多重質問の誤謬

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多重質問の誤謬: plurium interrogationum)は誤謬の一種である[1] 。議論に関わる人々が受け入れていない、あるいは証明されていない前提に基づいて、質問をすることである。質問者は修辞的にこのような質問を行い、特に返答を期待していないことが多い[1]。例えば「お前はまだ奥さんを虐待しているのか?」といった質問がある。相手が「はい」と答えようが「いいえ」と答えようが、彼には妻がいて過去に虐待したことがあると認めたことになる。つまりこれらの事実が質問の「前提」とされたため、相手は多重質問の誤謬の罠にかけられ、1つの答えしかできない状況に追い込まれる[1]

このような質問が誤謬かどうかは文脈に依存している。質問が何かを前提にしていても、質問自体は誤謬ではない。その前提が相手が同意していないものである場合のみ、この質問が誤謬となる[1]

関連する誤謬として論点先取がある[2]。これは、結論が前提として使われている論証形式である[3]

暗示形式[編集]

誤解を招く会話形式として、質問に明示的に言及されない事を暗示するというものがある。例えば「ジョーンズさんには軍人の兄弟がいるんですか?」という質問は、そのような事実を主張しているわけではないが、少なくともそう思われる徴候があることを示唆しており、さもなくばこのような質問がされることもないだろう[4]。このような質問をしている人は嘘の主張をしているわけではないが、暗黙の複合的質問(単純に「はい」や「いいえ」で答えると誤解を生むような質問)を含意している。この質問自体は誤謬ではないが、この質問を聞いた人々が質問の前提を裏付ける証拠があるのだろうと仮定することに誤謬が存在する。ここで挙げた例はどうということはないが、例えば「ジョーンズさんには監獄に兄弟がいるんですか?」ではどうだろうか?

修辞的な効果を狙うなら、事実の証拠なしでは普通は聞かないだろうというようなことを暗示しなければならない。例えば「ジョーンズさんには兄弟がいますか?」という質問では、特に事前の知識がなくとも普通にされる質問であるため、それを聞いた人は何らかの証拠があるに違いないとは思わない。

様々な形式[編集]

以下の質問形式は何らかの前提を含んでいる。

多重質問 (loaded question)
被質問者が異議を申し立てずに答えた場合、ある告発を認めたことになるような前提を含んだ質問である。例えば「お前はまだ奥さんを虐待しているのか?」という質問がある。多重質問は質問者が真であると信じていることを被質問者に認めさせる罠である。実際にその前提が真かどうかとは無関係である。
おべっか (buttering-up)
2つの質問を同時にするもので、1つは被質問者が「はい」と答えたくなるもので、もう1つは質問者が「はい」と答えてほしいものである。例えば「あなたはいい人で私に5ドル貸してくれますか?」という質問がある。
(誤謬ではない)複雑な質問
それを聞いた人が簡単に合意できるような前提を含んだ質問。例えば「イギリスの女王は誰か?」という質問は、イギリスという地名があるという前提と、そこには女王がいるという前提を含んでいる(どちらも真である)。
誤謬的な複雑な質問
一方「フランス国王は誰か?」という質問は、そもそも、現在フランスには国王がいないため前提が偽であり、誤謬である。しかし、この質問に答えることで回答者が告発されたり非難されるわけではないため、多重質問ではない[5]
暗黙のジレンマ(誤謬ではない)
否定しても肯定してもジレンマに陥る結果になる「ひっかけ質問」の一形式。例えば、上司が部下に対して「お前はここでやっていけると思っているのか?」と聞いた場合、肯定応答したとしてもクビになるかどうかとは無関係である。この形式の質問は相手に会話を促す目的で使われる。

対応策[編集]

このような質問に対する一般的な対応策は、「はい」や「いいえ」と単純に応答するのではなく、文脈を踏まえたちゃんとした文で答えることである。上述の例で言えば、「お前はまだ奥さんを虐待しているのか?」という質問へのよい返事としては「私は妻を虐待したことなどない」あるいは「私は未婚だ」である[5]。このように答えることで曖昧さを排除し、相手の戦術を無効化する。しかし、質問者はさらに「はぐらかし」の質問をすることで被質問者のこの戦術を無効化することがある。「では、私が結婚したことがないのに、どうやって妻を虐待したのかを説明してください」といった修辞的質問はそのような相手の戦術にも効果的である。

歴史的な例[編集]

マデレーン・オルブライトは、1996年5月12日の『60 Minutes』という番組で、多重質問に異議を申したてずに答えた。レスリー・ストールはイラク制裁の効果について「50万人の子供が死んだと聞いています。これは広島で死んだ子供より多い数です。これはそのような代償に値することでしょうか?」と質問した。オルブライトは「これは非常に難しい選択ですが、我々はそれだけの価値があると思っている」と答えた[6]。彼女はこれについて後に以下のように書いている。

私は気が変になっていた。私は質問を再構成し、前提に含まれる問題点を指摘すべきだった。… 私は答えた後すぐに時間をまき戻して訂正したいと思った。私の答えはおそろしい誤りであり、性急すぎ、不器用で、間違っていた。… 私は罠にかかり、思ってもいないことを言ってしまった。これは私自身の過ちである[7]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Walton, Douglas. “The Fallacy of Many Questions”. University of Winnipeg. 2008年1月22日閲覧。
  2. ^ Fallacy: Begging the Question The Nizkor Project. 2008年1月22日閲覧
  3. ^ Carroll, Robert Todd. “Begging the Question”. The Skeptic's Dictionary. 2008年10月21日閲覧。
  4. ^ compound question, definition
  5. ^ a b Layman, C. Stephen (2003年). The Power of Logic. p. 158. 
  6. ^ "Albright's Blunder”. Irvine Review (2002年). 2003年6月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年1月4日閲覧。
  7. ^ Albright, Madeleine (2003年). "Madam Secretary: A Memoir ". p. 275. ISBN 0-7868-6843-0. 

外部リンク[編集]