坂本万七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

坂本万七(さかもと まんしち、1900年1月13日 - 1974年4月19日)は、日本写真家。特に民藝品や仏像の撮影に才能を発揮した。その遺作「沖縄・昭和10年代」は戦前の沖縄各地で撮影した貴重な写真が掲載されており、テレビ放送等で資料として使用されている。

戦前では、築地小劇場の舞台写真が有名。

年譜[編集]

  • 1900年 (明治33年) 1月13日、広島県福山市(旧深安郡福山町)笠岡町にて、父庄平、母ウタの次男として生まれる。
  • 1915年 (大正4年) 15歳 私立盈進商業学校に入学。
  • 1919年 (大正8年) 19歳 盈進商業学校を中退し、宮崎県日向の武者小路実篤主宰「新しき村」に入村。
  • 1921年 (大正10年) 21歳 4月上京、品川写真研究所に入り写真術を学ぶ。
  • 1922年 (大正11年) 22歳 三笠写真店(人形町)に移り、写真術を習得。
  • 1923年 (大正12年) 23歳 楽器、油絵、水泳などを独学。油絵の個展を催す。
  • 1924年 (大正13年) 24歳 6月14日、築地小劇場開演。この頃より舞台写真を撮り始める。
  • 1926年 (昭和元年) 26歳 東京都豊島区に桃源社坂本写真場を開く。
  • 1928年 (昭和3年) 28歳 月刊「工藝」の写真図版撮影(昭和9年まで)。
  • 1931年 (昭和6年) 31歳 「日本地理大系」全16巻(改造社・座右宝刊行会)完結。「支那上代彫刻」、「東山水墨画集」、「金碧装飾画集」、「朝鮮名画集」(いずれも聚楽社)。
  • 1933年 (昭和8年) 33歳 熱河、承徳の遺跡を撮影。
  • 1934年 (昭和9年) 34歳 黒川澄子と婚姻。「聚楽・時代裂拾遺」、「熱河」全4巻(いずれも座右宝刊行会)。「山中常盤」全12巻(第一書房)。
  • 1935年 (昭和10年) 35歳 内蒙古、安嶺の遼代遺跡調査団に同行。長男明美(あきよし)出生。「桃源」全7巻(桃源社坂本写真道場)。
  • 1938年 (昭和13年) 38歳 東京都八丈島に渡り黄八丈の製作工程を撮影(柳悦孝同行)。「通溝・上」(日満文化協会)。「熱河」(座右宝刊行会)。
  • 1939年 (昭和14年) 39歳 京都大学文学部の慶陵遺跡調査団に参加し、満州、蒙古、北支などの遺跡、遺物を撮影。沖縄に渡り、柳宗悦らに同行、撮影を行う。
  • 1940年 (昭和15年) 40歳 北支の遺跡、沖縄へ二度渡り、民藝関係の撮影。満州撫順高句麗時代山城の発掘団に参加。「月刊民藝」(白塔子、焼物の写し方)。「通溝・下」(日満文化協会)。
  • 1941年 (昭和16年) 41歳 国際文化振興会の嘱託となる。第二次世界大戦始まる。
  • 1942年 (昭和17年) 42歳 野間清六の指導により、埴輪の撮影を初めて行う。「埴輪美」「李朝陶磁図譜」(いずれも聚楽社)。
  • 1943年 (昭和18年) 43年 畿内地方の仏像を撮り始める。
  • 1944年 (昭和19年) 44歳 大日本航空部の嘱託となりB29などの青写真を写す。
  • 1946年 (昭和21年) 46歳 美術研究所(現文化財研究所美術部)嘱託となる。法隆寺宝物台帳のための撮影開始。
  • 1949年 (昭和24年) 49歳 三井芸術プロダクションに参加「法隆寺金堂釈迦三尊像」(岩波書店)。
  • 1950年 (昭和25年) 50歳 三井芸術プロダクションの一環として、東洋古美術のカラースライドを製作。
  • 1951年 (昭和26年) 51歳 仕事場を神田写真弘社に置く。
  • 1952年 (昭和27年) 52歳 「慶陵・二」(京都大学文学部)「日本の彫刻・上古時代」(美術出版社)「沖縄織物裂地の研究」(明治書房)。
  • 1953年 (昭和28年) 53歳 「慶陵・一」(京都大学文学部)。
  • 1954年 (昭和29年) 54歳 「世界陶磁全集」(座右宝刊行会編、河出書房刊)の撮影主任となる。法隆寺諸仏の三色分解撮影。「法隆寺宝蔵小金銅像」(岩波書店)「土の芸術」(美術出版社)。
  • 1955年 (昭和30年) 55歳 北九州、装飾古墳壁画の撮影。法然上人関係の資料を撮影。「唐招提寺」(角川書店)。
  • 1956年 (昭和31年) 56歳 大倉亀コレクションを撮影。「李朝の陶磁」(座右宝刊行会)。
  • 1957年 (昭和32年) 57歳 日本経済新聞社用カラースライド撮影のため、京都、奈良、和歌山などを巡る。埴輪撮影のため明治大学後藤守一教授と東北各地を歩く。桃山時代障壁画の撮影多数。
  • 1958年 (昭和33年) 58歳 薬師寺、法輪寺の撮影。倉敷民藝館蔵品の撮影。「世界陶磁全集」全16巻(座右宝刊行会・河出書房)完結。「大徳寺」(朝日新聞社)。
  • 1959年 (昭和34年) 59歳 港区麻布材木町に、有限会社サカモト・フォト・リサーチ・ラボ(坂本寫眞研究所)を設立。
  • 1960年 (昭和35年) 60歳 盆栽を初めて撮影。京都金剛家能面の撮影。「日本の彫刻(合本)・上代時代」(美術出版社)、「薬師寺」(実業之日本社)。
  • 1961年 (昭和36年) 61歳 細川コレクションの中国清代文房具の撮影。水戸山上コレクションの撮影と編集。京都、奈良、島根などの美術品の撮影。円空上人彫刻資料撮影のため愛知、岐阜をまわる。戦後初の沖縄訪問をし、その変わり様に驚く。「古備前名品図譜」(河出書房新社)、「船箪笥」(日本民藝協会)。
  • 1962年 (昭和37年) 62歳 五島美術館の全蔵品の撮影開始。「沖縄民藝」(倉敷民藝館)、「古陶小集」(坂本寫眞研究所)。
  • 1963年 (昭和38年) 63歳 福島県三春人形の撮影。「茶道名器鑑」、「能面」(いずれも求龍堂)。
  • 1964年 (昭和39年) 64歳 世田谷区松原に株式会社坂本寫眞研究所を開設。徳間書店主催「坂本万七君を励ます会」開催。「三春人形」(東峰書房)、「盆栽」(実業之日本社)、「大徳寺」(淡交新社)。
  • 1965年 (昭和40年) 65歳 奈良、京都の各寺院、博物館などの仏像及び建築、工芸品を撮影。
  • 1966年 (昭和41年) 66歳 ギリシャ、ナポリ、ローマ、フィレンツェを訪問。オーギュスト・ロダンの彫刻を多数撮影。「松本民藝家具」(東峰書房)、「原色日本の美術・奈良の寺院と彫刻」(小学館)。
  • 1967年 (昭和42年) 67歳 法隆寺神奈川県称名寺東大寺、それぞれ所蔵物の撮影。「国宝彫像」(徳間書店)。
  • 1968年 (昭和43年) 68歳 九州各地の古墳を撮影。福山の姫谷焼を撮影。「奈良六大寺大観」(岩波書店)のため法隆寺五重塔内を撮影。「日本の工芸」(読売新聞社)。
  • 1969年 (昭和44年) 69歳 高野山の宝物を数回にわたり撮影(翌年まで)。「ロダン」(読売新聞社)「奈良六大寺大観・法隆寺五重塔塑像」(岩波書店)。
  • 1971年 (昭和46年) 71歳 愛知県常滑市史作成のため、陶磁、絵画、窯址などを撮影。
  • 1972年 (昭和47年) 72歳 韓国美術民藝見学の旅に参加、慶州古遺跡、青島などを訪問。
  • 1973年 (昭和48年) 73歳 茨城県勝田市虎塚古墳壁画を撮影。
  • 1974年 (昭和49年) 74歳 4月19日死去。永くその名をとどめるため、会社名を坂本万七寫眞研究所と改称す。

作品集[編集]

  • 石の村 十一組出版部 1947 (新選文化写真叢書)
  • 三月堂 十一組出版部 1947 (新選文化写真叢書)
  • 諸国の民芸 式場隆三郎 講談社 1947
  • 岸田劉生」角川書店/1955年)
  • 日本彫刻図録 上野直昭 朝日新聞社 1957
  • 大徳寺 源豊宗 朝日新聞社 1958
  • 薬師寺 町田甲一 実業之日本社 1960
  • 古代中国の美 土偶 杉村勇造編著 坂本、藤本四八,小西晴美撮影 美術出版社 1962
  • 三春人形 小沢太郎編 東峰出版 1964
  • 大徳寺 古田紹欽 坂本、葛西宗誠写真 淡交新社 1964
  • 国宝彫像 上原昭一 徳間書店 1967
  • 古代中国の美 土偶・彫刻・銅器・玉器 藤本四八,坂本 田枝幹宏撮影 美術出版社 1967
  • 日本の工芸 岡田譲監修 読売新聞社 1968
  • 「日本のやきもの7 信楽 伊賀」(白洲正子八木一夫藤川清/淡交社、1971)
  • 奈良の寺4 法隆寺 五重塔の塑像」長廣敏雄文、坂本、辻本米三郎撮影/岩波書店/1974)
  • 日本の仏像百選 坂本万七作品集 日本経済新聞社 1976
  • 「沖縄・昭和10年代」新星図書出版/1982)
  • 「日本仏像選」学生社/1982)
  • 「坂本万七 遺篇」(三木淳監修/ニッコールクラブ/1985)
  • 「坂本万七 新劇写真展」図録(中野正昭編/早稲田大学演劇博物館/2008年発行)

外部リンク[編集]