大井貞清
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大井貞清
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| 時代 | 戦国時代 |
| 生誕 | 生年不詳 |
| 死没 | 天正3年(1575年) |
| 別名 | 宮内、左衛門督 |
| 氏族 | 大井氏 |
| 父母 | 父:大井忠孝 |
| 兄弟 | 忠重、忠次、貞隆、平賀玄信、貞清 |
| 子 | 貞重、貞景 |
大井 貞清(おおい さだきよ)は、信濃源氏小笠原氏の庶流大井氏の庶流・岩村田大井氏の出自で、信濃国内山城主。三兄・貞隆の嗣子となっている。
[編集] 概要
天文12年(1544年)武田信玄によって長窪城が落とされ、養父・貞隆が没落すると、岩村田大井氏の名跡を継承する。
天文15年(1547年)武田氏の攻撃で内山城は落城。自身も降伏するが、密かに上杉憲政や村上義清に通じていたという。しかし天文17年(1549年)再び降伏、甲府に出仕して武田家に仕えた。

