夜のオフィス

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夜のオフィス』(よるのオフィス、Office at Night[1]は、アメリカ合衆国の画家エドワード・ホッパーの1940年の絵画である。キャンバスに油彩。56.356 センチメートル×63.82 センチメートル。

それは現在、ミネソタ州ミネアポリスのウォーカー・アート・センター(Walker Art Center)が所有するが、センターは絵を1948年に購入した。

絵は、開いたファイル・キャビネットのところに立っている半袖のブルーの婦人服を着た魅力的な若い女性と、中年初期であるかもしれない、少し年上の男で占められているオフィスを描く。彼は三つ揃いのスーツを着て、デスクのむこうに腰掛けている。

オフィスの性質ははっきりしない - それは、弁護士、会計士の、あるいは、小企業の、オフィスである可能性がある。

解釈[編集]

いくつかの手がかりが情況を提供する:見る者がオフィスを見下ろす高角度は、見る者が通過する高架列車からちょっとのぞいているかもしれないことを意味する - いやそれどころか、ホッパーはのちに、1948年に絵を入手したウォーカー・アート・センターの主任学芸員(curator)ノーマン・A・ジェスク(Norman A. Geske)に絵のアイデアは、「十中八九、わたしの心に新鮮で鮮明な印象を残すほどに素早く過ぎ去る、オフィスの内部の瞥見のニュー・ヨーク・シティの「L」列車への多数回の暗くなってからの乗車によって最初、示唆された」ことを知らせた。[1] そうするとこれは一流のオフィスではない - これは室の菱形によって、そして男のデスクの小さい寸法によって、補強される事実である。

タイプライターをのせている、さらに小さいデスクは、女のものであるかもしれない。これは、彼女が彼の秘書であるかもしれないことを意味する。

しかしそれでもやはり、これは角のオフィスであるが、これは小さな組織のなかで、最も格式が高い、利用し得る空間であり、したがって男は、ひょっとすると、支配人か上司であることを示す。

彼のほかの絵画と同じように、ホッパーは動きを風に吹かれるカーテンによって示す。 この絵画において、ブラインドが突風によって吹き込まれたあと、ブラインドの引き紐の先端の環が外に揺れている - ことによると通過する列車によって起こされた逆風に応じてかもしれない。

突風は2つのものを説明する。 第1に、机の横の床に紙が1枚、あるが、それは女性の眼をひいているからそれは机からそこに吹き落とされたところにちがいない。 第2に、風は婦人服を彼女の両脚にぴったりとまとわらせ、列車の見知らぬ客たちに彼女の肉感的な姿を見せている - しかし、男性には見せないが、彼は別の書類を一心に見つめている。

2人の間の関係の性的解釈がある。 ここでは、『Evening Wind』(1921年)[2] や 『Summertime』(1943年)[3]のような、多くのホッパーの作品の場合のように、カーテンあるいはブラインドの揺れ動きは、感情的なあるいは肉体的な揺れ動きを象徴しているように思われる。 (これとは対照的に、『Eleven A.M.』(1926年)[4]や『Hotel by a Railroad』(1952年)[5]のようなホッパーのほかの絵における気力の無いカーテンは、感情的なよどみあるいはつながり得ないことを意味するように思われる)

ある批評家は書く、「室は明るく照明されているけれども、われわれは何か奇妙なことが進行中であることがわかる。 2人の関係は別にして、ふたりが見たところ、まだ見つからない或る書類をさがして、この遅い時刻に、秘密資料を読みふけっているらしい情況から、サスペンスに満ちた雰囲気が生まれる。」[2] 男の真剣な集中は、問題が彼にとって危機的であることを示唆する - 彼は、全ての窓が開いているほどあたたかいという事実にもかかわらず、上着を脱ごうとしないし、彼は、書類を床に落とした風に気づいていないように思われる。

またある批評家は述べる、「この絵においてホッパーは、普通以上に多くの手がかりを語り手に与えている。 デスクの左の方に、女が見たばかりの紙が1枚ある。 ひとは、この官能的な女性が紙を取ろうと手を伸せば、彼女の動作は男を目覚めさせるであろうと想定する。 奥の壁には、ホッパーは人工照明の切片を描いたが、今度はそれが男と女が相互作用するであろう点を劇化する。」[3] これはたしかにひとつの可能性であるが、しかし別の意見はこの絵を失われた機会のひとつとして解釈することである。 ひょっとすると女は身をかがめるかもしれないであろうし、『Night Windows』(1928年)[6]においてかがみ込むのが見られるナイトガウンを着た女性のように、高架鉄道ののぞき見する見知らぬ者に、男性の連れに見られずかつ真価を認められぬままに、自分の願わしさを明らかにするであろう。

初期の提案された絵の題名には、『1005号室』(Room 1005)と『親展』(Confidentially Yours)もあったが、これは男と女の間により深い関係がある、あるいはふたりは自分たちの間のより高度の信頼をともなう資料に共同で取り組んでいるという考えを補強する。 最後には、ホッパーはよりあいまいな作品名『夜のオフィス』(Office at Night)に決めた。

ほかの夜景の場合のように、ホッパーはさまざまに変化する明るさの源によって照らされた室の複雑さを写実的に再創造せねばならなかった。 『ナイトホークス』の場合のようにこの絵の場合、彼のこの問題の把握は彼の成功への鍵である。 『夜のオフィス』では、光は3つの光源から来る: 頭上の光、男のデスクの上の明り、これは強烈な光の小さな溜まりをつくり、そして右手側の開いた窓で輝いている街灯から。 ホッパーは、天井設備からの光と外部からの光の重複が、さまざまな段階の影を伝えるためにさまざまな色合いの白を使用することを彼に要求するから、それらは特別に技法上の難題になることを報告した。[4] 女のむこうの角を注意深く調べると、街灯のより明るい光を浴びるファリング・キャビネットのくっきりと描かれた影にほとんど失われた、天井設備の弱い光を浴びる彼女が投げる、かすかな影が明らかになる。

来歴[編集]

霊感と創作[編集]

1939年12月後半および1940年1月前半に、エドワード・ホッパーは、創造上の乾燥期間を経験した。 この期間ちゅう、妻ジョセフィーン(Josephine)(「ジョー」(‘Jo’))がつけていた日記によれば、彼はフランスのエッセイスト、ポール・ヴァレリーの本を読むことに従事していた。[5]

1月25日、ジョーの固執で、エドワードとジョーは近代美術館(Museum of Modern Art)でのイタリアの巨匠の展覧会に行った。 ジョーの日記によれば、2人の注意は、特に、サンドロ・ボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』に引きつけられたが、それを彼女は結婚前に、ウフィッツィの自宅で見たことがあった。[6] エドワードは、このとき以前は、この絵の写真をみたことしかなかった。 彼女が絵に熱狂したいっぽうで、エドワードはそれを「ただのかわいらしい女性の絵」としてしりぞけた - 伝記作者ゲール・レヴィン(Gail Levin)にこの評言は「何かより深い感動」を示すと結論させた、拒否的な性格付けである。[5]

次の晩、エドワードは「新しい絵を『瞑想する』ために外出しなければならない」と言明した(レヴィンはそう述べている)。 町の旅行には高架列車での小旅行をもふくんでいたように思われる。 翌日の1月27日、彼はもう一回、旅行し、キャンバスを購入し、 ジョーのこの日の日記は、「彼は、オフィスの机に向かう男と部屋の左側の娘と光の効果の白と黒の素描を持っている」と注した。[6]

ホッパーが紙の上のイメージを頭の中のヴィジョンにより近接に一致させるように調節する幾枚かのスケッチがこのあと続いた。 習慣どおり、ジョーが女性人物のモデルになった。 彼女の2月1日の日記の書き込みは記録している。

E.は新しい絵を木炭で描いた。彼は準備万端でやっている - クレヨンのスケッチを2つ終えた。キャンバスを始めるのに遅れをさがしているみたい。

デスクに向かう年上の男とファイリング・キャビネットのなかをさがしている秘書の女性のいる事務所。 わたしはタイトスカートで今夜、同じもののモデルになった - 脚を見せるには短い。 きれいな脚と新進有望なストッキングでよかった。[6]

毎日、エドワードは「ほとんど真っ暗闇になるまで」絵を描いている。[6] 2月19日までに、キャンバスはジョーがつぎのように述べるまで点まで進んだ、「毎日わたしはどのようにして E. がもうひと筆、加えることができるかわからない」 - しかしまた「この絵を...より手で触れ得るように[する] - こまかすぎない...本質的要素まで...それほど実現された.」。[6]

2月22日、完成した絵はある画廊に運ばれ、そこでさまざまな作品名が提案された。 画廊主の助手が提案した:「敬具。1506号室」(“Cordially Yours; Room 1506”)。 ホッパー自身は『超過勤務手当五割増し、その他』(“Time and Half for Over Time, Etc”)を提案した。[5] これらの名前から派生したほかの提案された名前は数日後、ジョーによって彼女とエドワードの絵画の日記に記録されている。

ホッパーの日記における絵に関する注[編集]

1924年の結婚のすぐあとからエドワードとジョーは、日記を付けていたが、彼は鉛筆で、技法上の細目の正確な記述とともに、自分の絵のスケッチ素描を描いていた。 ジョー・ホッパーはそのとき絵の主題が、あるていど、明らかにされる情報を付け加えた。

『夜のオフィス』が扱われ始めているページの批評には、ジョーの筆跡で、絵に関する以下のような注が含まれている:

『夜のオフィス』。22x25。『親展』。『1005号室』。

1940年2月22日。

白い壁、天井から、デスクのランプ(グリーンのカバー)から&窓の外の光から。 グリーンの床(黒っぽいグリーン)、マホガニーの家具、デスクの上にブルーの吸い取り紙、グリーンの金属製のファイリング・キャビネット。 石目をつけられたガラスをはめた、褐色の木製の仕切り壁 [判読不能]窓の影。 石工パテ色の、外の窓枠。 グレーの上着、ブロンドの髪の、男。 赤いドレス、白いカラー、肉色のストッキング&黒髪&口紅をたっぷり塗った「シャーリー」(“Shirley”)。 人物は空間に目立ち、背景に結びつけられていない。[7]

所有と展示の歴史[編集]

この絵は、数年間、ホッパーの所有のままであった。 ジョーの日記の注によれば、これは1945年にサルマガンディ・クラブ(Salmagundi Club)の75周年記念展覧会に展示され、これにエドワードは招待展示者として招待された。 展示されて、絵は1000ドルの賞金を獲得した。[7]

日記は、絵が1948年春にオハイオ州ヤングスタウンのバトラー美術研究所(Butler Art Institute)に売られたことを述べる注をふくんでいる。 すぐ下の別の注は、これに反対して、絵は、1949年6月27日、ミネアポリスのウォーカー・アート・センターに売られたと述べる。

最後の日記の注は、これもジョーの筆跡であるが、「ジョン・クランシー(John Clancy)が15,000の保険に見合う価値を引用した - 1964年」と述べる。

2006年、絵は、ホイットニー美術館(Whitney Museum of American Art)で数か月間、展示された。[1]

注釈[編集]

  1. ^ a b New York Times, "Entering an Expectant Realm in Hopper's 'Office at Night'." July 9, 2006
  2. ^ Wieland Schmeid, ‘’Edward Hopper: Portraits of America.’’ Munich: Prestel, 1999, p. 50.
  3. ^ Robert Hobbs, Edward Hopper. New York: Harry N. Abrams, 1987, p. 116.
  4. ^ Wieland Schmeid, Edward Hopper: Portraits of America. Munich: Prestel, 1999, p. 50.
  5. ^ a b c Gail Levin, Edward Hopper: An Intimate Biography. New York: Rizzoli, 1995, revised 2007, pp. 321 – 325.
  6. ^ a b c d e Jo Hopper, diary entries for December 1939 – February 1940. Cited and footnoted in Gail Levin, Edward Hopper: An Intimate Biography. New York: Rizzoli, 1995, revised 2007, pp. 321 – 325 and 615.
  7. ^ a b See Deborah Lyons, Edward Hopper: A Journal of His Work. New York: Whitney Museum of American Art, 1997, p. 60

外部リンク[編集]