堤俊輔
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| 堤 俊輔 | ||
|---|---|---|
| 名前 | ||
| カタカナ | ツツミ シュンスケ | |
| ラテン文字 | TSUTSUMI Syunsuke | |
| 基本情報 | ||
| 国籍 | ||
| 生年月日 | 1987年6月8日(22歳) | |
| 出身地 | ||
| 身長 | 177cm | |
| 体重 | 69kg | |
| 血液型 | O型 | |
| 選手情報 | ||
| 在籍チーム | ||
| ポジション | DF | |
| 背番号 | 12 | |
| 利き足 | 右足 | |
| クラブチーム1 | ||
| 年 | クラブ | App (G) |
| 2006-現 在 | 18 (0) | |
| 1. 国内リーグ戦に限る。2009年5月23日現在。 ■Template(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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堤 俊輔(つつみ しゅんすけ、1987年(昭和62年)6月8日 - )は、埼玉県新座市出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー(センターバック・左サイドバック)。浦和レッドダイヤモンズ所属。私立浦和実業学園高校卒業。
目次 |
[編集] プレースタイル
1対1の体の強さと的確なカバーリングが光る。
[編集] 来歴
高校生年代では、浦和レッズユースに所属。
2006年にユースから昇格後、主にU-19で活動していたため、公式戦で使われるどころかサブにも入れない日が続いた。その後天皇杯でベンチ入りし、優勝の瞬間を間近に見ることができた。翌2007年シーズン、トップでの試合経験がないことを理由にU-20ワールドカップメンバー入りを逃したが、同時期に行われたナビスコカップ1回戦ガンバ大阪戦で公式戦デビューを果たし、上々の動きを見せた。
2008年、オジェック監督解任後に発足したエンゲルス新体制においては、長年レギュラーを守ってきた坪井慶介をベンチへと追いやり、第3節のアルビレックス新潟戦でリーグ戦初出場。チームのリーグ戦初勝利に貢献し、ユース出身選手初となるA契約を締結した。若手の注目株として期待を集める。
2008年5月1日、大原サッカー場近くで自動車を運転中、バイクと接触事故を起こした。双方とも怪我はなかったが、チームではオジェック監督(当時)、内舘秀樹に続いて3件目であり、チームから注意処分を受けた。
2008年シーズン終了後、左ひざ前十字じん帯断裂の手術を受けた。フォルカー・フィンケ新監督から左サイドバックとして高い期待を受けるものの、新しい靭帯が上手く適合せず再手術となってしまい、2009年シーズン中の復帰は絶望的となった。
[編集] 所属クラブ
- 2003年 - 05年 浦和レッドダイヤモンズユース
- 2006年 - 現 在 浦和レッドダイヤモンズ
[編集] 個人成績
| 国内大会個人成績 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
| 2006 | 浦和 | 36 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
| 2007 | 浦和 | 12 | J1 | 0 | 0 | ||||||
| 2008 | 浦和 | 12 | J1 | 18 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 |
| 2009 | 浦和 | 12 | J1 | ||||||||
| 通算 | 日本 | J1 | 18 | 0 | |||||||
| 総通算 | 18 | 0 | |||||||||
| 国際大会個人成績 | ||||
|---|---|---|---|---|
| 年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
| AFC | ACL | |||
| 2008 | 浦和 | 12 | 1 | 0 |
| 通算 | AFC | 1 | 0 | |
[編集] 代表歴
- 2006年AFCユース選手権
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