城間盛久

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城間 盛久(ぐすくま せいきゅう、1542年4月10日嘉靖21年3月26日) - 1612年4月26日萬暦40年3月26日))は、琉球王国の官僚、政治家、書道家。翁氏永山殿内2世で童名は太郎金、号を瑞岩といい、唐名は翁 寄松。書においては、鎌倉時代の能書家・尊円法親王が興した書流尊円流を汲むことから、尊円城間(そんえんぐすくま)と称された。

1601年から1605年までは三司官を務めて日本との親睦を深めるが、1605年、謝名利山は法司官であった城間を讒言により百姓の身分に貶め、自らこれに成り代わった。

登場作品[編集]

先代
国頭盛順
翁氏永山殿内の当主
1580年 - 1612年
次代
具志川盛継
先代
琉球の丑日番法司
1601年 - 1605年
次代
謝名利山