詳細は「大江山鉱山」を参照

地質学的には地球の深部から隆起した地層で超塩基性蛇紋岩)の岩盤を持つ。金属鉱脈が豊富で周辺には金屋など金属にまつわる地名が多く見られる。

古くから鉱床があることは認識されていたが、大江山北西山麓の与謝野町(旧加悦町)において日本火工(日本冶金工業の前身)の子会社が1934(昭和9)年に探鉱を開始し、低品位ながら無尽蔵のニッケル鉱石があることを確認した。その後、1938(昭和13)年から1940(昭和15)年にかけて大江山の鉱石を製錬する実験を試みた結果ついに成功し、1940(昭和15)年六月からフル操業を開始した。

当初の製錬は大江山から遠く離れた石川県七尾の元セメント工場で行われたが、太平洋戦争のための兵器製造に不可欠なニッケルを大量に確保するため大江山から近い、日本海に面した与謝郡吉津村(現在の宮津市与謝野町岩滝町)に新しい製錬所を建設し、そこへ専用鉄道(かつての加悦鉄道と日本冶金工業専用線)で輸送し、製錬した。

この鉱山では日本人のほか朝鮮から多くの人が徴用されていたほか、中華民国から200名の拉致・連行者が強制労働に従事させられていた。さらに連合軍捕虜(イギリス人、カナダ人、オーストラリア人、アメリカ人など)も約700人が強制労働に従事させられていた。中国人労働者16人が過酷な労働を強制されたとして損害賠償訴訟を1998年平成10年)8月京都地裁へ提訴[1]2004年平成16年)9月29日日本冶金工業東京都)が和解金として計2100万円を支払い、大阪高裁で一部和解が成立。しかしながら、2007年平成19年)5月12日上告審判決で、最高裁田原睦夫裁判長)は、国への損害賠償請求を完全に退ける決定をした[2]。未だに戦争の影を今日に至るまで引きずっている。

また大江山東側山麓の福知山市(旧大江町)佛性寺には河守鉱山(こうもりこうざん)跡があり、日本鉱業により1917(大正6)年から1973(昭和48)年までクロムおよび少量のの採掘が行われていた。主な鉱石はキューバ鉱黄銅鉱クロム鉄鉱、および磁硫鉄鉱などである。

大江山鉱山の事情に詳しい本としては『日本冶金工業六十年史』、『大江山鉱山 中国人拉致・強制労働の真実』がある。また、連合軍捕虜のうち、ウェールズ出身のイギリス軍兵士フランク・エバンスの書いた『Roll Call at Oeyama 大江山の点呼』は、当時の鉱山、製錬所、それに捕虜収容所の状況の貴重な記録として知られている。

[編集] 鬼退治伝説

大江山には3つの退治伝説が残されている。一つは、『古事記』に記された、崇神天皇の弟の日子坐王(彦坐王)が土蜘蛛陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を退治したという話。二つめは聖徳太子の弟の麻呂子親王当麻皇子)が英胡、軽足、土熊を討ったという話、三つめが有名な酒呑童子伝説である。 これはの演目『大江山』(五番目物の鬼退治物)にもなっている。 これらの伝説にちなみ、大江山の山麓にあった廃鉱となった鉱山跡に1993年大江町(現在は福知山市の一部)によって日本の鬼の交流博物館が作られた。

なお、酒呑童子の本拠とした「大江山」は、この丹後の大江山であったという説のほかに、京都市西京区にある山城国丹波国の境、山陰道に面した大枝山(おおえやま)という説もある。

[編集] 鬼退治伝説の意味

大江山の位置する丹後地方は古くから大陸との交流が深く、渡来人は高度な金属精錬技術により大江山で金工に従事、多くの富を蓄積していた、これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。多分このような出来事が元になり自分達を正当化、美化しようとの思いから土蜘蛛退治や鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説と同時に、渡来人が寄り集まって山賊化して非道な行いをしたので鬼と呼ばれたという説もある。

[編集] 短歌

小倉百人一首には「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)という歌がある。ここでの大江山は本項でのものと京都市西京区の大枝山をかけているとの説もある。中腹に「日本の鬼の交流博物館」があり、館長は鬼の子孫と自称する人物であり、各地で講演など行っている。

[編集] 脚注

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  1. ^京都地方裁判所 平成10(ワ)2229 日本冶金強制労働損害賠償事件判決文」 裁判所ウェブサイト 判例検索システム 2003年平成15年)1月15日判決
  2. ^大江山の強制労働訴訟、最高裁が中国人原告の上告退ける」 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2007年平成19年)6月12日21時51分発表

[編集] 参考書籍

1. 和久田薫著『大江山鉱山 中国人拉致・強制労働の真実』(2006(平成18)年、(株)ウインかもがわ) 2. 日本冶金工業社史編纂委員会編『日本冶金工業六十年史』(1985(昭和60)年、日本冶金工業)