大屋政子
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大屋 政子(おおや まさこ、1920年10月27日 - 1999年1月16日)は、日本の歌手・実業家・タレント・作家。愛称は「天下茶屋の政子ちゃん」。
大屋晋三の妻。
目次 |
[編集] 来歴・生涯
[編集] 歌手としての活動・略奪婚
大阪府大阪市出身。父親は熊本県天草出身の代議士森田政義、母親は大阪府出身[1]。大阪音楽学校を本科2年で中退後、コロムビア・レコードから歌手としてデビュー。戦時中は軍属歌手として活動。戦後、大屋晋三と不倫の末、1950年に略奪婚。帝人の経営に参画する。
1976年には、週刊朝日に連載された江森陽弘による聞き書きが『帝人の大屋政子社長夫人はダンプ型外交官といわれるものすごいトップレディー』(二見書房)にまとめられた。
[編集] 芸風・派手な衣装
高い声と年齢に合わないピンク色を基調とした派手な衣装を好み、高齢になってもなおミニスカートを愛用する等、日本国内では『色物タレント』として認知される傾向が強いが、フランスのフランソワ・ミッテラン大統領と電話したり、元日の『平成あっぱれテレビ』に出演した際に宮澤喜一のことを「喜一ちゃん」と呼んで電話を掛けたり出来る(ただしその時は宮澤は不在で繋がらなかった)ほどで、海外では有名な『セレブ』であった。しかし、高い声や派手な衣装は女性単身でビジネスを行うにあたり、社会に埋没しないため意識的に行ったものであり、地声はテレビで聞く声よりも低かったという。
[編集] セレブタレントとしての活動
大屋晋三を生涯愛し、「ウチのお父ちゃん」と呼ぶ姿はマスコミを通じて一般にも有名になった。今日マスコミで取上げられる『セレブタレント』の走りとも言える。購入した屋敷の隅々を自ら掃除したり、若手タレントや芸人に対し、食事をご馳走したりする等優しい気配りで接したので、現在でも大屋政子に対して感謝を述べる俳優やタレントが多い。
[編集] 財団理事として・バレエ教室校長としての活動
舞台芸術振興財団理事長などの要職を歴任。バレエにも造詣を持ち「大屋政子バレエ教室」を主宰し、「大屋政子バレエ財団」を設立するなど、文化的活動にも積極的に動いた。ヨハン・シュトラウス協会の設立にも尽力した。
1999年、胃癌のため78歳で死去。日蓮宗の熱心な信者でお墓は縁の深かった大阪市東住吉区中野の「法得寺」にある。
[編集] 主な出演番組
- ポーラ婦人ニュース(大阪テレビ放送→朝日放送・KRテレビ→TBS共同制作)
- 笑っていいとも!(フジテレビ、1983年4月 - 1984年9月※水曜日担当)
- ザ・恋ピューター(ytv・日テレ系)
- 徹子の部屋(テレビ朝日、ゲスト)
[編集] 著書
- 「天下茶屋の政子ちゃん」
- 「政子ちゃんのメルヘン交遊録」他
- 「帝人の大屋政子社長夫人はダンプ型外交官といわれるものすごい肝っ玉トップレディー」 聞き書き 江森陽弘 二見書房
