坂田義朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

坂田 義朗(さかた よしろう、1888年7月26日 - 1933年7月12日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐

経歴[編集]

岐阜県出身。陸軍中央幼年学校を経て、1909年明治42年)、陸軍士官学校(21期)卒業。歩兵少尉に任官。1919年大正8年)11月、陸軍大学校(31期)卒業、歩兵第34連隊中隊長サガレン州派遣軍参謀などを経て、1923年(大正12年)3月、参謀本部部員。1925年(大正14年)3月少佐歩兵第37連隊大隊長。1927年昭和2年)7月、朝鮮軍参謀。1928年(昭和3年)8月中佐1929年(昭和4年)12月、陸軍兵器本廠付・軍事調査部調査班長。在任中の1930年(昭和5年)9月、桜会の結成に参加し、橋本欣五郎樋口季一郎らとともに発起人となる。1932年(昭和7年)12月、関東軍参謀兼第4課長となり、翌1933年(昭和8年)3月大佐に昇進するが、同年7月12日、新京で病死した。

栄典[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
  2. ^ 『官報』第216号「叙任及辞令」1913年4月22日。
  3. ^ 『官報』第1738号「叙任及辞令」1918年5月21日。
  4. ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
  5. ^ 『官報』第535号「叙任及辞令」1928年10月5日。

参考文献[編集]